8-41 防げ! 悪役令嬢暗殺、断固阻止せよ!

 状況は逼迫していると言っていい。


 前には魔王を名乗るジルゴ帝国の皇帝の親征が迫り、後ろは対立する教団勢力や反発する諸侯がいる。


 数々の改革のおかげで味方も多いが、それ以上に敵が多い。


 状況はとても楽観視できるようなものではなかった。



「まあ、そうカリカリするな。ティースの反撃には少々面食らったが、なにも対処法がないわけではない。少し時間を稼げば、収まるべきところに収めてみせるさ」



「本当に?」



「ああ。それまでお前にはやってもらいたい事があるがな」



 その時点でもう嫌な予感しかしなかった。テアの記憶の中において、目の前の男が頼み事をしてくる際は、必ず後からとんでもない結果が付いてくるのだ。


 テア自身には被害がないが、周囲がとんでもないことになるので、正直受けたくはなかった。


 そして、今回もまた、やはりとんでもない事であった。



「なぁに、お前に頼みたいのは、これから夜伽を任せるということだ」



「却下に決まってるでしょ!」



 予想の斜め上を行く申し出に、テアはさすがにキレた。



「なんでそういう話になるのよ!?」



「暗殺対策。一人で寝るより、探知系ならば術式の使えるお前と一緒にいた方が安心できるからな。で、一緒にいるのならば、“ついで”に女の悦びを教えてやろうと言う気遣いだが?」



「どこが気遣いよ! 完全に欲望まっしぐらじゃない! それについでってなによ、ついでって!」



「極めて合理的な理由だと思うのだが?」



「知るかバカ! 一人で眠って、公爵様の寝台は広くて大きいってことを、孤独と添い寝しながら実感してなさい!」



 テアはプイッとそっぽを向き、怒りを抑えるために何度も深く呼吸をした。


 なお、ヒーサはそんなテアの姿を見ながらますます笑うのであった。



「まあ、ティースが孕んでいると言うし、なにより関係が破綻して修復の見込みもなさそうだしな」



「余計こじらさせてどうするのよ。嫁がキレてそっぽ向いたからって、すぐに別の女連れ込むとか、それこそナルやマークを差し向けられる切っ掛けにもなりかねないわ」



「その間、ヒサコは安泰だ」



「あ、そういうことか。って、んな理由で納得するとでも思っているの!?」



 そう言うと、テアはしゃがみ込み、ヒーサの陰に“手を突っ込んだ”。まるで水面に手を差し入れるかのごとくズブズブと手が入り込み、それを引っこ抜くと、仔犬の首を掴んでいた。



「ギャヒンギャヒン!」



「そんなに添い寝の相手が欲しいんなら、この子でどうぞ! いざ戦闘になった際には、こいつの方が役に立つからね!」



 テアは影の中に潜んでいた黒犬つくもんを引きずり出し、それをヒーサに差し出した。


 ヒーサはそれを両手で抱え、それから自分の膝の上にその矮躯を乗せた。



「仕方ないな~。黒犬つくもんよ、しばらくは私と共に眠るとしよう」



「アンッ!」



 威勢の良い鳴き声を発する黒犬つくもんの頭を撫でてやると、それに応えて黒い尻尾をブンブン振り回した。


 テアの言う通り、黒犬つくもんは【隠形】を極めており、気配を消すことに関してはもはや完璧と言ってもよかった。事情を知る者以外には、本当にただの仔犬にしか見えない。


 仮に連れ立って歩いていたとしても、公爵と愛玩犬の散歩にしか映らないことだろう。


 護衛としては、これ以上にない存在と言えた。


 ナルとマークが襲い掛かって来たとしても、返り討ちにできることは間違いない。



(だが、問題はヒサコの方だ)



 はっきり言えば、縛りが増えたと言える。


 ティースの腹中には子供がおり、それは分身体を介して作ったため、存在があやふやなままだ。魔力供給を切ることによって消してしまった場合、赤ん坊もまた消えてしまう。


 少なくとも、確たる生命体としてこの世に生を受けるまでは、分身体ヒサコを消してしまうのは避けねばならなかった。


 そのうえで、遠方にいるヒサコを操作しつつ、暗殺を防がねばならない。しかも、黒犬つくもんがこちらにいる以上、ヒサコは無防備に等しいのだ。


 自分とティースの間に生まれてくる子供には、“利用価値”があるからだ。


 その価値を考えると、無碍に消してしまうのはあまりにも惜しい。そうヒーサは考えていた。


 分身体を消すと言う手段が取れない以上、防がなくてはならない。


 刺客を送りそうな輩はそこかしこにいる。


 これをどう防ぎきるのか。少なくとも、子供が生まれるまでは分身体を消せないので、それを過ぎるまでどうしのぎ切るのか、ヒーサは仔犬を愛でながら思案に耽るのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る