13-77 疑惑発覚!? 氷の乙女は公爵様を詰問す!

 巨大な黒い犬がカシンに襲い掛かり、映像はそこで途絶えた。


 当然、それはヒーサの使い魔である黒犬つくもんであった。


 黒犬つくもんは壊走する帝国軍が立ち直る機会を得ないように、その逃げる背を小突いて混乱を助長させていた。


 その間にヨシテルを仕留め、そのままお帰りいただくと言う流れであった。


 実際それは成功し、ヨシテルの敗北が“擬態”から“事実”に置き換わった段階で、黒犬つくもんはその役目を十全に果たしたと言えよう。


 あとは合流すれば終わりだなとヒーサは考え、ティースがヨシテルに一太刀入れた段階で追撃を中断し、自分の所に戻ってくるように指示を出しておいた。


 ところが、その戻ってくる際中にアスプリクが捕縛されると言う状況の変化に見舞われ、密かにアスプリクが休んでいるはずの後方の宿舎へと向かった。


 すでにそこには姿がなかったが、微かに残る匂いで追跡し、付近の森の中に潜んでいたカシンを発見し、裏を取ることができた。


 それが黒犬つくもんによる不意討ちの全容だ。



「さて、諸君」



 映像が消えてしまったため、あちら側がどうなっているのかは分からない。


 分かるのは、黒犬つくもんと視界を共有できているヒーサだけだ。


 居並ぶ一同は、当然ながら次なる言葉を待った。



「……すまん、逃げられたわ」



「「「おい!」」」



 ほぼ全員が、思わずヒーサにつっこみを入れた。


 華麗に奇襲を決めておいて、返って来た返事が“失敗”の二文字である。失望もひとしおであった。


 特にアスティコスは激怒し、ヒーサの襟首を掴んでブンブン振り回すほどだ。



「今のはあれでしょ!? 颯爽と駆けつけて、囚われのお姫様を掻っ攫う場面でしょうが!」



「ああ。行ける、と思ったのだが、カシンめ、奇襲を読んでいたようだ。不意討ちにも拘らず、手早く【飛行フライ】の術式を使って、飛んで逃げていきやがった」



「最悪……! 追跡は!?」



「無理に決まっている。黒犬つくもんは足が速いと言っても、所詮は陸上を進むからな。空を飛ぶ術士には追い付けん」



「ああ、もう!」



 結局のところ、“アスプリクを攫われる”という最悪の結果だけが残った形であった。


 いくらヨシテルを倒すのに全力を出さねばならなかったとはいえ、まんまとカシンにアスプリクを攫われるとはなんと言う失態だと、アスティコスは憤ってい地団太を踏んだ。


 なお、氷の上であったので、危ないから止めようとマークに宥められてはいたが。


 そんな喧騒冷めやらぬ中にあって、ただ一人だけ肝が冷えに冷えていた者がいた。


 それはルルだ。



「……公爵様、“あれ”ってどういうことですか!?」



 驚きと疑念の渦巻く視線をヒーサに向け、ルルは尋ねた。


 何の事だとヒーサは一瞬考えたが、すぐに気付いた。


 そう、黒犬つくもんを使役していたということを、ルルに見られたと言う事だ。


 ルルにとって、悪霊黒犬ブラックドッグは、かつての主君ヤノシュの仇なのだ。


 以前、アーソ辺境伯領を荒らし回った黒衣の司祭リーベの乗騎であり、何人もの兵士を屠った相手だ。


 しかも、映像に見えた個体は大きく、間違いなくかつて襲撃してきた王侯級ロードと見受けれた。


 それがどういうわけか、ヒーサの指示に従って動いているように見えたのだ。


 整理はつかないが、拭えぬ疑念が生じ、恐れとも怒りとも言い表せぬ感情がルルを包み込んだ。



「まあまあ、落ち着きなさい、ルル」



 ルルの両の肩にポンと手を置き、耳元で囁いたのはティースであった。


 いつの間に背後に回ったのかと思うほどの不意討ちであり、ルルが思わずビクリと体が軽く跳ねるほどであった。


 そして、ササッとヒーサもルルに近付き、怯えるその頬に手を添えた。



(つ~か、あんなの凡ミスじゃない! 黒犬つくもんの飼い主がヒーサだって、ルルは知らなかったわよね。いくら緊急時だからって、操作しているのを見られたのは失敗よ! まあ、そのカバーなんでしょうけど、染まってきたな~、ティースも)



 もはや“悪役”としか思えぬ夫婦の共演に、それを無言で眺めていたテアも呆れてため息を吐き出した。


 主君の仇が実は目の前の男ではと疑念が生じ、思わず問い詰めれば、すでに包囲下にあると知った少女が、あまりにも哀れで仕方がなかった。



(まあ、そうなのよね。黒犬つくもんの主人が『六星派シクスス』の連中じゃなくて、実はヒーサでしたって分かったら、そりゃ詰問するでしょうよ。でも、場所と時間が悪かったわね。ルル、残念だけど、この場にあなたの味方になったくれる人、皆無なのよ)



 テアの考えた通り、この場の顔触れは全員がすでに“裏事情”を知っている人間であり、知らなかったのはルルだけなのだ。


 黒犬つくもんは普段、仔犬に擬態しており、その正体が怪物モンスターである事を知っているのはほんの一握りしかいない。


 そして、“裏事情”を知った上でヒーサに協力、ないし恭順している者ばかりであり、すでに一蓮托生と呼んでも差し障りがない程に絡み取られている者達だ。


 言ってしまえば、ルルは孤立無援の状態で戦を始めてしまったのであり、開戦と同時に包囲下に置かれたようなものだ。


 勢いで口走った言葉が、自身を危機的状況に追いやったと知った時には、すでに遅し。ヒーサとティースに挟まれ、身動きを封じられた。



「それで、ルルよ、何か“問題”でもあるのかね?」



「え、あ、いや、その……」



「ん~、はっきりと言ってもらわんと、こちらも答えようがないな。何しろ、私は相手の頭の中を読み取れるほど、異能の存在ではないのだからな」



 何度も何度もヒーサの手がルルの頬を撫で、恐怖がより心に浸透していった。


 なお、ルルの言いたい事はきっちり予想しているヒーサであったが、あくまですっ呆けるつもりでいた。


 黒犬つくもんを使役している場面を、“いつもの顔触れ”以外にしっかり見られたのは失策であったが、幸いな事に取り込み可能な相手であったため、即処分は避けている格好だ。


 それを即座に察したからこそ、ティースもまたルルに対しては逃げ道を塞ぐ程度に留めており、腰に帯びた呪われた刀で斬り殺す真似は控えている状態であった。


 ティースにとってはヒーサを援護しているというよりかは、計画が思わぬ場所から漏れ出し、足場から崩れ去るのを防ぐ意味合いの方が強い。


 ヒーサの破滅は自身の破滅でもあるため、ティースもまたそれに沿った行動を余儀なくされていた。


 なお、すでに躊躇や後悔といったものは薄れつつあり、テアの言うように“染まっている”とも言えなくもなかった。



(でも、答え方一つで殺されるわね。今なら“戦死扱い”でどうとでもできる状況だし)



 なにしろ、この場には“いつもの顔触れ”しかいないのだ。


 ヒーサの裏事情を知っている者は数が少ない。しかもここにいる顔触れは、特に繋がりが強い。


 なにしろ、ヒーサとヒサコが実は同一人物であり、分身系の術式によって生み出された人形だと知っている。この究極の嘘を事実だと認識している者ばかりだ。


 共犯者テア伴侶ティース従者マーク愛妾アスプリク愛妾の叔母アスティコス、この五名がそれであり、ヒーサにとっては、裏切らない、もしくは裏切れないと考え、ほぼ全幅の信頼を置いていた。


 この内、誘拐されたアスプリク以外が揃っており、むしろ正常な判断をするルルの方が異物であった。



(これを機に、完全にこっち側に引き込もうってつもりなんだろうけど、アスプリクの事も心配してあげて!)



 相手を試して利用できるかどうかを判断するのはいつもの事だが、そのハードルは高い。


 自分は裏切ることはあっても、相手の裏切りは決して許さないヒーサである。怯える少女の回答一つで、その後のすべてが決してしまう。


 お願いだから間違いないでねと、テアはルルが無事に切り抜けられるよう祈るのであった。

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