9-41 敗戦処理! 皇帝は逆転を狙う!

 水鏡に映るその顔は無表情であった。


 すでに怒りを通り越し、あるいは諦観の領域に踏み込んでいるのかもしれない。


 少なくとも、黒衣の司祭カシン=コジにはそう思えた。



「それで、何か申し開きはあるか?」



 耳に響く声には、一切の波を感じない。むしろ、感じさせないと言った方が適切なほど、抑え込まれているとも言えた。


 そう、水鏡に移るのはジルゴ帝国皇帝“足利義輝あしかがよしてる”だ。魔王を称する、帝国最強の男である。


 今はここ最近の失態を全部披露し、その叱責を受けようとしているのがカシンの置かれている立場だ。


 叱責で済めばいい。むしろ、こうして水鏡を用いた遠距離通信などでなければ、腰に帯びた呪われし名刀『鬼丸国綱おにまるくにつな』で首を跳ね飛ばされているところだ。


 国境付近の町村がことごとく焼かれ、しかも“今も”王国側の襲撃が続いている状態だ。


 おまけに、集結した軍勢も二度の会戦での敗北によりその数を減らし、バラバラに離散した状態となった。


 人的な損失は五万とも、六万とも数える事ができ、容認できない損害を出していた。



「慣れぬ軍勢の指揮などをしたのが間違いございました。なにより、“松永久秀”を甘く見ておりました」



「当然だ。あやつが“操り人形”の一つや二つ、壊された程度で足を止めるとでも思ったか? それを理由にして、上手く立ち回るのが戦国の梟雄なのだぞ」



 ヨシテルにしても、古傷が痛む想いだ。


 かつての世界においては、没落した室町幕府を、足利将軍家を蘇らせようと、孤軍奮闘した。


 ある程度は成功を収め、諸大名への影響力を取り戻しつつあったが、結局はそれが煙たがられ、お飾りのままでいて欲しいと考えていた当時大勢力を誇る三好家と対立。


 その三好家によって殺害されるに至った。


 そして、その三好家の中心人物こそ、“松永久秀”なのだ。


 怒りと憎しみを抱えたまま冥府を彷徨っていると、何かの呼び声と共に、この世界に呼び出された。


 呼び出したカシンが言うには、松永久秀もこの世界に流れ着いており、ヒーサと名を変えて好き放題に暴れていると聞き知ったときには、かつての恨みを晴らす好機が来たと高揚した。


 だが、空回りする。兵を集め、憎らしい梟雄を取り囲み、徹底的に辱めた後にその首を跳ね飛ばしてやろうとしても、スルリと網の外へと逃れてしまう。


 これが我慢ならなかったが、ヨシテルとしても折角報復の機会を与えてくれたカシンの顔を立てない訳にもいかず、前線に出ずに兵の招集に力をいれてきたのだ。



「だが、それはことごとく失敗であった」



「はい。装備の差があるとはいえ、ここまで徹底されると、恐ろしさすら感じます」



「何度も言うが、あやつを侮るな。地獄の鬼すら、素足で逃げ出す外道の中の外道であるぞ。それを止める事が出来るのは、ただただ純粋な“力”のみだ」



「身に染みております。表面では法と理によって動いておりますが、それが邪魔となればすぐさま放り投げて、利を貪る存在である、と」



「分かればいい。外法者相手に、お行儀よく戦うなど、愚の骨頂と言わざるを得ない」



 忌々しくもあるが、怒気を発したとて相手の首が吹き飛ぶでもないし、ヨシテルは荒ぶっている感情をどうにか抑え込んだ。


 カシンもまた何度も頭を下げ、失態を詫びているし、挽回の機会を与える気にもなっていた。



「それで、カシンよ、今後はどうするつもりか?」



「兵を集めます」



「またか!」



 ヨシテルとしては、いい加減にしろと言いたくもなったが、結局のところ戦には兵は必要であるし、それは飲まねばならない事でもあった。


 本心から言えば、単身で王国領に斬り込みをかけ、相手を蹴散らしてやりたい気分であった。


 例え万の軍勢であろうとも、負ける気などはない。一人で十分だ。


 かつては二条御所を万の軍勢で取り囲まれ、衆寡敵せず、討ち取られる結果となってしまった。


 だが今は違う。魔王を名乗れるほどの力を、あるいは“呪い”を身に宿し、以前とは比べ物にならないほどの力を得た。


 それは帝国の猛者と幾度となく斬り合った結果、確信を得ていた。


 もう、恐れるべきは何もない。ただ、かつての恨みを晴らすだけだ。



「だと言うのに、また兵の招集とは……」



「理由は以前も話しておりますように、松永久秀はこの世界においてヒーサと名乗っておりますが、それは実体の伴わぬ幻のようなもの。妹として作り上げたヒサコなる娘と同一存在であり、その両方を“同時に”虜としなくては逃げられるからでございます」



 カシンはヒーサの能力をおおよそ見抜いており、ヒサコという分身体と入れ替わることにより、色々と策を弄しているところまでは考察できていた。


 幻術こそカシンの得意とする術式であり、このことには早い段階で見抜いていた。


 自分の使う術式とはまた違うものではあるが、“実体のある幻”であることは間違いなく、それが話を複雑にしていた。 


 入れ替われると言う事は、同時に捕まえねば逃げられることを意味する。


 “生け捕り”という条件がなければ、ヨシテルの言うようにこのまま攻め込んでもよかった。


 なにしろ、ヨシテルは今や間違いなく最強なのだ。


 ヒーサの持つ強力な手駒、アスプリク、アスティコス、マーク、黒犬つくもん、ルル、ライタン、そして、『不捨礼子すてんれいす』など、いずれも強力な手札であるが、一斉に襲われても勝てる自信はある。


 少なくとも、“マーク”と“不捨礼子すてんれいす”以外は、恐れるべき何ものもないとすら考えていた。



(あのマークとか言う小僧は、皇帝の持つ“能力スキル”との相性が悪すぎる。他の者ならばどうにでもなるが、こいつにだけは要注意だ。それに『不捨礼子すてんれいす』は紛れもなく、この世に存在してはならない神器の類だ。正体が掴めぬ以上、警戒せねばならない)



 はっきりと言えば、皇帝の力を以てすれば、“数は無力”なのである。


 前世においては数の力によって滅ぼされたヨシテルだが、この世界では違う。他の追随を許さぬほどの力を得ており、例え万の兵で取り囲もうとも、蹴散らすことは可能だ。


 この世界に存在する強豪であろうとも、油断さえしなければ勝てる。


 だからと言って、“無敵”と言うわけでも、“不死身”と言うわけでもない。


 ゆえに、それを覆す可能性のある、“従者マーク”と“神器なべ”には、最大級の注意を払っておかねばならなかった。



「しかし、それならば、攻め込んだ方が早いのではないか? 奴めはどこまでも逃げると言っても、強欲であることには変わりあるまい? 領民を殺し、領地を焼き払い、何より大切な茶畑たからものを踏み潰せば、怒って出てくるかもしれん」



「可能性はなくはないですが、弱いと思います。どれもいずれは作り直せるものですので、二度と手にはいなぬ、それこそ命を賭けてでも得ようとしているものを餌にしなくては、無駄骨に終わりましょう」



 そして、その『古天明平蜘蛛茶釜なによりもたいせつなもの』はこの世に存在しない。


 神の世界に召し上げられ、どこへ行ったのか行方不明であった。


 カシンは松永久秀がその“なにか”を探し求めていることまでは察していたし、それがこの世界にはないことにも勘付いていた。


 ゆえに、エサで誘き寄せるのは不可能だとも考えていた。


 兵を集め、逃げ道を塞いだ上で、ヒーサ・ヒサコを二人同時に取り押さえねば、練りに練った策が無駄になり、野望を叶える事すらできなくなるのだ。



「結局は、兵員が揃うまでは動くなと言うわけか」



「お気に召さないとは思いますが、兄妹揃って捕縛せねば、なんの意味もございません。そのための準備とお考えあって、どうか今のところは兵員集めを行うよう進言いたします」


 カシンとしては、それ以上の言葉が出てこなかった。


 生け捕りと言う絶対条件がある以上は、逃がさない算段の方が優先される。数の暴力で押し切り、取り囲み、二人同時に捕縛するのが一番早いと考えるゆえだ。


 皇帝ヨシテルとしては、さっさと斬り込んで結着をつけたいところであるが、松永久秀の持っているスキルがことごとく“逃げ”に特化した編成になっているため、まともな斬り合いに発展しない可能性が高かった。


 例え目の前に捉えたとしても、偽物として煙のように消えてしまうのだ。


 これではいくら戦っても意味がない。



「面倒な事よな。同時に捕縛せねば、いつでも逃げられるというのは」



「仰る通りかと。ですが、奴とて、不死身ではありません。人である以上、いずれはボロを出し、こちらの付け入る隙が出来ましょう」



「だが、奴は抜け目がない。なんとかなるのか?」



「ないのであれば、作るだけでございますよ、隙を。フフッ、やはり私は表で知恵を巡らせるよりも、裏で影のごとく振る舞うのが性に合っておりますので」



 カシンもまた、次なる策を動かすために、闇に潜るのであった。


 失態の数々も、一度の成功でひっくり返すことは、まだまだ可能なのだ。


 これより“暗殺者”あるいは“幻術士”同士の殺し合い、騙し合いが始まろうとしていた。

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