11-6 教義違反!? なお、目の前には法王がいる!

 ヒーサから相手の動向を探るよう依頼されたアスプリクであるが、今の所は新法王ヨハネスの行動は極めて好意的にとれるものであった。



(僕の還俗に関して、咎の言葉は一切なし。邪魔なロドリゲスは遠ざけ、おまけに僕の“みさお”を奪った阿呆も左遷済み。出だしとしてはいい感じだ。早速だけど、性根の部分を見させてもらうよ)



 アスプリクはここで仕掛けた。


 懐から一つの小箱を取り出した。今ブームとなっている漆器の小箱であり、そこの中には、これまた朱で色付けされた漆器の箸が入っていた。



「では、早速だけど、食事をいただくとするよ」



 そう言ってアスプリクは、箸を使って目の前の料理を食べ始めた。


 現在、シガラ公爵領では食生活の大改善が行われており、エルフの食事を取り入れる事業が公爵肝いりで進められていた。


 味噌や豆腐などの大豆製品の普及、それを用いた料理の数々を広めており、徐々にだが浸透しつつあった。


 そして、“箸”の常用化にも力が注がれていた。


 そもそも音頭取りをしているヒーサの中身が戦国日本の“松永久秀”であり、この世界に来て特に嫌っていることは、素手での食事であったからだ。


 貴族の食事でさえ、手掴みで食するのが当たり前の世界であり、食事道具カトラリーと言えば汁物スープを食べるためのスプーンがある程度で、他は手で食するのが常識となっていた。


 これに変更を加えたのがヒーサだ。


 幸いなことに、エルフの社会においては箸が常用されており、そこから文化輸入をしたと言う体で勧め、食材、調理技術と共に食事作法も普及させると謳っているのだ。



(でも、これは立派な“教義違反”なのよね~。さて、これにヨハネスはどう反応する?)



 ちなみに、教団の教義においては、『神の慈悲により授かりし食物は、直接手に取りて直にその恩寵を感じるべし』とある。


 その教義があるからこそ、食事道具カトラリーが全然発達しなかった要因になっていた。


 しかし、ヒーサの行った宗教改革によりそうした風潮に大きな風穴が空き、徐々にだが箸を使う者が増えて来ていた。



(さて、シガラで巻き起こっているこの風潮、教団の法王としてどう切り返す?)



 友好的関係の模索と銘打ちつつ、かなり攻めの姿勢で挑むアスプリクであった。


 なにしろ、法王の前で堂々の教義違反である。今までならばただでは済まない案件だ。


 現に、部屋の中にいたヨハネスの近侍達もその点に思い至り、露骨に険しい顔となり、アスプリクを睨み付けてきた。


 ここで怒声の一つでも発しないのは、あくまでヨハネスの指示待ちといった体であり、その言動次第で一波乱あり得た。


 だが、ヨハネスはこれをも笑って返してきた。



「なかなか面白い趣向だな、アスプリク殿。どれ、その箸とやらの予備があるならば、いただこうか」



「お……」



 これは意外な返しが来たとアスプリクは感心した。



(これが“箸”だなんて一言も言ってないのに、箸だと理解していた。情報収集も怠りなし、と)



 さすがに分家筋とは言え、“知”の公爵家と名高いビージェ一門の出身だなと感心しつつ、アスプリクは念のために用意していた箸を差し出した。


 ヨハネスは箸を受け取ると、アスプリクの見よう見真似で二本の棒を震えながら扱い、手直に会った焼物の野菜をそれで摘まみ上げ、口へと運んだ。


 法王自らの、教義違反である。さすがに周囲も目を丸くして驚いた。



「ふむ、こういうやり方もあるのだな。元はエルフの作法だと聞いているが?」



「ええ、そうです。今、シガラ公爵領では叔母上が来られたのを契機に、エルフの食文化を普及させようとしています。箸もその一環で、手を汚さずに食事ができると、徐々に広がりを見せています」



「なるほど。教義や常識に縛られず、利となる事ならば率先して取り入れようとする。シガラ公爵らしいやり方だな」



「仰る通りです。伝統を重んじつつも、変えるべきところは変えていく。そうすることで、より深みのあるものが出来てくるものです」



 言葉こそ変えてあるが、アスプリクは食事の話題にかこつけて、“術士の管理運用”にまで踏み込んだ発言をしていた。


 これまでの教団は術士の管理を独占し、しかも戦力として前線に投入してきた。


 ところが、こうした現状に一石を投じたのがヒーサであった。


 ヒーサは禁を犯して術士を自領に呼び込み、戦力としてではなく、生産力向上の労働者としての運用を開始した。


 結果はめざましいものであった。農地や工房で働き始めた術士は、持ち前の術の力を使い、見事に生産性の向上に貢献し、ヒーサの目指した事案の有効性を示した。


 ただ、これは絵空事だと危険視する輩も多かった。


 と言うのも、術士を前線から下げてしまうと、対帝国の戦力低下をさせて、国境の守りを危うくしてしまうのでは、という懸念があったからだ。


 ところがこれをヒサコが解決してしまう。術士を率いず帝国領に逆侵攻をかけ、圧倒的大軍の敵方に対して大勝利を修め、堂々と凱旋したのだ。


 術士を揃えなくても十分勝てる、これを示したのだ。


 必要なのは銃器と大砲、それを有機的に運用できるよう玉薬かやくの確保と補給、これを揃えることができれば大丈夫だ、ということを示したのだ。



(そう。小競り合いとかじゃなくて、帝国と本格的開戦に至ったと言うのに、僕が後方待機していられるという事実。のんびり祭りに興じていられるのは、シガラ公爵家の兄妹による働きが大きい。さて、遠回しな言い方だけど、ヨハネスなら気付くだろうし、これにはどう返す?)



 返答次第では今後の動きが大きく変わる。


 呑気に食事をしている風を装いつつも、耳はヨハネスが発するであろう次なる言葉に集中していた。

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