11-21 ハメられた少女! その姿は霧の中へと消えていく!

「ジェイク兄! しっかりしてくれ!」



 アスプリクが必死に呼びかけるも、すでにジェイクは事切れていた。


 あまりの突然の事であったため、アスプリクも混乱していた。


 “ヒーサから受け取った酒”をジェイクが飲み、そして、血を吐いて倒れた。もう何が何だか分からなくなり、倒れたジェイクを抱え起こして必死に呼びかける事しかできなかった。



「ダメだわ、完全に死んでる」



 混乱するアスプリクに対して、アスティコスは冷静であり、ジェイクの首筋や胸元に手を当て、脈や心臓の動きが無い事を確認した。


 そして、すぐに机の上に置かれていた酒瓶に手を伸ばした。


 注ぎ口に鼻を寄せ、その匂いを嗅いだ。



「この匂いは……、前に公爵領で飲んだのと同じ。でも、帯びている“気配”が違う。上手く隠されているけど、これは飲んだらいけないやつだわ」



 即席の分析ではあるが、アスティコスはそう断じた。


 まんまとしてやられた、少なくともアスティコスはそう感じた。



「今のヒーサからすれば、絶対的な権力の掌握を画策した場合、最大の障壁はジェイク。どこかで袂を分かつとは思っていたけど、まさかこの時期に暗殺! それもアスプリクにおっかぶせるなんて!」



 それだけでもアスティコスには、怒りで煮えくり返る思いであった。


 昨夜、アスプリクに甘い顔をしたのも、全てが芝居。毒を掴ませ、毒と分からずに差し出し、そして、標的ジェイクを仕留めるための前振りでしかなかった。


 その怒りは拳に乗せられ、勢いよく机に叩き付けられた。



「そんな、ヒーサ、そんなことって……!」



 怒り狂う叔母の姿を見て、アスプリクはますます動揺した。


 だが、叔母の推理は妥当であった。現にヒーサが用意した酒に毒が入っており、ジェイクがそれを飲んだがために死んだのだ。


 ヒーサの視点で見た場合、標的は当然ジェイクであるが、下手をすればこの場にいた四人全員が毒殺されていた可能性すらあったのだ。


 クレミアが水を用意するために部屋を出て、ジェイクが抜け駆けで飲んだがために、死亡したのがジェイクだけになっただけだ。


 あのまま四人で飲んでいたら、それこそ全員死亡していたであろうことは疑いようもなかった。



「標的を殺し、その周囲も口封じ。ハンッ! やはりあの男、というか“中身”はそう言う奴か!」



 アスティコスにしても、ヒサコに里を丸焼きにされたことがあるのだ。


 後からアスプリクに聞かされたことだが、ヒーサとヒサコは“一心異体”の状態であり、中身は同じだと聞かされていた。


 それにもう少し注意を払っていれば、こんな悪辣な策にハマる事もなかったであろうことを悔いた。



「う、嘘だ……! ヒーサはそんなことしない。だって、僕が必要だって、言ってくれたんだ。昨夜も、あんなに優しく……、だ、抱いてくれたんだ」



「それ自体が演技だったってことよ!」



「あああああ、ヒーサ……、どうして、どうなって、うぁぁぁ」



 アスプリクには続く言葉が思い浮かばなかった。


 今こうしているのは夢か幻か。そうであるならば、この悪夢から目を覚ますにはどうしたらよいのか、頭の中をグチャグチャの思考が堂々巡りを繰り返すだけだ。


 昨夜からずっと夢見心地であった。秘めたる想いをようやくぶちまけ、生まれて初めて抱いた誰かを好きになる、愛するということを覚えた男性に抱き締めてもらえた。


 温かかった、満たされていると感じた。


 だが、それは芝居、演技、嘘の糊塗でしかなかったのだと、思い知らされた。


 そうと気付かず騙され、受けた代償は大きい。ようやくにして和解が成った兄が、その毒牙にかかってしまったのだ。


 もし、アスプリクがかつてのように、疑心に捉われた油断ない状態であったならば、あるいは毒に気付けたかもしれない。


 しかし、戦場から離れ、農夫、技術者として暮らしてきたため、すっかり“勘”が鈍ってしまっていた。


 油断、それが悲劇的な結末を生み出したのだ。



「迷っている時間はないわ。アスプリク、逃げるわよ!」



「え、あ、でも」



「この状況、どう足掻いても、弁明できる余地がないわ! 今できる事は一旦身を隠し、その上でヒーサを締め上げる事よ!」



 ジェイクが死んだのはヒーサが用意した酒を飲んだせいであり、ヒーサから真相を吐かせない限り、アスプリクが宰相殺害の罪を被せられる事になりかねないのだ。


 そう判断したからこそ、アスティコスはいち早く撤収することを促した。


 だが、当のアスプリクは困惑したままだ。


 ジェイクの顔を見つめたり、あるいは何かキョロキョロしたりと、明らかに挙動不審だ。普段の聡明さなど完全に消え去り、怯えるだけの少女がそこにいた。


 そして、破滅が扉を開けて現れた。


 水指を取りに部屋を出ていたクレミアが、水指を持って部屋に戻って来たのだ。


 当然、その部屋の中の惨状を目の当たりにした。


 血を吐いて倒れている夫、それを抱えている血で汚れた義妹、それの腕を掴んで引っ張り起こそうとする客人のエルフ、三者三様であるが、クレミアの目に映るのは一つしかない。


 それは、夫の死姿しにすがただ。



「きゃぁぁぁ!」



 当然のように発せられた悲鳴。掴んでいた水指を床に落とし、盛大に床にぶちまけた。



「ま、待ってくれ、義姉上あねうえ! ぼ、僕じゃ、僕がやったんじゃない!」



 弁明するアスプリクであるが、この状況を見てしまえば、全くの無意味であった。


 ジェイクは死に、その原因は持ってきた酒である。調べればすぐに分かる事だ。


 弁解の余地など、どこにもなかった。


 そして、悲鳴を聞いて駆けつけてきた屋敷の使用人らも集まって来て、収拾がつかなくなってきた。


 故意ではないにせよ、アスプリクがジェイクを殺したという事実だけが現され、もう何もかもが手遅れであった。



「アスプリク、もう無理! 逃げるわよ! 【濃霧生成クリエイト・フォッグ】!」



 ちょうどクレミアの足元に大量の水がぶちまけられたため、それを利用してアスティコスは部屋にも廊下にも視界を遮る濃い霧を発生させた。



「待って、叔母上! ぼ、僕は……!」



「もう、グダグダ言わないの! いいから逃げる!」



 アスティコスはなおもジェイクの死体から離れようとしないアスプリクを引き剥がし、引きずるように窓の方へと移動した。


 窓を開けると、漂う霧も一緒に吹き出し、さながら火事でも起こったのかと思うほどに煙のような霧が、屋敷の外へと流れ出した。



「だ、ダメだ、叔母上。逃げてしまったら、僕は!」



「もう何もかも手遅れなの! 【飛行フライ】!」



 小柄とは言え、人一人を抱えて飛ぶのは不安定ではあったが、屋敷を飛び出し、路地裏にでも潜むくらいはできた。


 とにかく、この二人は容姿が目立つ。人間種とは違う、耳の尖った妖精種の外見があまりにも特徴的過ぎたのだ。



(顔を隠せるフード付きのマントを調達しないと!)



 まだ未練がましく暴れるアスプリクを抱えながら、アスティコスは祭りでなおも賑わう夜の街へと消えていった。


 だが、その後には考えたくもない現実だけが残っていた。



 “王国宰相ジェイクが妹のアスプリクに殺害される”



 この話は瞬く間に関係者に広まる事となり、同時に激動の政変の開始の合図となるのであった。

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