10-40 出産! 約束された死産と、奪われし赤ん坊!(前編)

 悪魔のごとき奸智を巡らし、伴侶ティースの了承を得たヒーサは、来るべき日に備えて準備に勤しんだ。


 そうこうしているうちに一月ほどが経過し、いよいよティースの出産予定日が近付いてきた。


 そして、陣痛が始まると、準備が整えられた分娩室にいつものの顔触れが入っていった。


 室内にいるのは、出産するティースの他に、医者であるヒーサ、術士のマーク、それと“赤毛のトウ”の合計四名だけであった。


 公爵夫人の出産立ち合いの頭数としては、かなり控えめな人数であり、もう少し増やすべきではと、周囲から意見が出たほどだ。



「あ~、なんか初産と言う事で、ティースがメチャクチャ緊張しているみたいでな。良く知る顔触れだけで出産を行いたいんだとさ」



 これがヒーサの弁であり、周囲もそれに従わざるを得なかった。


 ヒーサ自身、腕のいい医者であり、母体を損なうことなく逆子を開腹手術で取り出すという荒行をこなし、今なお語り草になるほどに“お産の達人”として名を馳せていた。


 そうした事もあり、まあ大丈夫だろうと皆々納得した。


 しかし、それは表向きな理由であり、本当の理由はこの出産は“死産”が確定しているため、その裏事情を知られないようにするための措置であった。


 なお、遥か彼方のアーソ辺境伯領にて、ヒサコが“偶然”にもほぼ同時刻に陣痛が始まり、そちらでも出産のために分娩室にこもっていた。


 あちらの立会人はアスプリクとアスティコスの二名であり、ティースの出産よりさらに少なかった。


 さすがに人数を絞り過ぎではとこちらでも苦言が飛び出したが、エルフの秘事にて上手に取り出せる方法があるので、それを見せたくないのだと適当言って誤魔化し、この二人で赤ん坊を取り上げる事になった。


 もちろん、こちらも芝居であり、分娩室に入ってからは特に何かするでもなく、椅子に腰かけて、シガラ公爵領のティースの経過を待つばかりであった。


 片や別れが定められ、片や産みの苦しみの成果を奪うだけだ。同じ分娩室と銘打ちながら、雰囲気は真逆と言っても良い。



「さて、始めるとしようか」



 すでに陣痛が始まり、その間隔も短くなりつつあった。



 それどころか破水も見られた。



「あ、破水が思っていたよりも早いわよ。さっさと終わらせないと」



 トウもティースの汗を拭きながら、ヒーサに急ぐよう促した。


 もっとも、早く出てくるかどうかは母子の状態次第であり、医者を急かしたところで意味はなかった。


 陣痛が来るたびにティースは呼吸を荒くし、必死に痛みに耐えていた。


 かつて、この顔触れが出産に立ち会った時には、逆子でおまけに麻酔なしの開腹手術という、最高難度の出産をこなした。


 幸いな事に、今回はそんな難産ではなく、ごく普通の出産になる事はすでに胎児の状態からおおよその予想は付いていた。



「まあ、毎回あんな難産だったら、誰も子供を産もうなんては思わんだろうな」



 などとぼやきながらも、母体も対峙も損なわぬよう、ヒーサは細心の注意を払っていた。


 だんだんと陣痛の間隔が短くなってきており、子宮の収縮が始まっているのは感覚で分かった。


 徐々に赤ん坊が押し出されるように下がってきており、産道に頭を捻るように入って来た。



「よし、頭が見えてきたぞ。あと少しだ」



 陣痛の感覚も更に短くなり、胎児の頭も発露した。


 さああと一息だぞと、力む妻を励ましつつ、胎児の出てくる瞬間を待った。


 そして、頭、肩と続き、腹、足、初産にしては実に手早い出産となった。


 だがむしろ、生まれ落ちたこの瞬間こそ、芝居と別離の開始の合図だ。


 死産を装わねばならないため、部屋の外にまで出て行くであろう“産声”などは厳禁であった。



「大丈夫、すでに【防音壁サウンドプロテクト】の術式はかけておいたから、赤ん坊の声が漏れ出ることはないわ」



 女神トウは神としての力がほぼ封印されているが、情報系の術式に関しては制限がかかっていないものが多い。神の降臨を一般人から隠匿するために身分を偽称する必要があり、記憶の操作、改竄などを行うことが認められているからだ。


 音を消してしまうくらい、造作もないことであった。



「ホギャ~! オギャ~!」



 今、臍帯さいたいを切除されたばかりの赤ん坊は、元気よく泣き喚いている。生命の躍動を感じさせ、この世に生を受けた事への証と言えよう。


 だが、この赤ん坊は“すでに死んでいる”のだ。そうあらねばならない理由があり、これから死んでもらうことになる。


 トウが産湯に赤ん坊を付け、体を奇麗にしている横では、ヒーサが出産の道具類の中に紛れ込ませていた布で包まれた物体があった。


 改めてそれの中身を確認すると、それは“赤ん坊の死体”であった。



「領内くまなく、妊婦の情報を掴んでいるからな。やはり“医者”という身分は役に立つ」



 執務の合間を見ては良く巡察に出掛けていたのも、こうした領内の情報を収集するためでもあった。


 例の難産の成功もあって、ヒーサの下にはこの手の情報が舞い込みやすくなっていた。公爵に対して直々にお産を願いするなどとは恐れ多いと、領民もさすがに控えてはいたが、“お優しい領主様”は色々と世話を焼いており、その名声を盤石なものとしていた。


 だが、その裏で欲していたのは、“新生児の死体”の情報であった。


 偽装工作をより完璧なものとするため、生まれたばかりの子供の死体を求めた結果だ。


 今、布で包まれている調達してきた赤ん坊の死体も、つい先日マークが盗み出してきたものだ。産後まだ三日も経過していないものであり、擬装用の死体としては申し分ない状態であった。



「ここまで徹底するとは、ほんと恐ろしいわ」



 産湯でせっせと生まれたばかりの赤ん坊を洗うトウも、今回ばかりは擁護しようもなかった。


 その外道な計画を立てた男は、手際よく胎盤を処理し、まるで手慣れたように振る舞っていた。


 ティースはさすがに初めての出産直後とあってぐったりしていたが、マークが治癒の術式をかけているので、みるみるうちに回復していった。


 だが、自分の隣に置いてある赤ん坊は、すでに死んでいる。マークがこっそり“盗んで”きたことも知っているため、なんとも言い難い顔をしていた。


 齢十二の少年の手は汚された。なんと罪深い事なのだろうか。


 そして、自分もまた、御家の再興のため、我が子を犠牲とするのをよしとした。


 だが、言い訳や自己弁護をするティースではなかった。


 この状況を作ったのは間違いなく夫ではあるが、それをよしとして、受け入れる決断を下したのは自分自身なのだから。


 我が子は死産であり、同時に女としての、母親としての自分も死んだ。


 残ったのは、我欲に浸り、あらゆる犠牲を許容する、女領主としての醜悪極まる自分だけ。


 堪えてはいるが、それでも心は正直だ。“死んだ我が子”を見つめるその瞳からは、自然と涙がこぼれ落ちた。

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