第36話 青夜を泳ぐ恋心


-シオン視点-



 耳を押さえていても聞こえる凄まじい轟音と、印象深く残る謎の振動音。目を閉じていても伝わる地面の揺れる感覚、そして体が小刻みに震えてしまうほどの魔力。


 この圧倒的な存在感、おおよそ人間の尺度では測り切れない魔力量。この世界に現在9人しかいないはずの超越者、恐らくアレスはそれと同等クラスの存在なのだろう。


「ッ」


 アレスは一体何者なんだ?あの不可解な魔法もそうだが、どうして人間の身であんなに魔力量を保持できるんだ?


 そんな考えが感情に陰を作り出しそうになる。がしかし、私を信じてくれた彼の為に、私も彼を信じなければならない。そんな言葉を頭のなかで反芻させ、ぎゅっと目を瞑る。


 しばらくすると、微かに聞こえていた音が途絶え、心臓が地面に着いていると錯覚するほどの圧が消える。私はそのことで肺から空気を吐き出し、呼吸を整える。


 もう終わったのだろうか?だとしたら私は目を開けていいのだろうか?


 そんなことを考え、緊張から体を強張らせていると唐突に肩に誰かの手が置かれた。


「・・・さん」


 急なことでびくりと体を跳ねさせながら、私はゆっくりと目を開ける。するとそこにはいつもの顔に戻ったアレスが立っていた。


 いや、まだ心なしか暗い表情をしているが、でも先ほどよりか人間味ある顔をしている。


「終わったのか・・・?」


「ええ、終わりました。・・・待たせてすみません」


「・・・そうか」


 私は安心からか大きなため息を吐く。

 その安心は脅威が去ったからなのか、それともいつものアレスに戻ってくれたからなのか、理由はわからない。でも少なくとも胸の内が軽くなったのは本当だろう。


 そうして青夜の空を見上げる。 

 夜空に浮かんでいる赤い月と青い月は、それぞれ大きく映し出される日が決まっており、そのことで夜の色彩が微弱に変化する。


 本日は青の月が大きく夜を照らしているためか、空はどことなく紺に近い色合いであり、その一面には星々が鮮やかなに煌めいている。


 今住んでいる王都では、光を照射する魔道具のせいでこんなにもきれいな星は見ることはできない。


 ・・・姉さんとは昔、こうして一緒に星に照らされた夜空を見上げていたな。



 ・・・姉さん。


「帰りましょう、シオンさん」


 考え込んでいると、彼は最初に私を救ってくれた時みたいに優しく手を差し伸べてくれた。


「・・・ああ」


 私はその暖かい手を取り、地面から立ち上がった。


 私を立ち上がらせた後にアレスは「少し待ってくださいね」と口にし、手にフォトンを持って通話をし始めた。

 そうして誰かと会話をした後、通話を切り魔道具をポケットに入れてこちらに振り向く。


「じゃあ、空を飛んで帰りましょうか。俺が魔法をかけるのでシオンさんは何もしなくてもいいですよ」


「すまん」


 実は今、私はうまく魔法を使うことができない。


 その理由は先ほどまで手足を縛っていた拘束系魔法にある。拘束系魔法は身体的な拘束のみならず、自分の魔力を接触させることで相手に魔力放出障害を起こさせる、という効果がある。


 これにより拘束系魔法をかけられたものは魔力放出がうまくできず、魔力操作や魔法が発動できなくなる。

 私の場合、結構な時間他者の魔力に接触してしまったせいか、アレスに解かれた拘束魔法の障害がまだ残っている。



「飛びますよ、舌とか気を付けてくださいね」


 アレスがそう言葉を発する。それからすぐにふわりと体が浮かび上がり、私は彼とともに青夜の空を泳ぐように進み始める。


「・・・こうして夜に飛行魔法を使うのは初めてだ」


「そうなんですか?」


「ああ、視界が悪いと夜行型の魔物と接触する可能性があるからな」


 夜目が効くものならまだしも、視界が悪い夜間にこうして魔物の生存圏を飛ぶのは危険が伴う。最悪飛んでいる魔物と接触して落下、そのまま死亡という事になりかねないからだ。


「なるほど、確かにそうですね・・・まあ、自分の魔力の影響で今は魔物も逃げていないみたいですけどね」


 アレスは当たる夜風に対して、気持ちよさそうに目を細めながら笑みをこぼす。そんな彼を見て、私は深く思考を巡らせる。


 アレス・フォールドという人物が分からない。


 他とは異なる圧倒的な強さ、いつもの態度とは違う感情を失くしたかのようなあの顔。

 私の頭の中で疑問が疑問を呼び、いつまでも思考が完結しない。わからない、彼という存在が見えてこない。


 ・・・だがしかし、私は彼と一緒に過ごした九日間を思い出す。


 私の言葉を一言一句漏らさず聞いてくれたり、意外と気遣いができたり、姉さんのことを奇異な目で見ずに話していたり・・・。


 それらが私にとってはすごく心地良く、好ましい。


 他の男だと不快にさせられることが多いが、なぜか彼と一緒だと逆に安心させられてしまう。


「・・・」


 ・・・あの時、姉さんから逃げるように家を飛び出した時。ふと護衛など関係なくアレスには隣にいて欲しかった。

 誰かに触れていていて欲しくて、寄り添ってくれる人が欲しくて瞬間的に彼の手を取って連れ出していた。


 彼はその手を振り払えたはずだ。しかし、逆にしっかりと握り返してくれた。それはまるで、私には「一人にさせたくない」と言っているような気がした。


 私は・・・そんなアレスの優しさに救われた。



「聞かないんですか?俺のこと」


 私がそんなことを考え、彼を見ているとそう声を掛けられる。


 気になる・・・でも。


「アレスはあまりこういうことを詮索されたくないんだろ?それに、聞いたところで変わらないさ」


 聞いても聞かなくてもアレスは変わらない。今のアレスが私にとっての彼であり、そしてすべてだ。


 そういう一面もあるのかもしれないが、それは彼のほんの一部に過ぎないのだろうと私は思った。


「そうですね、ちょっと複雑なのでうまく話せません」


「いいさ、別に」


 そう言うと、お互い話すことがなくなり沈黙する。しかし不思議と気まずくなく、ゆったりとした落ち着いた空気感が場に流れた。



「・・・姉さんは、私のことを許してくれるだろうか?」



 沈黙の中、思いがけず私の口からそんな不安が漏れる。言葉に出してしまうと、途端に内心の怯えが出て声が震えてしまった。


 姉さんから必要とされなくなるのが怖い、もう話してくれないのではないかと思うと胸が痛くなる。


 大丈夫だろうか、私は仲を取り戻せるだろうか。


「大丈夫ですよ」


 隣にいるアレスは宙で立ち止まり、黒い瞳で私をじっと見つめた。


「募っていた気持ちを、伝えたい想いをお姉さんにちゃんと伝えればいいんです」


 募っていた気持ち、姉さんに伝えたい想い・・・。


「アレスは、私にできると思うか・・・?」


 伝えることが、きちんと話し合うことができるだろうか・・・?


「ええ、シオンさんならきっとできます。俺が保証します・・・なんだったら話している最中後ろでずっと応援してますよ。「頑張れ〜!」「負けるな〜!」って」


 私はその光景を想像し、不意に吹き出してしまう。


「・・・ぷっ、なんだそれは。後ろでずっと声をかけてくれるのか?」


「そうです。俺はシオンさんの護衛ですからね、それぐらい当然です」


「くく、護衛の範疇を超えているだろ」


 私は笑ってしまう。気づくと先ほどまでの胸のつっかえが消えていた。


「だから大丈夫です。不安にならず、フレイさんに正直な気持ちを伝えてください」


 彼がそう言い、穏やかな笑みを浮かべる。


 私の心に日が差し込み、花を咲かせるような優しい雨が降る。


「・・・ああ、ありがとう」


 そうして話した後、再び動き始め青い夜空の海を泳ぎ始める。

 不意に隣にいる彼を見ると、私の心臓がドクンっと跳ね上がった。


「ッ」


 体の内側が仄かに熱を帯びたような感覚に加え、不思議と気持ちが高揚してしまう。

 それは嫌な気持ちではないのだが、胸がほんの少し締め付けられているようで若干苦しい。


 こんな感情になったことなんて人生で一度もない。だけどわかる、本などで読んだことがあるためか、これの答えが分かってしまう。


 物凄く恥ずかしいが、これがきっと私が抱いている気持ちの答えだ。



 溢れ出しそうになる、この気持ちの正体。








「・・・きだ」


「うん?何か言いました」


「なんでもない。ただ少し、自分の心の内を確認しただけだ」



 私はつい漏れてしまった言葉をそう誤魔化した。







★★★


 次回は「金咲の聖騎士」です。少しユリウスとメル側の話を書かせていただきます。


 あと前話の応援コメントをくれた方々、本当にありがとうございます・・・。いや、もうなんか死んでもいいなってくらいに嬉しいです。

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