3-37 追及! ヒサコ、お前はやり過ぎた!

 公爵家の屋敷の廊下を三人の男女が歩いていた。すれ違う下男や女中は道を開け、廊下の隅に頭を下げた。かなり不機嫌そうな御夫人の神経を逆撫でしないよう、通り過ぎるのを待った。


 この三人は公爵夫人のティースと、その従者であるナルとマークであった。


 三人が赴く先は公爵ヒーサの執務室。あまりに傍若無人なヒサコの所業を断罪するため、ヒーサが一席設けてくれたのだ。



「ヒーサも随分とご立腹でしたね。明確に“処分”という単語を吐いていましたし」



 ティースとしては出会ってからずっと嫌がらせと屈辱的な敗北を何度も味合わされ、昨夜に至っては結婚初夜を台無しにされるなど、怒りを通り越して殺意すら抱いていた。


 それはナルやマークも同様であった。主人であるティースの顔に泥を塗り、自身も色々としてやられた経緯があった。


 とにかく、ヒサコをどうにかしたいが、相手は公爵の妹であり、結局のところ、ヒーサが首を縦に振らないことにはどうしようもないのだ。



「……で、ようやく公爵様も重い腰を上げられた、と」



 ティースの話では、ヒーサもさすがに昨夜のことには怒っているようで、いよいよ本気でヒサコを罰する気になったのだと、ナルは判断した。


 随分と回り道をしたが、ようやく真っ当な生活をおくれるのかと安堵した。



「まあ、とりあえずは、どんな罰が下されるのか、見守ることとしましょう」



 マークとしてもヒサコにはしてやられた口なので、いなくなってくれるのであれば最高であった。


 そうこう不満や怒りを吐露しながら廊下を歩き、執務室の前にやって来た。そして、扉を開けて中に入ると、すでにヒサコが到着してた。


 ヒーサが執務で使う机の前に立ち、開いた扉の方を振り向いて、にこやかな笑みを見せ付けてきた。



「はぁ~い、お姉様。ご機嫌麗しゅう」



「あんたの顔を見た途端に、機嫌が麗しくなくなったわよ」



「あら、それは残念。そういえば、お姉様、昨夜はあれからぐっすりお休みになられましたか?」



「いいえ。でも、今夜からはぐっすり寝れそうだわ」



 初手から一触即発な煽り合いが始まり、両者の間で火花を散らせた。



「二人とも止めんか。ケンカをさせるために呼んだのではないぞ」



 ヒサコの正面い座するヒーサは、椅子の背もたれに体を預けながら腕を組み、露骨なほどに不機嫌さを見せ付けながら両者を睨みつけた。


 そのすぐ横には侍女のテアが控えており、こちらは無表情のまま立っていた。


 言いたいことは山ほどある三人ではあるが、ひとまずは矛を納め、成り行きを見守ることにした。



「さてヒサコ、弁解したいことはあるか?」



 ヒーサは目の前にいる妹を睨みつけた。鬼気迫るとはまさにこのことで、温和な普段からは想像もできないほどの刺々しい雰囲気を放った。


 だが、ヒサコは特段動じた様子もなく、睨む兄に対して笑顔で応じた。



「何もございません。そもそも、私がお兄様の利に反するようなことをしましたか?」



 ここで「何か悪いことをしましたか?」ではなく、「利に反することをしましたか?」と返すあたりが、ヒサコの歪み具合を如実に表しているといえよう。


 ヒーサ以上に道徳や法理よりも、利益を最優先に考えてしまう。そういうタイプの人間であると、カウラ伯爵家の三人組は思い知らされた。



「そう、利に反することはしていない。その点ではさすがと言わざるを得ない。だが、“あそこ”までやれとは、一切指示を出してはおらんぞ」



「指示が出ようが出まいが、利益を最優先したまでです。お兄様の助けになればと思えばこそ、私はあえて泥をかぶっているのですから」



「限度があると言っている!」



 ヒーサは怒り任せに机をバァンと叩き、怒りの色合いが更に濃くなった。



「私はティースを妻に迎え入れた。お前にとっては義理の姉に当たる。それを何だと思っている!?」



「姉であろうが、お兄様に害をなす人物ならば、警戒して当然ではありませんか。碌な身体検査もせずに、寝所に招き入れる方がどうかしていますわ」



「なるほど。では、私がティースから聞いた行き過ぎた“身体検査”は事実と認めるのだな?」



「行き過ぎてはおりません。むしろ、妥当だと考えております」



 下手な弁明やごまかしなどせず、正面から堂々と切り抜けようとするのは、相も変わらず凄まじい図太さだと、その点ではティースも感心した。


 もちろん、ティースもティースで怒り心頭であり、その笑顔が崩れるまで殴り飛ばしてやりたい気分ではあったが。



「では、正直者なお前に尋ねよう」



「お兄様に対しては、どこまでも誠実で正直者でございますから、なんなりとお尋ねください」



「お前の狙いは、ティースの持つカウラ伯爵領の相続権、統治権だな?」



「いかにもその通りです」



 まさかの即答に、三人組は色めき立った。薄々感じていたこととはいえ、こうまで正面切って言われるとは思ってもいなかったのだ。



「ヒサコ、それは“私の妻”に対して宣戦布告をするという意味か?」



「それを言うなら、公爵家に対して宣戦布告をしてきたのは伯爵家ではありませんか!」



「それについては、御前聴取の席にて決したことだ! 今更蒸し返すな!」



「少なくとも、私は納得しておりません」



 国王を始め、国家の重鎮の臨席の下で開かれた御前聴取の決定事項として、ヒーサとティースの婚儀が成立した。諍いのあった両家の関係修復のためのものだ。


 事件の真相にはまだまだ謎多き部分もあるが、とにかく国内平和を優先し、暗躍を繰り返す異端宗派『六星派シクスス』を抑えるため、多少の部分はお互い目を瞑ることとなった。


 ヒサコはそれが不満なのだと言い放ったのだ。



「お前の気持ちは分かったが、陛下の御下命により、騒乱の鎮静化を優先されたのだ」



「それはあくまで、“お偉いさん方”の理論です。下々のことをお考え下さい」



「下々だと!?」



「はい。たとえば、この屋敷に、公爵家に仕えている人々などが良い例でしょう。主君の仇に首を垂れる屈辱を、甘んじて受けろとお兄様は仰るのですか!?」



 公爵家に仕える者達にとって、本来の主君は先代マイスであった。それが嫡男のセイン共々毒殺されてしまったため、次男であったヒーサが現在の当主に転がり込んだのだ。


 そのことを恨んでいる者も多く、カウラ伯爵家には恨み骨髄、疑念や憤怒を抱えていた。


 そのことも留意してほしい、それがヒサコの弁であった。



「もちろん、お兄様は素晴らしいお方ですし、公爵として、主君として申し分なく考えるでしょう。しかし、それはそれなのです。お兄様はカウラ伯爵家に対して、“何もしていない”のです。それでどうやって、事件の恨みを……、留飲を下げろと言うのですか!?」



「それを流すための婚儀だ!」



「今はお兄様のことを聞いているのではありません! 家臣一同の“感情”について話しているのです! カウラ伯爵家の人間が我が物顔でこの屋敷を練り歩き、それに対して無言で道を譲り、頭を垂れねばなりません。それで不満が貯まらないとでもお思いですか!?」



 このヒサコの答弁の内容については、ティースも危惧していたことであった。


 いわば、この公爵家の屋敷は敵地に等しいのである。ヒーサが抑え込んでいるとはいえ、何かの拍子に激発することも考えられた。


 溜まりに溜まった怒りをそのうち爆発させるのか、それとも程よく“嫁いびり”でもして、少しでも留飲を下げておくべきなのか。その二択をヒサコはヒーサに対して迫っていた。



「はっきり申し上げますが、お兄様ほど頭が良くて、話の分かる方はおりません。お兄様、あまりご自身を物差しにして、周囲を測るのはお止めください。人間とは、思った以上にバカで短絡的なのですから。その点はどうかご留意ください」



「なるほど。で、お前の言葉を全部聞き入れるとしたら、ティースから伯爵領を奪い取り、以て留飲を下げさせるというわけか」



「いかにも。念のために申し上げておきますが、我が公爵家は伯爵家から、銅貨一枚の賠償も受け取っていないのですよ。どころか、人のいいお兄様は結婚式の準備金がないお姉様に、金銭までご用意したと言うではありませんか。お人好しにも程があります!」



 これもティースには思い切り突き刺さった。本来なら、ヒーサに対して負債を返さねばならない立場にあるのに、逆に援助されている有様なのだ。


 妻だから、と言えばその通りなのだが、ティースにも貴族としての矜持がある。どうにかして返さねば、仮に家名を保てたとしても、掲げる看板は汚れたままなのだ。



(ヒサコ……。めちゃくちゃやっているようで、ちゃんと計算してやっているのが恐ろしいわ。まあ、出まかせでごまかしているって線もあるけど、ある程度筋を通した弁でもあるし、そうしたことを意識してないってわけじゃないのよね)



 改めて厄介な相手だと、ティースはヒサコのことを認識した。



「……で、仮にお前が伯爵領を貰い受けたとしよう。どうするつもりだ?」



「鵞鳥の肥育はほぼ完成してますし、鵞鳥の肥大肝フォアグラで商売を始めます。そして、お兄様が是非ともやりたいと言っていた例の事業の整備を進め、準備が整い次第始めるつもりです」



「あの計画か……」



 ヒーサは視線を上に向け、天井を見ながら思案に入った。


 ティースもヒーサが何かしらの新事業を始めたい旨を聞いており、しかもそれには火の大神官の助力がいるとも聞いていた。事業の土地選定もあるはずだし、その候補地として、伯爵領内の未開拓地を使うということだ。



「お兄様、決断してください! 賠償代わりに、伯爵領の統治権を取り上げてこそ、下々の溜飲が下がり、新事業の開始ができるのですから!」



 これではあべこべだと、ティースはヒサコを睨みつけた。 


 今、この場はヒサコに処分を言い渡す場だと言うのに、逆にヒーサを丸め込もうとしているからだ。しかも、ヒーサは新事業にかなりご執心のようで、ヒサコの提案に揺れているのが明白であった。


 なにより、下々の者の“感情”という、理性で動くヒーサには考えもしなかった命題を突きつけられたのだ。


 いかに自分が言って聞かせていたとしても、不満は生じるであろう。それをどうにかするのも、主君の務めであった。


 いくら嫁いできたからと言って、カウラ伯爵家の面々を丁重に扱い過ぎては、逆に突き上げを食らうことも考えられた。


 これに問題に対して、ヒーサがどう答えるのか。その場の全員が固唾を呑んで見守った。


 そして、ヒーサは重々しく口を開いた。



「……いいだろう。伯爵領はヒサコ、お前に一任することとする」



「「「はぁぁぁ!?」」」



 まさかの不意討ち的、領地没収宣言に、伯爵家の三人組は一斉に叫んだ。


 ヒサコへの“処分”とはなんだったのか、まったく訳が分からない状況となった。


 この言葉の真意を知るのは、ヒーサのみである。

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