7-73 葬送! 茶の湯で送る死出の旅路!

「ほんと、思い切ったことするわね。いくら茶の木が欲しいからって、Sランクのカードを捨てるとか、普通ありえないもの」



 うっかり失ったとかではなく、わざと壊したのだ。


 テアとしてもそんな行動をした相方は初めてであったし、それすら策に紛れ込ませる目の前の英雄に興味以上の何かが芽生え始めた。



「まあ、それはそれとして、茶の木が手に入っても、すぐにはダメね」



 ヒサコの視線の先には窯があった。湯を沸かせ、茶葉をぶち込む、かなり雑なやり方であった。



「でも、茶を用意って言ってるけど、そんな雑なやり方だっけ?」



「準備ができてないからね。蒸してもいないし、丸めてもいない。臼も挽かないし、摘みたての茶葉を煮立たせる。まあ、この喫茶のやり方は大昔のやり方よ。それこそ、陸羽が登場するより、さらにずっと前の茶ね」



「陸羽?」



「唐代の文筆家であり、『茶経・三巻』を世に送り出したお茶の神様よ」



 ヒサコにとってグツグツと煮立つ茶は、本来のやり方ではないのだが、このエルフの里の流儀に敢えて合わせた、粗雑なやり方で茶を淹れようとしていた。


 本来ならば、茶葉は収穫前に被覆して日光を遮り、それから手摘みして乾燥させたり蒸したりしてから臼で挽くものなのだが、さすがにそんな時間などありはしなかった。



「陸羽は唐代の文筆家で、お茶に関する著書を残した。そこには茶のすべてが網羅されていると言ってもいいわ。茶の木の事、製茶のための道具、製茶に関する注意事項、喫茶の道具に関する用法や注意事項、果ては茶の点て方、飲み方、茶葉の産地、それらの論拠とした史料の明示。これを読み解けば茶のすべてが分かる。後々の茶文化にまで大きな影響を与えたわ。それまでのただの茶飲みが、これを境に文化へと昇華した瞬間とも言えるわ」



「なるほどね~。茶人にとっての聖典を著した人ってことか、その陸羽って人」



「そう。日ノ本には嵯峨天皇に振る舞われた記録が最古のものだけど、本格的に広まったのは禅が隆盛していく過程で、栄西が広めていったわ。酒飲みが過ぎた源実朝に、薬と言う体裁で勧めてね」



「ああ、そういえば薬として最初は広まったんだっけ」



「まあ、その後は酷いもんよ。喫茶は武士や庶民にも徐々に浸透していくのだけど、その過程で“闘茶”ていう産地銘柄当ての博打が流行した。風紀を乱す元だってことで、茶が目の敵にされ、危うく茶文化が廃れかけたりもした」



「博打が絡むと、ろくなことないもんね」



「そんな中にあって、茶の湯の、“侘茶わびちゃ”の開祖である村田珠光むらたじゅこう殿が茶のあり方を体系化し、我が師である武野紹鷗たけのじょうおう先生に引き継がれて、侘茶が連綿と受け継がれていった。その後は“ワシ”が死んでしまったから分からんが、同門の与四郎かノ貫へちかんが侘茶を更なる高みへと導いたであろうな」



「口調が素に戻ってるわよ~」



「おっと、いかんいかん。つい茶に関する事となると、な」



 茶の湯の先を見れなかったのは“松永久秀”にとって痛恨の一事であるが、この異世界で喫茶文化を浸透させるという別の楽しみも生まれていた。


 とはいえ、目の前の窯の中身は、はっきり言って茶と呼ぶのもおこがましい、茶葉から緑が溶け出しただけの液体であった。


 そもそも、茶葉からして劣悪であった。エルフは茶の木を墓標にしていたと言うこともあって、剪定などの手入れは一切なされず、ありのままの姿をしていた。枝は伸び放題であり、これでは良質な茶葉など望むべくもない。



(でも、ここから始まるのよ。この世界の茶文化はあたしが始め、あたしが体系化し、みんなで茶を飲むことを楽しむ文化を創り出す!)



 そう考えると、目の前の出来の悪い茶も許せると言うものだ。


 最初から、万事が上手くい事などないのだ。これから着実に一歩ずつ進めていき、楽しい楽しい抹茶ライフをキメるのだ。


 そんな楽しい未来予想図を描くヒサコとは対照的に、もはや絶望と後悔しか残っていないアスティコスが戻ってきた。


 その顔はすでに涙が枯れ果て、普段の見目麗しい姿がどこにも見受けられないほどにクシャクシャになっていた。


 そして、その手には何も残っていなかった。先程まで抱えていた父親の首がその手から離れ、大地がそれを受け止めてくれたことだろう。


 そんな傷心の女エルフに対して、ヒサコは出来上がった茶の湯を杯に注ぎ、それを差し出した。



「プロトスは最後の瞬間までエルフの矜持を通した。ならば、その死出の旅路をエルフの流儀で見送るのもまた、彼への手向けじゃないかしら?」



 エルフの文化では墓標となる茶の木から茶葉を得て、それを飲むことで死者との対話を図ると言う文化が存在していた。


 その流儀に従ってこそ、あるいはプロトスも迷うことなくあの世へと旅立てるのではないか。


 ヒサコなりの気遣いであり、アスティコスはその杯を受け取った。


 グイっと飲み干し、少し落ち着いたのか、ほぅ~っと息を吐いた。


「お休み、父さん。どうしようもない最後だったけど、私はあなたから、里から巣立っていきます」



 見上げる空の先には、まだ煙と炎が見え隠れしており、里での惨状が思い浮かぶ。あそこに戻って死を迎え入れれば、どれほど楽なのだろうかと思いたくなる。


 だが、それは許されない。今更自分が死んだところで、もとの平和な里が戻ることはないし、死んであの世とやらで父や里の人々と顔を合わせても、どの面下げてと罵られるのに決まっている。


 ならば、生きて、生きて、生き抜いて、自分と姪、たった二人の里の残滓がどういう結末を迎えるのか、それをしかと見届けようと決意した。


 喫茶による葬送も、その切り替えのための儀式なのだ。



「さて、それじゃあ行くとしましょうか。手に入れる物は手に入った。あとは凱旋するのみ」



 ヒサコは持ち帰るべき荷物を『軽量化の布ライトクローク』に包み、それを担ぐと、黒犬つくもんに跨った。


 来たときは黒犬つくもんを使えなかったので徒歩での行進であったが、帰り道はその縛りがないため、森の境界までは素早く移動できる。


 ヒサコに続いてテアも跨り、アスティコスも怯えながらどうにか乗ることができた。



「よし。みんな乗ったわね。んじゃ、帰りましょうか、公爵領わがやに!」



 ヒサコの掛け声とともに、黒犬つくもんは駆け出した。


 歩くよりも断然早いが、やはり乗り心地は悪い。森を踏破するために悪路をジグザグに進むという、振り落とされそうな激しい走行であった。


 ヒサコは後ろを振り向くと、テアもアスティコスも自分と同じく必死で黒犬つくもんの獣毛を握り、しがみ付いていた。


 そして、そのさらに後方には燃えるエルフの里が煙を上げていた。



(国破れて山河在り。城春にして草木深し、ってとこかな。ああ、悠久なる深き森にも、峰火連なる世の哀れ。さらば、森の守護者よ、灰の中から再び芽吹け)



 焼ける森を眺めつつ、魔王だった黒い犬に跨って、ヒサコは果て行く聖地を後にした。


 懐かしの我が家に向けてひた走り、念願の茶栽培は手の届く所まで来ていた。


 一客一亭の詫び寂びの茶席にて、果たして何が起こるのか、それはまだ誰にも予測はできないのであった。



      【第7章『墓荒らしの聖女』・完】

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