13-79 板挟み! 新旧の恩義、どちらを選ぶ?

 ルルに顔を近付け、不気味な笑みを浮かべるヒーサは、まさに悪党の中の悪党であった。


 ヤノシュを殺した経緯を語り、それも一切悪びれもせずに言い切った。


 絶望と、恐怖と、憤怒の入り混じるルルは、発する言葉もなく、ただヒーサを睨むだけであった。



「フフフ……、ティースの言う通りだ。大事を成すには、決して裏切る事のない優秀な“共犯者なかま”が必要だ。互いに裏切る心配がないからこそ、私はヒサコを利用し、ヒサコもまた私の権限や立場を最大限利用した。お互い、得るものを得て懐は温まった。理想的な共生関係だ」



 あまりに邪悪な物言いに、ヒーサが途中から別人に変わってしまったのではないか。そう思えるほどにルルは困惑した。

 

 だが、そうではないと気持ちを切り替えた。


 そう、目の前の男は“最初”からこうなのだと気付いた。上手く本性を隠してきたが、それがいよいよも手に出てきた、という話なのだと理解した。



「公爵様、あなたは最低な人間です! クズです! よくも私を、お兄様を、アーソの人々を謀ってくれましたね!」



「まあ、アーソの人間は私に暴言を吐く権利はある。罵りたくば罵るがいいさ。それだけの事をやったのだからな」



 悪びれもしない台詞や態度は、ルルをさらに激怒させた。


 あの頃のアーソは比較的安定していた。帝国側とはたまの小競り合いはあったが、問題らしい問題はなく、ルルを始めとする術士もひっそりと暮らしていける余裕はあった。


 だが、ヒサコの訪問と前後して、状況は激変した。


 術士の隠れ里の存在を知られ、謀反人の汚名を着せられ、望まない決起を迫られる事となった。


 その過程でヤノシュは死に、辺境伯領は混乱の内にシガラ公爵家に実質的に併合されてしまった。


 それもこれも、不幸な偶然が重なったからなのではなく、すべて策謀によってなされたのだと言う。


 これで怒るなと言う方が無理であり、ルルのヒーサを睨み付ける視線はますます尖っていった。



「公爵様、あなた様には色々とお世話になりました。私が人目を気にすることなく、堂々と術士であることを公表できるのも、すべて公爵様の差配のおかげです」



「そんなに褒めんでくれ。こう見えて、結構照れ屋なのだから」



「しかし……、しかしです! それもそれも、全部真実を覆い隠すための糊塗の材料だったなんて!」



「まあ、そうだわな。だが、過去の話だ。今更とやかく言ったところでどうにもなるまい?」



 ヒーサは余裕の態度を崩さず、それがまたルルの怒りに火を着けた。氷使いでありながら、今なら業火を呼び出せそうな、そんな雰囲気だ。


 そんなルルであるが、今一つ責め切れない部分もあった。


 ヤノシュを殺害したのがヒサコであれば、それは断じて許されるべきことではないが、受けた恩義も大きいのだ。


 その少女の複雑な感情を見透かすがゆえに、ヒーサはニヤついているのだ。



「ルルよ、事実を知った上で、これからどうしたいのかね? 私やヒサコを殺すか?」



「そ、それは……」



「別にそれでも構わんぞ。もちろん、牙を向けてきたらば、こちらも相応の処置はとるがな」



 ここでヒーサは正面からルルの肩を掴み、少し痛いくらいの力を込めた。


 若干顔をしかめたルルであったが、それ以上に危うかったのは背後のティースだ。手にしていた刀を少し鞘から抜き、すぐに元に戻した。


 カシャンと言う音が実に耳に響き、脅しとしては十分すぎる迫力があった。



(夫婦でイジメんな、まったく……)



 テアは悪役夫婦に挟まれた少女を、憐れみながら眺めた。


 勧誘するにしてももう少しやり様もあるだろうと考えつつも、まあこれもいつもの事かと流してしまう自分を情けなく思うのであった。



「ルルよ、私は才ある者を愛でる。お前達兄妹はそういう意味では、実に素晴らしい。珠玉のごとき才覚の持ち主だ。だからこそ、目をかけて丁重に扱った。これは嘘偽りないぞ」



「それが何だって言うのですか!?」



「昔の恩義と今の恩義、はたしてどちらがお前にとって重いのだろうか、と思ってな」



 それはルルにとって悩ましい判断であった。


 ルルにとって、アーソの地は生まれ故郷であり、父も兄も辺境伯家に仕える武官だ。元領主であるカインにはそうした経緯もあって、色々と面倒を見てきてもらってきた。


 隠れ里を用意し、ルルのような隠遁者を匿い、教団に正体がバレないように手を回してくれたのだ。


 一方、ヒーサはその世界の法則を根底から覆した。


 教団は勢力を失い、術士の扱いにも変更が加えられ、誰憚はばかる事なく暮らせるようになった。


 どちらにも恩義はあるが、やはり今自由であることを喜びたいと言う気持ちが強い。


 兄アルベールは武官として仕えていたため、恩義以上に忠義に従うだろうが、ルルにとっては自身がそれほど忠義に篤いとは考えてもいなかった。


 己が身を挺して主君に仕える武官とただの小間仕えでは、その辺りの感覚が違うのだ。



「……公爵様には恩義があります。ですがヤノシュ様を殺したことや、それを伏せていた事を許すことはできません」



「ふむ……。では、少しばかり昔話をしよう」



 ヒーサはルルから手を放し、どこか遠くを眺めながら口を開いた。



「昔、ある領主が別の領主と同盟を結び、その証として妹を嫁がせた。何かと厚遇し、両者の関係は安泰と言えた。ところが、その義兄の方が義弟との約束を破った。北隣の別の領主を攻撃する際には、自分に一言知らせて欲しい、と取り決めがあった。義弟の家とその北の領主とは、祖父の代から長らく続く縁深い関係であり、無断で事に及んだ義兄の行動をよしとしなかった。そして、戦にまで発展した」



「約を違えたのであれば、揉め事になるのも当然では?」



「違う。義弟が板挟みになるのを不憫に考え、あえて事前に通告せずに動いたのだ。義兄もまた、不器用な男で、気遣いのつもりであったのに、それが完全に裏目に出た格好だ。愚かな事よ。互いに一言声をかけていれば、避けられた対立であろうにな」



 ヒーサこと松永久秀も、外交折衝で飛び回っていたこともあり、そうした意思疎通が外交上非常に重要だとも考えていた。


 それがかみ合わず、対立するなどよくある話であり、かつての世界で何度も見てきた光景であった。


 今、口にした話とて、織田信長と浅井長政の話である。


 信長は色々と気性の激しい性格であるが、身内にはかなり甘い。長政の才覚も買っていたし、無言の気遣いを分かってくれるだろう。そう考えて、義弟に告げずに行動を起こした。


 一方の長政も約束を反故にされたことに衝撃を受け、しかも古くから付き合いのある相手が危機に瀕しているとのことだ。


 今と昔、長政は双方の恩義を天秤にかけ、結局、自分に無言で勝手に攻めた義兄の不義理を責めた。



「四の五の言わず、ワシに付いて来い」



 この一言を信長が告げていれば、長政も従ったことだろう。身内への甘さが義弟を葛藤に追い込むことを良しとせず、その無言の態度が却って疑念を抱かせる結果を生んだ。


 そう松永久秀は考えていた。


 ほんの一言で済む問題が、拗れに拗れるなど、人の社会には五万と転がっている。それがたまたま戦に発展する大事であった、というだけの話なのだ。



「戦などと言うものはな、ほんの些細な勘違いや思い違いで起こってしまうものだ。当人同士が好意を抱いていようとも、“家”などと言う組織に縛られ、一族郎党、家中への示しのために戦に及ぶ。バカバカしくもあり、至極当然の帰結なのだ」



 ヒーサの視線は遠くの空を泳いでいた。


 戦国の世にあって、幾度となく見てきた各地の家々の栄枯盛衰。自分もまた、その内の一つであると自覚し、奪い奪われてきた。


 世界は変われど、人の営みに変化なし。根本的にやっていることは同じなのだ。


 そんな無常を感じつつも、それに流されて無為無策や無気力に陥るほど、戦国の梟雄は軟弱ではなかった。


 一呼吸の下に気持ちを切り替え、そして、ルルに視線を戻した。



「さて、ルルよ、今一度問おう。事実を知った上で、お前はどうしたいのか?」



 表情はどこか憂いを帯びてはいたが、放たれる強烈な気配はむしろ増していた。


 それに気圧され、ルルは何も口にすることができなかった。


 それ以上に、自分の返答一つで、自分の命どころか兄の命運すら決してしまうかもしれないと思うと、その答えには慎重にならざるを得なかった。


 どう答えれば、今の危機的状況を切り抜けられるのか。


 新旧どちらの恩義にも背くことなく、穏便に済ませる事が出来るのか。


 なかなか出てこない答えに、ルルはますます苦悩するのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る