8-18 売りまくれ! 商売上手な公爵様!
「ですが、ヒーサ、やはり金をかけ過ぎでは? 売れるのかどうかも分からない品に、ここまでの大掛かりな設備を投じるのはどうかと思いますよ」
資材の浪費に当たらないのか、そうティースは夫に疑義を呈した。
そもそも、ここにいるほぼ全員が“茶”について知らないのだ。薬だ、飲み物だと聞かされているが、その実態は把握していない。
そんな意味不明な作物を育てる畑に、通常の畑を造成するのに比べて金銭に換算すれば、百倍近い額を投じているのだ。
“公爵夫人”として、伴侶の無駄遣いを見過ごすことはできなかった。
だが、ヒーサは心配するなと言わんばかりにニヤリと笑った。
「安心しろ、ティース。確かに、かなりの金額を投じたが、茶葉の生産が始まると同時に、一気に取り戻せるぞ」
「何か秘策でも?」
「ああ。茶の湯を指南する道場を立ち上げ、“ニンナ式
言っていることがまったく理解できなかった。
ヒーサの説明が異次元過ぎて、その場の誰もが首を傾げた。唯一理解していたのはテアだけで、またかと言わんばかりの引きつった顔をしていた。
「つまり、だ。今、漆器作りにしろ、陶磁器作りにしろ、目の前の茶畑にしろ、そのすべては“茶の湯”を興じるために用意した物だ。そして、準備が整った段階で、こう噂を流す。『シガラ公爵殿は“茶の湯”なるものに首ったけで、これを共にできる相手を探している』とな」
「あ、そっか。前にヒーサに教えてもらった茶の湯に使う道具って、全部ヒーサの息のかかっている工房でしか作成できない。つまり、公爵と趣味友になろうと考えた場合、どう考えてもヒーサの手掛けた工房から道具を買わないといけないから、後は勝手に金銭が落ちてくる!」
ようやくヒーサの言わんとしたところを理解し、ティースは目を丸くして驚いた。
今やヒーサはカンバー王国一の金持ち貴族であり、その権勢は留まるところを知らぬほどの拡大を見せている。当然、そんな大貴族とお近づきになりたい者はいくらでもいるのだ。
茶の湯なるものが大好きだと知れば、お近づきになるために茶の湯を始める者が出てくる。その際、購入する道具は、そのすべてがヒーサの息のかかった工房を経由しなくてはならないのだ。
釜や風炉、火箸などは鋳物師がいれば作れるだろうが、台子に使う漆器はシガラでしか生産していない。茶碗や水指などの陶磁器はケイカかアーソで作るしかなく、そこは第一王子アイクの領域、つまりその“妻”となるヒサコの差配が及ぶ場所なのだ。
そして、茶葉はここ、目の前にあるカウラの茶畑しか存在しない。適性地が見つかれば、茶畑をさらに作ることも考えているが、どのみち『促成栽培装置』がなくては栽培ができないため、結局はヒーサの匙加減一つでどうとでもなってしまうのだ。
つまり、飛ぶ鳥落とす勢いのヒーサと仲良くしようと思えば、茶の湯を習得して茶会に招くか招かれなければならない。
しかし、その道具一式は、ヒーサの息のかかった工房でしか生産していない。
ならば、多少の出費があろうとも、道具一式を揃えなくてはならない。
「とまあ、こういう考えを持つ輩がいくらでも出てくるだろう。茶畑単体では、大きな赤字となるが、茶事全般で収支を見た場合、大きな黒字となる。それに、茶葉自体、ここでしか作れない物だし、ちょいとふっかけてやってもいいかな。フフフ、これで私の下にますます“金銭”と“人脈”が集中するというわけだ。理解できたかい、ティース?」
考え方のスケールの大きさに、ティースはただただ驚くばかりであった。
ヒーサとティースの視点の差とも言える。ヒーサが常に戦略レベルでの思考を進めているのに対して、ティースは戦術レベルでの判断が多い。
無数の事象を紡ぎ合わせて、全体の流れを読み解く夫の先見の明に、言葉が浮かばなかった。
「それと、だ。ティースだけでない。ここにいる主だった面々にも、茶事を指南するつもりでいる。茶の湯の広がりと共に、茶の湯を学ぼうとする者が増えてくるからな。私一人でそれらを指南するなど不可能だ。よって、何名かによく指南して、茶の湯の先生の免状を与えるつもりでいる。貴族や名士の先生役になれるのだ。悪い待遇ではないぞ」
このヒーサの言葉に場が湧き立った。
たしかに、貴族相手に芸事や武術の先生を務める者はいる。歌謡や舞踊、音楽の他、剣や槍、あるいは弓術に砲術、馬術など、指南役として貴族に召し抱えられる者も数多い。
それに今度は“茶事”が加わると言うのだ。
もし、ヒーサの計画通り、茶の湯が流行すれば、それを教えてもらうために指南役の話がいくらでも舞い込んでくるというものだ。
稼ぎとしては悪い話ではなく、またヒーサとの繋ぎ役も兼ねているので、その点でも役得を期待できると言うものであった。
「そういうわけだ! それもこれも、この茶畑が早く青々と茂り、茶葉の生産が始まって、初めて実体あるものとなるのだ。だから諸君、なんとしてもこの茶栽培事業、成功させるぞ!」
「「「はい!」」」
ヒーサの呼びかけに、威勢のいい返事が返ってきた。
無論、茶の何たるかを理解していない者ばかりなのだが、なんだか楽しい事になりそうだとは肌で感じることができた。
なにより、ヒーサより示された、貴族や名士の指南役というのは何とも魅力的であった。人脈が広がり、上手くすればどこかの名家に、士官やらお抱え家庭教師になれることすら有り得るのだ。
これはなかなかに楽しい未来予想図であった。
もちろん、このままヒーサの下に留まり、茶の関連事業で業績を上げて、大成するという道もある。
どちらに進んでも、悪い話ではないのだ。
場の空気は皆のやる気で満ちていき、士気がモリモリ上がっていくのを、ヒーサは肌で感じ取って、満足そうに頷いた。
そんなヒーサに、少し醒めた視線を向ける者がいた。テアだ。
(そうか。【大徳の威】を捨ててでも、茶の木の入手に拘ったのは、これが目当てだったのね。今、王国内では漆器がブームになっている。おそらくはこの流れのまま、次は陶磁器を拡散させる。そして、満を持して茶の湯を世に送り出し、王国に対して“文化的侵略”を志すつもりね。徳はもう十分に溜まったから、今度は財力と人脈、そして、“数奇の力”で触手を伸ばしていく。良く考え付くわね)
テアは感心しつつも、同時に呆れてもいた。
なにしろ、“魔王”という脅威が迫る中にあっても、やっぱりやっていることは“国盗り”であったからだ。
もちろん、利点がないわけでもない。一国丸々自分の色で染め上げれれば、魔王に対する強力な組織を立ち上げることもできるだろう。
だが、それもあくまで、時間的猶予があればの話である。国を乗っ取り、まとめ上げ、その上で魔王と対峙するのには、あまりにも猶予がないのだ。
なにしろ、魔王を名乗るジルゴ帝国の皇帝は、すでに国内をまとめ上げている段階である。
一方のヒーサは、これから乗っ取る段階だ。どう考えても、体制を整える時間が足りないのだ。
さて、ここからどうすることやらと不安を感じつつも、場に水を差さないよう、テアは無言で湧き立つ周囲の人々を眺めるのであった。
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