第3章 新婚生活

3-1 目覚めよ! 女伯爵は朝日に輝く!

 窓から優しい朝日が差し込み、一日の始まりを告げていた。


 そこはシガラ公爵の屋敷の一室で、貴人が寝泊まりできるよく整えられた寝室であった。


 少し呻き声を上げながら寝台より起き上がったのは、おさまりの悪い茶髪の女性で、寝ぐせのある頭髪を軽くかきながら体を伸ばした。


 彼女の名前はティース。シガラ公爵ヒーサの妻であり、同時にカウラ伯爵の位を持つ貴婦人だ。


 結婚してから初めて公爵家の屋敷に入ったのだが、意外と待遇が良かったことに驚いていた。


 なにしろ、『シガラ公爵毒殺事件』と世間では呼ばれる事件において、ティースの父である先代の伯爵ボースンは、ヒーサの父である先代の公爵マイスを毒殺したことになっていたからだ。


 そのため、公爵家に仕える面々には心象が最悪であり、どんな嫌がらせを受けるのかと心配したほどであった。


 しかし、それは杞憂であった。夫ヒーサが事前に言いくるめていたのか、彼が歓迎の意を示すとそれに倣って、屋敷の人々もティースを夫人として受け入れたのだ。


 無論、心の中では色々と言いたいこともあるであろうし、油断はできない。


 ヒーサが抑え込んでいるということは、ヒーサ次第で悪意が解放されることでもあり、十分この屋敷はティースにとって“敵地”なのだ。



(まあ、なるようにしかならないでしょうけど……、情勢が穏やかなうちにやっておかねばならないことがある)



 ティースの最大目標は、毒殺事件の真相を暴くことだ。


 父は何者かにはめられており、その証拠を掴まねばならなかった。そのためにこそ、ヒーサとの婚儀を大人しく受け入れ、公爵領に身を置いているのだ。


 証拠、証人共にことごとく消されており、事件の真相に向かうための道は閉ざされているのに等しい。


 唯一の突破口は、ボースンに毒キノコを渡したという“村娘”だけだ。



(でも、限りなく発見の可能性は低い)



 寝台から起き上がり、窓越しに広がる雄大な領地を見つめた。このどこかに潜んでいるのなら幸いであるが、もしどこかの工作員であるならば、さっさと引き上げているだろうし、あるいは口封じに消されている可能性もある。


 現に、ティースの兄キッシュが殺された落石現場の近くには、遺体が六名分転がっていた。あれは明らかに口封じによるものだ。


 ティースはこの口封じを、例の“村娘”がやったのでは、と考えていた。暗殺計画の陣頭指揮を執り、事が成ると用済みとなった使い捨ての駒を消す。状況としては一番しっくりくるのだ。



(もしそうなら、公爵領内に残っている可能性は低い)



 いつまでも現場に残るような、バカな真似はさすがにしないであろう。あるいは、見つからないと絶対の自信があれば、第二幕を仕掛けてくるという可能性もあった。


 事件のために実質消えていたヒーサとティースの婚儀を復活させ、事件の黒幕に対して、「無駄な努力ご苦労さん」と啖呵を切る意味での結婚でもあるのだ。


 もし、この挑発に乗ってくれれば、本当に第二幕があるかもしれない。そここそ、唯一無二の捕縛の機会となる、ティースはそう期待していた。


 外の景色を眺めながら考えに耽っていると、誰かが扉を叩いた。



「誰かしら?」



「ナルでございます」



 ナルはティースの専属侍女であり、伯爵領からの輿入れの際に同行してもらったのだ。


 しかし、それは表向きの話で、ナルの正体は伯爵家に仕える密偵頭である。つい最近、若くして密偵頭の地位を継ぎ、今はティースの側で事件の裏側を探ることに集中していた。


 扉を開け、恭しく頭を下げると、カートを押しながら部屋に入って来た。カートの上には朝の身支度のための道具類が乗っており、ティースも考え事を中断して、化粧台の前に座った。


 ティースは鏡に映る自分の姿を確認すると、肌色から艶、目元も問題なく、いたって健康であると確認できた。



「ティース様、昨夜はぐっすりとお休みになれたご様子で」



「ええ。枕が変わったくらいで寝つきが悪くなるほど、私は神経質じゃないですから」



「それはようございました。なにより、いきなりのお呼び出しがなくてよかったですわ」



 ナルの発する言葉の意味を理解して、ティースは恥ずかしそうに顔を赤らめた。


 ティースとヒーサはすでに婚儀を済ませており、夫婦となっていた。しかし、未だに床入りせず、同衾してはいないのだ。


 王都でせわしなく挙式が行われ、その後は連日の宴会や催し事に振り回され、ようやく領地に戻って来た、という状態であった。


 とてもではないが、ヒーサにしろ、ティースにしろ、多忙すぎて夫婦としての“契り”を交わす余裕がなかったのだ。



「まあ、その、今夜あたりに呼び出されるかもしれないけど」



「その際はせいぜい頑張ってください。しっかり旦那様を体を使って、篭絡なさってください。あ、なんでしたら、朝食まで少し時間もありますし、腰振りの練習でもなさいますか?」



「ナル!」



 本気とも冗談とも取れる提案にティースは抗議の声を上げた。


 二人は主従関係にあるが、同時に年近い友人、あるいは姉妹のような感じであり、人目を気にすることがないときは、かなり緩い関係でもあるのだ。



「……で、マークはどうしてるかしら?」



「あの子は給仕の支度で、先に食堂の方へ向かわせています」



 ちなみに、マークは従者として連れてきた少年で、齢は十一歳だ。表向きな身分は士分、すなわち騎士見習いと言うことになっている。


 だが、実際のところは、伯爵家の隠し玉であり、最大戦力でもあるのだ。


 なぜなら、少年マークは貴重な『五星教ファイブスターズ』教団所属でない術士であるからだ。


 基本的に、新生児は生後半年ほどで教団の施設に連れていかれ、神の祝福を受ける。と言ってもそれは形式的なもので、本来の目的はその際に魔力検査を行うことだ。


 術士を独占したいと考える教団は、新生児が魔力持ちであると分かると、かなり強引に子供の親を説得して、その身柄を確保しようとする。


 これも教団に反感を抱く原因にもなっているが、教団の力の前には貴族ですら抵抗も難しいのだ。


 術士の才能があると分かると一応それなりの謝礼金は貰えるが、身分の貴賤に関わらず、十歳前後になるとほぼ強制的に神殿へと入れられる。


 しかし、マークの場合は捨て子であり、ナルの父が拾って育てたのだ。戸籍にもない存在しない子供であり、鍛え上げれば裏仕事に使えるだろうという目論見だった。


 そして、それはいい意味で裏切られた。


 なぜなら、マークと名付けられた赤子は魔力持ちで、しかもなぜか訓練も受けていないのに、熟達した術士であったのだ。


 その成長ぶりは異常で、九歳になる頃には、兵士が数人がかりでも返り討ちにされるほどの腕前になり、拾って育てた先代密偵頭でさえ驚くほどであった。


 その後も教団側にバレないよう情報封鎖に力を入れつつ、じっくりとマークを育て、今では伯爵家の中では最強の存在になっていた。


 なお、ナルとは姉弟のように育てられており、ナルの指示にはよく従うように訓練されていた。



「マークを父に付けていれば、あるいは兄に同行していれば、と思うのは酷な話かな」



「本来、先代様が公爵領へお出かけになるのは、ティース様とヒーサの婚儀に関する話し合いで、平穏無事に終わる予定のことでした。そこに、秘匿してある最大戦力をわざわざ護衛につける、というのは誰も考え付かない事ですしね。そもそも、マークは私と一緒に別件の調査に同行していましたし」



 実際、マークがボースンやキッシュの側にいたらば、暗殺を防げたかもしれないと、ナルも考えていた。それほどに、ナルは義弟の腕前を信頼していた。


 マークの得意とする術式は、地属性のものだ。大地の恵みを最も感じ取れる属性であり、毒キノコの危うさも気付いたことだろう。


 また、落石も崖を隆起させ、逸らすことすらできたはずだ。


 終わった話とは言え、防げた未来も存在していたので、二人としては残念でならなかった。


 そうこうしているうちに朝支度が終わった。少し寝ぐせのあった髪は丁寧に梳かれ、服も寝間着から普段着へと着替え、人前に出れる格好に仕上がった。



「さて、それじゃあ、食堂に行きますか。愛しの旦那様とご一緒に、てね」



「まあ、妹君よけいなものも付いて来ているでしょうが」



「あ~、それ! 気が滅入るわ~。つ~か、この屋敷で暮らしている限り、どうあがいても顔を会わせることになるわね、ヒサコに」



 ティースにとって、一番顔を会わせたくないのが、ヒーサの妹であるヒサコだ。


 ヒーサと結婚した以上、義理の妹となるが、できれば顔も見たくないのがヒサコなのだ。


 なにかと自分に突っかかってくるのに、気が付けばいなくなっていたりする掴みどころのない義妹だ。頭もよく回り、口も達者なのだが、やることが子供じみている。


 そのくせ抜け目がなく、やって欲しくないことを的確にやって来る狡猾さも持っていた。


 一つ屋根の下で暮らし、しかも義理とはいえ身内にまでなってしまったのだ。結婚して一番億劫なのは、間違いなくヒサコの存在であった。



「ああ、どうか、大寝坊して、食堂にいませんようにっと」



「いっそ、マークに頼んで、落とし穴でも作らせましょうか?」



「おお、それ、いい案だわ。今度試してみましょう」



 端から聞いている分には、女子二人による他愛無い悪巧みなのだが、女伯爵とその密偵頭という組み合わせなので、実行可能でもあるのだ。


 こうして、ティースにとっては敵地も同然の公爵領での生活が始まった。

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