11-20 乾杯! 辛気臭いのはやめにしよう! 

 ジェイクも、アスプリクも、兄妹揃って頭がキレる。


 それだけに視野の狭い短絡的な貴族たちの振る舞いには、二人ともご立腹であった。



「アスプリクよ、その点はこちらも分かっている。法王にも要請を出してはいるが、どうにも渋っている。というより、ロドリゲスを始め、すでに反法王派が形成されつつあり、法王の無力化を図っているようなのだ。ヨハネスも身動きが取りづらく、難儀しているそうだ」



「選挙の得票、ギリギリだったからな~。情勢一つで、ひっくり返される危険もあるね、こりゃあ」



「負けるよりはマシとは言え、ギリギリの勝利もそれはそれで面倒だな」



「何か決定的な一打がいるね」



 強いて言えば戦場での勝利なのだが、ここのところ帝国の動きは鈍い。


 ヒサコが帰国して以降は、小競り合いすら発生していない完全な小康状態であった。



(これじゃあまるで、国内の勢力同士が潰し合って、自滅を待っているかのような……)



 実際、それは上手い策だとアスプリクは思い至った。


 戦場でヒサコに勝てないのなら、国内の不穏分子、ジェイクやヒーサに反発する勢力に暴れてもらえば、前線の防衛力が落ちるのは明白であった。


 足元をグラつかせ、それから戦線を突破する。作戦としては、実に有効であると言わざるを得なかった。



「まあ、ヒーサがライタン連れて話し合いの場を設ける手筈になっているし、具体的にはそれからってことになるかな」



「教団の分裂解消は、どのみち必須案件だ。手早く片付けて、戦力の糾合を図らねばな。結局は、またしてもヒーサ頼りか」



「実際、頼りになるからね、ヒーサは」



 頼りになる。それ以上に愛おしい。アスプリクはこの苦しい状況も、ヒーサならば良き思案を出してくれるだろうと信じて疑わなかった。



「あ、そうだ。ヒーサから受け取っていた物があったんだ」



 危うく忘れかけていたが、ヒーサが置いていった贈呈の酒のことを思い出し、アスプリクは鞄から酒瓶を取り出した。



「お、シガラの名酒『フクロウ』か。気が利くな。いい酒なのだが、なかなか手に入らないのだよな、こいつは」



 ジェイクは喜んで受け取り、ラベルに描かれていたふくろうの挿絵を指で撫でた。



「うむ、辛気臭い話はここまでにして、こいつを盛大に空けてしまおう」



「あ、僕、お酒は苦手だよ」



「なら、水で割ろう」



「水で薄めるって、そりゃ大昔の飲み方じゃないか」



 遥かな昔、酒の醸造技術が未発達であった頃、葡萄酒ワインは今とは比べ物にならないくらいに甘かった。ブドウの糖分が酒精に変化せず、甘みとして酒の中に残っていたからだ。


 おまけに、素焼きの壺で保存していたため、水分が吸われてしまい、より濃くなっていた。


 そのため、より甘みが強くなってしまい、そのままでは甘すぎて飲むには適さず、葡萄酒ワインは水で割って飲むのが当たり前だったのだ。



「酒を薄めずに飲むのは、蛮族の風習だったっけ? 麦酒エールが忌避されていた原因だよね」



「今では、どっちも飲むがな。旨いかどうか、あるいは酔えるかどうか、そこが一番の判断基準だな」



「そうだね。まあ、僕は雰囲気で酔える質だけど」



 ちなみに、アスプリクは酒に弱い。体が小さいということもあるが、かつては宴の席が大嫌いであったので、気分的に酔ったように感じてしまうのだ。


 シガラ公爵領での生活に慣れてしまい、酒も少しは飲めるようになった。


 あれほど嫌だった“誰かと杯を交わす”という行為にも、今ではすっかり平気なっていた。


 あくまで、気の合う知己とだけではあるが。



「まあ、苦手なのでしたら、やっぱり少し水で薄めましょう。水を取って参ります」



 そう言うと、クレミアは席を立ち、部屋を出て行った。


 ジェイクも席を立ち、部屋の隅にある棚から杯を取り出してきて、早速自分の杯に酒を注いだ。



「う~ん、やはりいい香りだな。味もさることながら、この香りもまたよい」



「葡萄の生産もね、術士を投入しようかって案も上がってるね。もっとも、酒の味が変わるんじゃないかって、酒造組合が難色示しているけど」



「まあ、麦とかの食べ物と違って、酒はかなり微妙な加減がいるからな。職人としては、慎重にならざるを得んだろう。一部の葡萄畑で試しにやってみる、くらいでいいのではなかろうか」



 どのみち酒の醸造には時間がかかるし、結果が出るのはかなり先になるだろうとジェイクは考えた。



「何事も、いい味が出るまでは時間がかかるものさ」



「酒も、人間も、ね」



「その通りだ。改革に戸惑ている人間もまた、いずれは必要な措置であったと理解が進むことを願うばかりだよ」



 そう言って、ジェイクは鼻を貫く香りに誘われ、ついつい杯に注がれた酒を飲み干してしまった。



「もう、ジェイク兄、そう言うのを抜け駆けっていうんだよ。自分だけ飲んじゃってさ」



 四人で飲もうとしていた酒を先んじて飲まれたことに、アスプリクは苦笑いをした。



 “カコンッ! ドサッ!”



 それはあまりに突然の事であった。


 酒を飲み干したジェイクが、急に崩れ落ちたのだ。


 持っていた杯を床に落とし、それに続くかのように体も床に投げ出された。



「……え?」



 あまりに突然のことに、アスプリクの頭が追い付いて来なかった。


 倒れ込んでいる兄の姿を呆然と眺めた。何がどうなっているのか、止まっている頭が徐々に動き出し、目の前の光景が現実のものであると認識した。



「ジェイク兄……?」



 口からは血が吐き出されており、重篤な状態である事は一目瞭然であった。


 なぜそうなったのか、それはまだ理解が及んでいなかった。


 ただ一つだけ確実な事がある。


 それは“ヒーサが用意した酒”を飲んだ途端にこうなった、ということだ。



「ジェイク兄!」



 アスプリクの悲鳴が響き渡るも、横たわるジェイクは何一つ反応を示さなかった。


 慌てて駆け寄り、その体を起こしてみても、ピクリとも動かない。吹き出した血で、アスプリクが汚れるだけであった。


 ジェイクの脈はすでに止まっており、完全に事切れていた。

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