4-10 祟り神! 襲い来るは赤き瞳の黒い犬!

 谷間に朝日が差し込み、僅かに残る朝靄あさもやをかき消さんと、輝きが増していた。ケイカ村の中央を流れる川は静かな音を湛えつつ流れている。


 その脇道を荷馬車が一台、村奥に向かって進んでいた。


 荷台に乗っているのは、ヒサコとテアであり、馬の轡を掴んで進んでいるのはヨナだ。


 向かう先は、もちろん村の奥部にある窯場だ。


 現在、ヒサコの知る限りでは国内唯一の陶磁器の生産施設となっている。



「そう言えばさ、あんまし深く考えてなかったけど、“陶器”と“磁器”ってどう違うの?」



 揺れる荷馬車の中、テアが何気なしに尋ねると、ヒサコが目を輝かせながらにじり寄ってきた。



「え、何? 知りたい!? 知りたいの!?」



 思う存分語りたい、そう言わんばかりのヒサコの輝く瞳に、テアは気圧されて頷いてしまった。


 好事家が趣味の道具を話したい。そういう気配が漂っており、こりゃ長くなりそうだなと、テアは苦笑いしつつ、尋ねたことを後悔した。



「ざっと言うとね、どちらも釉薬を使うんだけど、器の“厚み”が違うわね。完成品が、肉厚で叩くと鈍い音がするのが陶器、薄手で金属みたいな音がするのが磁器よ。窯の焼成温度が、磁器の方が高温だって聞いたことがあるわ」



「焼き加減が違うのね」



「完成品の透明度や吸水性もね。陶器の方が吸水性が高いから、ちゃんと手入れしないとすぐ汚れがたまる原因になる。一方、磁器は水を含まないから、手入れが簡単よ」



 ヒサコもかつての世界では様々な陶器、磁器に接してきており、にやけながら思い出していた。



「なら、全部磁器にしちゃえばいいじゃん。手入れが簡単なら」



「んなもん、できるわけないでしょ。磁器は焼成温度が高いから、作るのが大変で、日ノ本だと磁器に適した土もないから作れもしない。だから、磁器は基本的に舶来品で、値段も高い。唐土もろこし景徳鎮けいとくちん暹国シャム宋胡禄すんころくなんかが持て囃されたわ」



「窯だけじゃなくて、材料も違うんだ」



「ただ、陶器は厚手だから、熱が伝わりにくく、湯などの熱い物を入れる際にはこちらの方がいいわ」



 テアはそう説明され、湯呑を思い浮かべた。自分の知る限り、陶器は熱くなりにくいから把手がない。一方の磁器のティーカップには把手が付いている。


 そういう違いがあるのかと、いたく感心した。



「で、結局のところ、どっちを作りたいの?」



「基本的には陶器かしらね。磁器だと、材料の問題があるし。ここでは磁器を生産しているって言ってたから、材料が調達できたんでしょうけど、公爵領に適した材料があるかは、ちゃんと職人呼んで領内の山々を調査しないといけないしね。どのみち、陶器造りにも粘土はいるし、帰ってから大忙しになるわね」



「大変ねぇ~」



「茶人ゆえ、致し方ないわよ。喫茶の普及のためなら、なんでもやるわ」



 実際、本気で何でもやているから恐ろしいところであった。また妙な事でも起きなければいいなとテアが思っていると、早速と言わんばかりに変事が悲鳴と共に飛び込んできた。



「ぎゃぁぁぁ!」



 谷全体に響くかと思われるほどの大きな悲鳴が、村の奥部から飛んできた。悲鳴の発信源は、おそらく窯場の方だとすぐに分かった。



「え、何? 事故?」



 テアは慌てて幌から顔を出し、前方にある窯場の方を見つめた。



「……戦の匂いがするな~、こりゃ」



 同じく顔を出したヒサコは、渋い顔をしながら汗を垂らしていた。何度も感じたかつての感覚、匂い、間違いなく戦場のそれであった。



「山から獣でも飛び込んできた!?」



「それはない。それだと、やられ方が一方的すぎる。ほら、みんな逃げ出してる!」



 ヒサコの指摘通り、遠目には窯場にいる職人達が、蜘蛛の子を散らすように慌てて逃げている様子が飛び込んできていた。


 窯に火入れしている間は、必ず火の番を置き、温度を保たねばならない。その仕事を忘れるほどの、異常事態が発生しているということだ。



「どどど、どうしましょうか!?」



 当然、荷馬車は一旦停止し、ヨナは逃げる人々を見ながら尋ねてきた。さっさと逃げ出したい気分であったが、貴人に仕える者としての矜持がそれをギリギリ押しとどめていた。



「もちろん、前進よ。王子や職人を見捨てるなんて論外だわ!」



 ヒサコはヨナにそう指示を出すと、馬車に積んでいた荷物をひっくり返した。


 そして、積んであった護身用の武器を取り出した。愛用の細剣レイピア、そして、燧発銃フリントロックガンだ。



「弾も火薬もあんまし持ってきてないけど、非常時だしね」



 前進を再開した馬車の中、ヒサコは急いで弾と火薬を装填し、いつでも撃てるように準備を整えた。



「あ、いた! あそこだわ!」



 テアもいつの間にか手にしていた望遠鏡をのぞきながら、逃げ惑う人々を見ていると、ようやくアイクの姿を確認した。


 病弱なのに無理して走っているせいか、表情がかなり厳しそうだ。



「生存確認ね。あとは殿下を拾って……」



「待って! 窯場から飛び出してきたわ!」



 テアは望遠鏡の先を窯場の方に向けると、どす黒い何かが雄たけびを上げているのが見えた。周囲の建物の大きさから、馬よりもさらに一回り大きい黒い獣のようだ。


 そして、その姿を視認するなり、周囲に聞こえるくらいの舌打ちをした。



「まずい、まずいわよ! あれ、悪霊黒犬ブラックドッグだわ!」



悪霊黒犬ブラックドッグってなに?」



「黒犬の姿をした化け物よ。周囲に恐怖をまき散らし、血肉と魂を食らう悪霊。はっきり言って、この村の装備じゃ、壊滅させられてもおかしくない」



 テアの表情は厳しくなる一方だ。まさかこんなのどかな温泉村に、あんなとんでもない化け物が現れるなど、考えもしていなかったからだ。



「しかも、周囲の建物から察するに、通常個体よりも二回りくらい大きい。もしかすると 王侯ロード級かもしれない。あれ一体で完全武装の兵士千人を超える戦力になるわよ」



「そこまで強いの!?」



「だって、物理攻撃通用しないもん」



「えぇ……」



 テアの説明に、ヒサコも絶望した。いくらなんでも、攻撃が通用しない相手には勝ち目がないからな。剣で切ろうが、銃で撃とうが効果のない相手など、今の今まで戦った経験がないのだ。



「退治する方法とかないの!?」



「術士がいる。それもとびっきり強力なのが!」



「アスプリク、もしくはマークか……」



 白無垢の少女と、不愛想な少年、二人の“魔王候補”がヒサコの脳裏に浮かんできた。どちらもずば抜けた才を持つ術士であり、ヒサコも認めるところであった。


 だが、その二人は当然ながら、今この場にはいない。



「他に、他に対処方法はないの!?」



「祝福儀礼を施した、銀製の武器でもあればダメージは通せるけど……。あとは、食事中。食べている時は実体化しないといけないから」



「胃袋に収まる段階なら、もう手遅れよ!」



 実際その通りであった。ムシャムシャ食べられている段階で攻撃が通りますなどと言われても、どう考えても手遅れだ。


 判断に悩んでいると、黒犬の視線が逃げるアイクの方を向いた。間違いなく、次なる獲物を見定めた雰囲気であった。



「ええい、仕方ない。このままじゃ全滅だし、一か八かの博打に出ますか!」



 どうにか考えがまとまったヒサコは、当たるはずのない弾丸を黒犬に向けて放った。バァンという火薬の爆発音とともに、弾丸が銃口から黒犬に向かって飛んでいった。


 当然ながら射程距離範囲外。どうあがいても命中するような距離ではなった。


 だが、音は谷間に反響して黒犬に伝わり、ヒサコに視線を合わせてきた。血を溶かし込んだような真っ赤な瞳であり、まとう黒い気配オーラも相まって、背筋を震わせるのに十分であった。



「殿下! 怪物はこちらで惹き付けますゆえ、お引きあれ!」



 勇壮なヒサコの声が辺りに響いた。銃を構え、化け物相手に一歩も引かずに戦う姿勢は、遠目からでも分かるほどに胆力に満ちていた。


 元々体の弱いアイクも必死で逃げてはいるが、やはり体が言うことを聞かず、息も絶え絶えだ。だが、ああまでして献身による惹き付けの囮役まで買って出たのだ。ここで倒れては末代までの恥だと、気力を振り絞って逃げた。



「あれじゃ、どのみちもたないわね。ヨナ、あなたは殿下をお願い。あの黒いワンちゃんは、あたしとテアでどうにかするから!」



「だ、大丈夫なんですか!?」



 ヨナとしても、黒犬に睨まれているこの状況さっさと逃げ出したかったが、残る二人でもどう考えても難しい話であった。食い殺される未来しか見えない。


 その後は、自分がかみ砕かれる未来も見える。どう考えても、この状況は打開できない。



「いいから。秘中の秘を使うのよ。巻き添えになるから、さっさとどいてって事!」



 口を動かしつつも、ヒサコはすでに次弾装填を終わらせていた。


 この胆力と言い、戦場に場慣れした雰囲気と言い、ヨナはヒサコがただのお嬢様ではないと感じた。ならば、この場は引いて、任せるしかないと考えた。



「では、お任せいたします。お気を付けて!」



 ヨナは馬車から全速力で駆けて離れ、少し離れたところを逃げるアイクの所へ向かった。


 その際、黒犬の視線がヨナの方を向いたが、ここで再びヒサコが銃撃を行った。銃撃音が再び響き渡り、黒犬の視線もヒサコに戻った。



「フフフ……、嫌悪感ヘイトを稼ぐのは、あたしの得意技よ」



 いまだ硝煙噴き上げる銃を手に、ヒサコはどうだと言わんばかりに黒犬を挑発した。



「で、挑発したはいいけど、あいつを倒せるの!?」



 テアの心配ももっともであった。相手は物理攻撃の通じない霊体。攻撃を通すためには、術か、祝福儀礼を施した特殊な武器でも用意するしかない。


 あるいは、実体化する食事時を狙うかだ。


 はっきり言って、どれも厳しいと言わざるを得ない。



「言ったでしょ? 秘中の秘があるって!」



 ヒサコはニヤリと笑い、再び玉と火薬の装填を急いだ。


 そして、黒犬は雄たけびを上げた。まだ距離が空いているというのに、その叫びの振動は心を大いに揺さぶってきた。



「震えるね~、魂の底から。本気で怖いと感じるのは、久方ぶりだわ」



「だ、大丈夫なの!?」



「なるようにしかならない。ままならないからこその、人生ってやつよ!」



 ヒサコが再び銃を構えると、それを待ちわびたかのように黒犬も駆け出した。


 馬より大きな黒い犬が、吹き抜ける風のような速さで二人に迫った。


 もう逃げることもできない。倒すか、食われるか、そのどちらかの道しかないのだ。

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