9-30 泥沼! ずっぽりハマってさあ大変!

 川と山に挟まれた狭隘な戦場は、両軍の怒声、あるいは銃声が響き渡り、王国、帝国の双方の将兵が死闘を演じていた。


 引き撃ちカウンターマーチで牽制を入れつつ、距離を保とうとする王国軍。


 これに対して、邪教の信徒たる『六星派シクスス』の術士を並べて、術式で壁を作り、ジワジワと詰め寄る帝国軍。


 どちらも決め手、決定打に欠ける状態が続いていた。


 そんな中、飛竜ワイバーンに跨り、上空から戦場を見渡していた黒衣の司祭カシン=コジが突如として、帝国側から見て左手にある川に降りていった。


 しかも位置的には王国側後方の場所にである。


 指揮官が単騎で、しかも敵側の割と近くに降りたのである。当然、王国側右翼もその姿は確認できたが、ヒサコからの指示はない。


 なにしろ、ヒサコは先程までここらにいたのだが、炎の壁を作るべく友軍隊列を端から端まで馬で駆け、今は反対側の左翼側の隊列の方にいたからだ。


 どうするべきかと王国軍右翼側の将兵は迷ったが、結局はヒサコの指示通り、前面の敵に集中することを選び、カシンを警戒しつつも基本的には無視した。


 敵将捕縛の好機と見て、襲い掛かって来るかと思っていたカシンにとっては、なんだか肩透かしな気分となった。



「フンッ! 反対側に駆けたのが裏目に出たな!」



 戦場の反対側、山寄りの方にいるであろうヒサコを嘲り、カシンは今の戦場にかけている“決定打”を繰り出すため、川の中へと入っていった。


 カシンは漆黒の法衣が濡れることなどお構いなしに川へと入り、膝下辺りまで水に浸かってしまった。衣服が水を吸い上げ、その重みと水の冷たさがジワッと体に伝わって来た。


 それに気にもかけず、カシンは術の準備に取り掛かった。



「水よ、水よ、水よ。我が意に従え。流れを変えよ。満たせ満たせ、全てを覆え。血も肉も、全てを流し尽くせ、【大津波タイダルウェイブ】!」



 力ある言葉が意味を成し、そして、世界に干渉した。


 川の水がまるで意思を得たかのように唸り声を上げながら、王国軍の右翼に襲い掛かった。


 突如として発生した大波に王国軍右翼は大いに乱され、荒れ狂う波に足元を掬われ、転倒する者が多数発生した。


 また、ヒサコが作り出した炎の壁も、押し寄せた大波によってあっさりとかき消されてしまった。神官らにおおよそ消されていたが、これにより完全に鎮火した。


 何より問題なのは、水を思い切り被った事により、火薬が湿気ってしまった。こうなっては、銃器はまともに使うことができない。


 少なくとも、川寄りに展開していた部隊は、これで射撃を封じられたことを意味した。


 ここに、カシンは勝機を見た。



「左翼! 結界を解いて全速力で駆け寄れ! 中央も左翼寄りに戦力を集中させよ! もはや銃で弾幕を張って防ぐことはできん! 距離さえ詰まって乱戦になってしまえば、純粋に数の押し合いだ! 勝てるぞ!」



 カシンの【念話テレパシー】を聞いた帝国左翼側の神官らが、展開していた壁を消し、それに合わせて左翼側の部隊が雄叫びを上げながら突っ込んでいった。


 なにしろ、今まで散々銃撃を加えられてきたのである。神官らの壁で防いでいたとは言え、元々血の気の多い連中が一方的に攻撃され、反撃も許されない状況が続いていたのだ。


 それがようやく解消され、攻撃命令が下ったのである。我先にと王国側右翼へと斬り込んでいった。


 これに対して、王国側右翼は使い物にならない銃兵隊を下げ、代わりに槍兵隊を前面に出し、素早く槍衾を形成した。


 ここで、両軍ともに、思わぬ誤算が生じた。


 先程カシンが放った大波によって足元がぬかるんでしまい、両軍揃って動きが鈍くなったのだ。


 横陣全体の内、川寄りの三分の一が沼に近い状態になってしまい、泥濘が両軍の移動を困難にした。



「むむ、しまったな。火薬を湿気らせればよかったのだし、今少し威力を絞ればよかったか」



 とはいえ、足場が悪い状態であるならば、軽装の方が動きやすくて有利となる。帝国軍の大半は軽歩兵であり、そう言う意味においては有利と言えなくもなかった。


 動きは鈍くなったが、銃火器は濡れて使用不能になったため、結果としては悪くない状況となった。


 これで情勢は動くと判断し、カシンは乗っていた飛竜ワイバーンの側に歩み寄り、いそいそと跨り始めた。



「まあ、良いわ。王国軍が無様に殲滅される様を、上空からじっくりと観察しておこう。これで皇帝に対しても、言い訳が立つレベルでの挽回ができる。松永久秀を捕縛し、“例の計画”を実行に移せるのだし、今までの損害は目を瞑れよう」



 そう考えると、カシンの顔には自然と笑みがこぼれてきた。


 なお、ヒサコの捕縛は、現時点では不可能であった。


 そもそも、このヒサコはスキル【投影】で生み出された分身体であり、いざ捕縛の段になれば、魔力供給を切って存在を消してしまえばいいだけであった。


 実体があるとはいえ、“幻”を捕まえる事など、出来はしないのだ。


 問題があるとすれば、ティースの腹の中の子供も消えてしまうため、現在、松永久秀の頭の中にある計画を修正しなければならないことだろう。


 だが、そうした事は無用の心配であった。


 なにしろ、ヒサコには、“松永久秀”には、現在の状況は“予想の範疇”であり、すでに先回りの策を仕込んでいたからだ。


 カシンのいる方向とは逆。戦場の反対側、山寄りの場所で動きが生じたのだ。


 事前に用意しておいた一手。それは帝国軍を、カシンを心胆寒からしめるに十分すぎる一手となった。


 王国軍の左翼、帝国軍の右翼がそれぞれ存在し、その向こう側には生い茂る山林が存在した。


 傾斜がそれなりにあり、なにより樹木が密に林立しているため、踏破はできそうにないと思われたが、それは擬態であった。


 突如として数十本の木が次々と倒れ、斜面の一部があらわになった。


 何事かと帝国軍の山側にいた右翼部隊は、絶句した。


 その傾斜に実に三十門以上の大砲が並べられていたのだ。


 わざわざ山の傾斜に砲台を設置し、しかも樹木で覆って、分からないように隠匿していた。


 上空からの監視にも、分からないほどによく隠されていた、王国側の切り札であった。


 これにカシンは反応できない。なぜなら、動きがあったのは山寄りの方面であり、川寄りの、しかも地上に降りていたカシンには、その動きが分からなかったためだ。


 姿を現した大砲。それらはあらわになると同時に、真正面にいる帝国軍一斉に向かって、一斉に火を噴いた。

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