6-16 埋伏! 届いた矢文には毒が仕込まれている!

 ヒーサの放った矢文は高い城壁を飛び越え、アーソ辺境伯の城館の内側へと飛び込んだ。そのまま地面へと真っ逆さまに落ちていき、城内の通路に落下した。


 城兵の一人がそれを回収し、急いでそれを城壁上にいたヤノシュへと届けられた。


 括り付けられた手紙を開封し、中身を見たヤノシュは、ほう、と感嘆とした。


 手紙の冒頭には、血生臭い戦場でのやり取りとは思えぬほどに、流麗な挨拶の文言が書き込まれていた。知性や礼節をしっかりと身に付けたと思われる文章に感心しつつも、その辺りはさっさと読み進めて、肝心な情報の記載に目を通した。


 ここで、ヤノシュには重要な情報が手に入った。


 まず、義兄弟である王国宰相ジェイクが殊更心配しており、できうる限りの擁護を行う準備があること。さらには、場合によっては教団側との対立も辞さない覚悟であり、その専権事項である“術士の管理運営”に関する権利にも手を突っ込むことにも前向きと伝えてきた。



(これは大きい! 上手くすれば、我が家が罪に問われることなく、王国側に復帰できる!)



 ヤノシュは喜びのあまり手が震え、危うく読んでいた手紙を落としてしまいそうになった。


 そもそも、今回の謀反の件は“術士の管理運営”という教団側の専権事項に違反し、一領主が術士の存在を隠匿して運用を試みたことにあるのだ。


 教団側にしてみれば、自分達の関知しない術士は全員“異端者”であり、討伐の対象と成り得るのだ。個人の案件であれば異端審問官と付属の武官を派遣するだけで済むが、貴族が絡んでいるとなると領内の掃除も必要となってくるため、より大規模となる。


 場合によっては王国側への協力要請が必要となり、実質的には謀反の鎮圧となる。今回の場合が、まさにそれなのだ。


 だが、そもそも“術士の管理運営”を教団が独占的に行うことが特権になり、あまりに巨大な富と力の集約をもたらす結果となった。王国からの不入の権を手にすることとなり、それが横暴さとなって行き過ぎた収奪を行うという愚行を生み出していた。


 アーソ辺境伯のみならずとも、教団に反感を抱く者は多い。たまたま、アーソの領主も住民も教団の仕打ちに対して我慢の限界を超えてしまい、さらに隠匿の情報が外部に漏れ出たため、今回の謀反の騒ぎとなったのだ。


 もし、その専権事項が無くなると言うのであれば、隠匿の罪は消えてなくなると言ってもいい。もちろん、騒動を引き起こした件の罪は問われるであろうが、それは宰相とシガラ公爵が全力で擁護するというお墨付きを、この手紙のよってもたらされたのだ。



(感謝する、ヒーサ殿! よもやここまで骨を折っていただけるとは!)



 城壁の向こう側、小さく視界に映るヒーサに対して、ヤノシュは無意識のうちに頭を下げた。妹クレミアによってもたらされたジェイクとの縁故、ヒサコを挟んだヒーサとの繋がり、それらが最大の危機に際して、いよいよ効力が発揮されたと言う感じであった。


 何がどう災いし、あるいは幸運をもたらすのか、運命の気紛れなることにヤノシュは笑わざるをえなかった。


 しかし、手紙には不穏な内容も書かれていた。


 すなわち、セティ公爵家が裏でビージェ公爵家と結託し、シガラ公爵家を弱体化させようと謀っていると言うことだ。


 現在、シガラ公爵家は『シガラ公爵毒殺事件』によって急な代替わりを余儀なくされており、しかも本来なら跡継ぎにならなかったはずに、次男坊であるヒーサが当主の座に就くこととなった。


 一時的ではあるが家中は騒然となり、勢力が減衰する結果となった。


 しかし、ヒーサの類まれな人心掌握術と、花嫁であるカウラ伯爵ティースの領地財産を“実質的に”強奪することによってその穴埋めを行った。


 また、“漆器”を始めとする新規事業にも力を入れ、社交界での評判を上がってくると、セティ・ビージェの両公爵家は警戒を抱くようになった。


 そこに『ケイカ村黒犬騒動』が勃発。シガラ公爵家への干渉する切っ掛けとして、この事件の裏で両公爵家が結託を始めたのだ。



(なるほど。リーベはセティ公爵家の出だ。それをネタにヒサコを処断すると強引に進め、ヒーサ殿への交渉カードにするつもりであったのか。やってくれる!)



 ヤノシュは上機嫌から一転して怒りに心が満たされてしまい、手紙の端がクシャクシャになるくらいに強く握ってしまった。


 なにしろ、その騒動に巻き込まれて、回り回ってアーソ辺境伯領がとばっちりを受けた格好になってしまったのだ。


 ヒサコと懇意にしたがために色々と嗅ぎ回られ、ついには隠遁者の村に関する何かを掴まれてしまった。


 ヒサコと懇意にしたことは間違いだとは思っていない。ヒサコにしてやられたことを過剰に恨み、過激な報復に出てきたリーベと、それに便乗した教団や両公爵家にこそ怒りを覚えた。



(そもそも、ヒサコは悪くない。ヒサコがもたらしてくれた情報があったからこそ、上手くヒーサ殿と連携が取れたのだ。さらに、動きに慎重であった宰相閣下も動かしてくれた。これ以上に臨むべくもない協力者ではないか!)



 ヤノシュのヒサコに対しての評価は高い。一緒に過ごしてきた時間はそれこそ半月にも満たない時間ではあるが、その行動力も思考力も群を抜いており、自分など及びもしない天才だと感じていた。


 しかも、そのヒサコが掛け値なしに評価する兄ヒーサもまた、噂に違わぬ傑物であった。現に追い詰められたアーソ辺境伯領を救うために裏に表に奔走し、無謀な賭けからどうにか勝負になる程度には盤面を動かしてくれた。


 言葉では偉そうな事をしたり顔で言い放つ者は多いが、その多くはそれに見合う行動が伴っていない場合が多い。


 しかし、眼下の貴公子は想定以上の動きを以て“誠意”を示し、危機的状況を救ってくれた。


 もう、ヤノシュの頭にはヒーサへの感謝と信頼で埋め尽くされており、よもや自分どころか国中をペテンにかけようなどとは微塵も考えていなかった。


 そして、手紙は今後の指示についても記載されていた。


 曰く、このまま教団への干渉を強め、状況をひっくり返したいのだが、あまりにも時間が少なすぎるということだ。


 実際、教団は強大な力を有し、それに追随する貴族も多い。王家よりも教団を敬う輩もまだまだいる。これを王家と共に討滅するなり恭順させるには時間がかかるのだ。


 そのため、ギリギリまで工作は続けるが、いざとなれば“ヒサコの作戦”のままに、誘い込んだセティ公爵軍を三方向より攻撃するかもしれないと述べていた。



(いや、これは当然か。リーベはセティ公爵家の出で、そのセティ公爵家はビージェ公爵家と繋がった。そのビージェ公爵家は教団内で、大きな勢力を張っている。教団の力を弱めると言うことは、両公爵家の勢いを削ぐと言う意味だ。揉めることは必至か)



 つまり、ヒーサはセティ公爵軍を粉砕し、その勢力を弱め、しかる後に交渉の席に無理やり座らせる腹積もりだとヤノシュは受け取った。


 悪くない策であるし、ある意味で順当な手順ではあるが、同時に大きな疑問が生じた。



(セティ公爵軍を殲滅するのは良いにしても、どのような言い訳をするつもりだ? 理由もなく王国貴族同士で戦うなど、他の貴族からの信用を失うことになりかねん。大義のない戦は賛同を得られず、貴族社会においての孤立を意味する。いかに王家が協力的とは言っても、無茶が過ぎる)



 そこがヤノシュにとっての不安であった。おそらくは何か腹案あっての攻撃示唆なのであろうが、ヤノシュにはそれがなんであるのか見えてこなかった。


 しかし、ヒーサへの信頼感もあり、その点は目を瞑ることにした。


 そして、手紙は次の言葉で締めくくられていた。



「最終的な打ち合わせは必要であろうから、近いうちに矢文をもう一度撃ち込みますゆえ、その際に直接対話の出来る席を設けようと考えております。リーベが口やかましく何か言ってくるやもしれませんが、黙らせる方法はありますので、その点はご信用あって我が陣に赴いてください」



 直接の交渉や対話と言うのであれば、ヤノシュも文句はなかった。むしろ、ヒーサの人となりをさらに深く認識しておきたいとも考えていたため、直に会える機会は望むところであった。


 リーベと言うお邪魔虫の存在はさすがに無視するわけにもいかなかったが、そちらはどうにかすると手紙で示されており、ならば大丈夫かと近いうちの会談を承諾した。


 決断すると、そこからのヤノシュの動きも早かった。


 近くで構えたまま待機していた銃兵に命じ、ヒーサを銃撃するように命じた。もちろん、当てるつもりなどなく、微妙に外れるように撃たせた。


 狙い通り、ヒーサの乗る馬の近くに着弾。馬が再び暴れ始めたが、これもヒーサが上手く手綱で制御し、事なきを得た。


 それを見計らって、ヤノシュは叫んだ。



「公爵よ、随分となめた態度をとってくれますな! こんな愚にもつかぬ条件で、我々が開城するとお思いなのか!?」



 演技ではあるが、決してそれを悟らせまいと、ヤノシュは怒りをあらわにした表情を作り、ヒーサを威圧した。


 と言っても、小芝居で騙すのは目の前の軍に混じっている異物リーベであり、その後ろにちらつくその実家の連中だ。


 そして、ヒーサもまた、ヤノシュの“否”の態度を以て、“了”の採択を感じ取った。



「それがそちらの選択か! 後悔しても知りませぬぞ!」



「くどい! 我らの想いに変化はない! さっさと攻め込む準備でもすることですな!」



「よろしい! ならば、次は戦場にて銃火を交えましょうぞ!」



 ヒーサは馬首を返し、自陣の方へと戻っていった。


 そんなヒーサの背中をヤノシュはジッと見送り、その姿が陣の中に溶け込むまで眺め続けた。



(よし! これで騙せたな!)



 ヤノシュは芝居が上手くいったと確信し、それから兵士達に警戒態勢のまま待機の命を改めて発してから、父カインの下へと走っていった。


 事後承諾となるが、ヒーサとの接触と情報の入手、さらにジェイクとの連携を見据えた今後の動きを頭の中で描きつつ、閉じかけた未来が開き始めたことを感じていた。


 だが、ヤノシュは気付いていなかった。自分がリーベを騙すために一芝居打ったと思っていたが、ヒーサはヤノシュを騙すために一芝居打っていたということを。


 優しく差し伸べられた右手の裏で、左手に短剣を隠し持っていることなど微塵も考えていないかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る