4-23 社交場! そこは華やかなる知的空間!

 ヒサコがアイクにエスコートされて入っていった建物の中は、まさに別世界であった。閑静な温泉村とは思えぬほどの、煌びやかな空間が広がっていた。


 天井にはシャンデリアが室内を照らし、いくつものテーブルの上には酒や料理が並べられていた。ここまでなら普通の宴会場と変わりないのだが、そこは社交場サロンである。いくつか相違点が見られた。


 まず、所狭しと並べられた芸術品の数々だ。社交場サロンは芸術家達にとって、自作をお披露目する場所でもあり、アイクの差配によって陳列が許されていた。


 来客にそれを見せ、気に入ってもらえれば購入という流れだ。



(なるほど。脇にあるいくつかの小部屋は商談用の部屋なのね)



 ヒサコは建物の構造をざっと眺めて、そのように理解した。


 芸術は非常に金がかかる。顔料から道具類まで、絵師にしろ、彫刻家にしろ、それらを揃えなければ仕事にならない。ゆえに、作品が売れたり、あるいは後援者パトロンとなる貴族や富豪がいて、初めて成立する商売なのだ。


 この村ではアイクが代官を務める傍ら、そうした芸術家達に作品発表の場を提供し、世に出る切っ掛けを与えていた。現に、この社交場サロンから外の世界へと飛び出し、大成した芸術家を幾人も輩出していた。


 そのため、芸術家達は素晴らしい作品を世に出すだけでなく、それを巧みにアピールして、作品あるいは自分自身を売り込まねばならないのだ。


 そうしたこともあって、大広間の横には小部屋がいくつもあり、何かしらの商談を行えるようになっているのだ。



(雪舟の墨絵も素晴らしかったし、狩野永徳や長谷川等伯の作品も部屋に飾ってみたい逸品だったわね。ああいう絵や屏風、欲しいなぁ~)



 ヒサコの目には壁際にずらりと並べられた芸術品の数々に、早速心を奪われた。いずれは茶室に飾る掛け軸や置物など、手に入れたい物は山ほどあるのだ。


 工房アトリエに注文を出し、その品を受け取れる日はいつになるだろうか。考えを巡らせるだけで、全身が歓喜でゾクゾクしてきた。



「ヒサコ、どうかしたかね?」



 呆けた顔で壁に並ぶ芸術品を眺めていたヒサコは、アイクの一言で現実に戻ってきた。コホンと軽く咳払いをして、アイクに笑顔を向けた。



「いえ、素晴らしい絵画や調度品に目を奪われておりました。どれも部屋に飾っておきたいですわ」



「おお、それは結構なことだ。案内しよう」



 アイクに案内され、飾られてた芸術品を見て回ることとなった。


 神話や伝説を題材モチーフにした絵画から、美男、美女の裸像、あるいは壁掛けタペストリーなど、どれもこれも素晴らしかった。


 それぞれの作者がここぞとばかりにアピールしてきて、作品に込められた意味や、用いた技術などをこれでもかと言うほどに説明してきた。


 当然、説明にも熱が入る。なにしろ、ヒサコがシガラ公爵家のお嬢様だということは、とっくに知れ渡っているためだ。


 公爵家に納入されたとなれば、芸術家としては箔が付くし、あわよくばそのままお抱えとなれるかもという思惑もあった。



(これよ、これ! こういうのでいいのよ、こういうので!)



 はっきりと言えば、ヒサコの中身である松永久秀は歓喜に打ち震えていた。


 前の世界でも、転生してからも、策を弄し、血を浴び、阿鼻叫喚の世界を闊歩してきたのだ。のんびり茶や芸術に打ち込めた時間など、ごくごく限られたものであった。


 そのため、こうして芸術品をのんびりながめて、酒と料理に舌鼓を打つのはまさに理想の生活と言えた。


 すでに、公爵の地位は手に入れてある。財は十分に確保し、芸術を愛でるための準備は整っている。あとは、“茶の木”の種さえ手に入れば、念願の喫茶文化も芽吹かせることができるのだ。


 もはや“魔王”などという余計なものさえどうにかなれば、理想の生活が送れるのだ。



(そう。茶を嗜み、芸術品を愛で、美しい女性達に囲まれる。最高ですか~? 最高ですぅ~!)



 理想の生活に向けて、条件は整いつつある。自然と笑みがこぼれてくるものだ。


 そうしているうちに、ぐるりと一周してしまった。さすがに即日購入とはいかなかったが、相手もそれは重々承知していることであった。


 ヒサコは旅の途中であり、荷物になるような芸術品の持ち運びは難しいことを知っているからだ。あるとすれば、旅の帰り道にまた立ち寄ってもらって、購入と言う流れだ。



「兄にお勧めしておきますわね」



 とりあえずはこの一言だけでも、芸術家にとっては収穫なのだ。ヒサコに顔と名前、作品の良し悪しを把握してもらっていれば、公爵の耳にも届く可能性がある。


 いずれ実際に公爵自身が足を運んでもらうのが一番だが、それは無理でもヒサコが再び買い付けにやって来ることもあるのだ。


 なお、ヒサコの方も買う気が満々なので、いずれ本格的に工房アトリエに注文しなければならないと考えていた。


 芸術品の鑑賞会が終わると、次に待っていたのは、他の来客との挨拶を兼ねた会話であった。


 こちらもまた、重要な案件であった。


 ケイカ村の温泉客は貴族や富豪ばかりである。そうした人々との顔繫ぎは、社交に出る者としては、当然やっておかねばならないことであった。


 王都での結婚式後の宴席においてもそうであったように、こうした人脈の作成と言うのは、何はさておき最重要なのだ。


 中には王都で出会っていた者も混じっており、再び巡り合えたことに感謝しつつ、談笑を続けた。


 そうした輪の中に、今度は詩人や作家も加わってきた。文字を用いる芸術家達だ。


 驚くべきことに、彼らはすでに短歌を覚えていたことだ。先日、ヒサコが短歌を贈り、アイクが返歌を紡いだ、そうしたやり取りがあっただけであるのに、もう彼らは覚えていたことになる。


 出処は当然、アイクの口からであろうが、すでに韻を踏んで楽しく歌う事を習得していたのだ。



「まあ、皆さん、お上手ですわね。新しいやり方にもう馴染まれて……。ああ、でも“季語”が抜けているものがございますわね。そちらを意識して詠まれた方が、より深みを得ますわよ」



「“きご”とは?」



「季節を表す言葉のことですわ。短歌は一場面をスパッと切り抜き、それを三十一音で表現します。どのような場面か、それをより分かりやすく、それでいて深みを与えるのが季語です。要するに、どのような情景かを表す、その季節特有の言葉、とでもお考え下さい。先日、殿下にお贈りした歌には、“梅の花”を用いていました。梅の花は春先に咲きますゆえ、その頃の風景が思い浮かべやすいでしょう?」



 ヒサコの説明を聞き、一同はなるほどと納得した。


 それにより再び歌を談じる場が華やかとなり、思い思いの歌を綴った。



「フフッ、やはりヒサコは文化的な素養の懐が深いな」



「いえいえ、皆様の熱い情熱に、こちらもついつい熱が入ると言うものです。まだまだお教えすることもございますが、此度はこれくらいで」



「おお、まだあるのか。それは楽しみだな」



「はい、まだ旅の途中ゆえ、旅立たねばなりませんが、また歌を詠み合いましょうか」



 アイクとしては、このままヒサコと芸術に華咲かせる時間を過ごしたいと考えているが、公爵の命で動いている以上、長きにわたり呼び止めるわけにもいかなかった。


 だが、“また”という次回の約を取り付けれたのは大きかった。やはり、ヒサコも自分のことを気にかけてくれている。そう確信を得る材料を提示されただけでも十分であった。


 焦ることはない。じっくり良い関係を築いていける。アイクは今まで感じたことのない充足感で満たされていた。

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