7-10 宥めよ! 嫁の視線が痛いんだが、どうにかならないだろうか?

 シガラ公爵の屋敷に主人であるヒーサが帰還した。アーソ辺境伯領において変事が発生したと報告を受け、急遽編成した部隊を率いての慌ただしい出立であったが、数々の武功を立て、華々しい名声を手にしての堂々たる帰還である。


 ただし、“現在のヒーサ”は偽物であった。いつものようにスキル【投影】と【手懐ける者】を用いて、遠隔操作を行っている分身体に過ぎないのだ。


 今の本体はヒサコの方であり、不在を取り繕うために、分身体を用意して領内の政務や各勢力との交渉を進めるつもりでいた。


 領主としての仕事は戦も収まった事であるから安定するであろうし、激しく動き回る予定もないため、分身体での偽装で十分だと判断したためだ。


 一方、ヒサコが進んでいるネヴァ評議国での活動は、何かと気難しいと聞かされる森妖精エルフとの交渉や危険な道中のことを考え、本体の方が機敏に動けると判断。ヒサコを本体、ヒーサと分身体、これで活動することにしたのだ。


 実際、予想通り、領内は安定し、そして湧き立っていた。領民も、家臣も、諸手を挙げての歓迎ムード。ヒーサの成した武功に酔いしれ、誰も彼もが祝ったのである。


 だが、そんな雰囲気などどこ吹く風か。ただ一人それに納得していない者がいた。


 他でもない。ヒーサの妻であるティースであった。



「では、色々とお伺いしましょうか」



 ヒーサの執務室において、不機嫌さを隠そうともせず、ティースがヒーサへ鋭い視線に質問を乗せて、容赦なくぶつけてきた。


 机を挟み、椅子に腰かけて相対する二人。ヒーサは落ち着いてはいるが、ティースはこれから合戦でも始まるのかと思うほどに殺気立っていた。


 それだけではない。ティースの後ろには従者であるナルとマークの二人も控えており、こちらも不満げな表情を浮かべ、主人に追随するがごとくヒーサを見つめていた。


 そして、その不機嫌さの理由を、ヒーサは誰よりも理解していた。


 この場にいない妹ヒサコと、すぐ横に腰かけている愛人(?)アスプリクについてであった。


 ヒサコはティースへの無礼の廉を咎められ、一時的な追放処分となっていた。正確には、ヒーサが求める“茶の木”を手にするまでは戻って来るな、という命が下されていた。


 もっとも、これはヒサコが遠出しても怪しまれないための措置であり、裏の事情を知る者からすれば、またか、程度の話に過ぎない。


 しかし、ティースの視点で見れば、ヒサコの冒険は危険極まりない旅路であり、むしろ道中で“不慮の事故”にでもあってくれればいいのにと、本気で考えていた。



「まずはヒサコについてお尋ねしますが、あの無礼者が“聖人”指定を受けるなどという話が出ておりますが、これはどういうことでありましょうか?」



 言葉遣いこそ丁寧であるが、その端々には殺意に等しい気迫が散りばめられていた。戦場帰りのヒーサですら尻込みするほどの圧がそこにはあった。



「まあ、当然だわな。無礼の廉で追放した義妹が、いきなり聖女様とは納得しかねるだろうよ」



「当たり前です! 最初、その話を聞いた時は、教団に対して『正気ですか?』と手紙を書きそうになりましたよ!」



「さもありなん。推薦した私としても、よもやここまですんなり話が進むとは思ってもみなかった。まあ、宰相閣下の提案であったヒサコとアイク殿下との婚儀を成そうとした場合、これが唯一かつ最短だと思ったからなのだがな」



 第一王子と公爵令嬢、見栄えとしてはなかなかに良さそう組み合わせなのだが、そのヒサコの方には“庶子”という余計な物がついているのだ。


 婚外子は神の祝福を受けぬ者として粗略に扱われるのが常であり、それが公爵令嬢と言えど王子と婚姻を結ぶことに難色を示す者が出てくるのは確実であった。


 しかし、“聖人”認定を受けて、聖女となれば、そうした悪意ある反対を消し去る事に繋がる。そう考えたからこそ、ヒーサはジェイクに対して教団に“聖人”認定を薦めるように働きかけたのだ。



「そもそも、なぜアイク殿下とヒサコの婚儀を進めるのですか! ヒサコの性格の危うさは、ヒーサが一番ご存じでしょう!?」



「それについては反論のしようもないのだが、アーソの地の安定化のためには必要不可欠なのだ」



「それは分かります。孫の代で復活させようと考えれば、ヒーサの考えが最適解でしょうね」



「おや、それほど深く話してはいなかったが、そこまで洞察していたとは上出来上出来」



「当然です。状況的には私の境遇とそっくりなんですから!」



 ティースとしても、カインの現状を自分に照らし合わせてしまい、同情を覚えていた。


 というのも、あらぬ罪を着せられて右往左往しているところに、強引に横槍を入れられて領地を失う。これはカインにもティースにもあてはまることなのだ。


 ティースは今でも毒殺事件は冤罪だと思っており、父は濡れ衣を着せられたと考えていた。


 一応、カウラ伯爵領はまだ“名義の上”では自分の物なのだが、すでにナルの報告から徐々に統治のためと称してシガラ公爵家の人間が入り込んできており、浸食される一方なのであった。


 明らかな格上に嫁いだ上に、毒殺事件の損害賠償をちらつかされてはやむを得ないことでもあるのだが、領地が完全に奪われるのもすでに時間の問題となりつつあった。


 一方のカインも“黒衣の司祭”の企てた陰謀に巻き込まれ、結果として領地と嫡男と言う掛け替えのないものを失ってしまった。


 ティースもカインも残されたのはその身一つであり、自分が、あるいは娘が子をなして、それが実質的に没収された領地に返り咲くことを考えねばならないのだ。



「アーソはジルゴ帝国と国境を接する緊要地であるからな。領主にしろ、代官を派遣するにせよ、こうした事件があった以上、より“能力”と“信頼性”に足る者を配置しなくてはならん」



「それでしたら、サームを仮措置とはいえ、当地に置いているではありませんか。そのまま代官になさってはどうですか?」



「サームはダメだ。軍人としては極めて優秀であるが、軍人の型にはまり過ぎている。軍事のみならず、政務や民事にも明るい人物が必要だ。場所が場所だけに、高度な柔軟性を維持できて、臨機応変に対応できる人物がな」



「それがヒサコだと!?」



「ああ。ヒサコの性格の悪さは、ティース自身が一番理解しているだろう? 軍務に関することはこのままサームに任せて、それ以外の点をヒサコに任せようと思っている。看板は、あくまでアイク殿下であるが、その下で実務を執り行うのはヒサコとサーム、そういう感じで行こうと考えている」



 こうまで言われると、ティースも反論しにくいものがあった。


 ヒサコの性格の悪さと言われれば、まさに自分の受けた仕打ちの数々があり、今度はそれを外国に向けると言うのだ。他家に嫁入りして、自分の側から完全に離れると言うのであれば、それに越したことはない。むしろ万々歳であった。


 しかし、その他家というのが、王家という点が問題であった。


 ヒサコは“庶子”であり、立場や世間体としては悪い。それを解消するための“聖人”認定であり、それさえ成ればアイクとの婚姻も問題なく進むというものであった。



「どうも~。聖女になったヒサコです。お義姉様、これからは気軽に“聖女ヒサコ様”と呼んでもらってもよろしくてよ。今後ともよろしくね~♪」



 満面の笑みを浮かべて、そんなことを言ってきそうなヒサコを想像し、ティースは背筋が震え出した。いくら有効とは言え、“アレ”を聖女としてしまう神とは一体なんであるのか、目の前にいたら直接問い質してみたいと本気で考えた。



「……ヒサコの件は理解しました」



「納得はしてなさそうだな」



「それは不可能です。ヒサコを聖女として崇めるくらいなら、魔王にかしずいた方が遥かにマシな気がしてきます」



「そこまでか。聞けば、魔王も喜ぶだろうよ」



 ヒーサとしては苦笑いするよりなかった。よもや、ヒサコが魔王よりもティースに嫌がられるとは、思ってもみなかったからだ。



(まあ、それはそれで成功と言えるかな)



 ヒサコはあくまでヒーサに向くであろう悪意ヘイトを防ぐ盾であり、そういう意味では役目を十全に果たしていると言えたからだ。


 一人二役の面倒な小芝居も、しっかりと実りがあると言うわけだ。



「……まあ、ヒサコの件はそれでよしとしましょう。次にですが」



「あ、まだ続くんだ」



「当たり前です!」



 バァンと勢いよく机を叩くティースの視線は、アスプリクに向けられていた。


 アスプリクはのほほんと構えているが、ティースは真剣そのものであった。



(ヒサコは外に出ているからよしとしても、こっちの方が深刻かもしれんな)



 ヒーサは“妻”と“妾”の関係の難しさを、今更ながらに感じていた。


 なお、アスプリクとは“謀議”を重ねたことはあっても、“逢瀬”を重ねた覚えは一切ない。あくまで“共犯者”であって、“側室”や“愛妾”などではないのだ。


 無論、裏の事情を話せるわけでもなし。どうにかしてごまかす必要があった。



(むしろ、ヒサコの件よりも面倒かもな)



 ヒーサは突き刺さる嫁の視線に肩をすくめつつ、これを言いくるめるために全力で頭を働かせるのであった。

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