終章#68 百瀬友斗の花嫁たち

 感謝祭のダンスタイムは終わり、後半に突入していた。

 途中で降り始めた雨も次第に弱まり、体育館からは雨音が気にならない程度になっていた。きっと感謝祭が終わる頃には傘も要らなくなっているだろう。


 時間帯としても夕方に差し掛かっており、窓の外は昏くなっているの。この感謝祭の事後処理を春休みにやらねば……と思うとやや億劫な気分になるが、楽しんでいる参加者の顔を見ると、報われる気分だ。


 いや、今回の功労者は俺じゃないけどね?

 そんなことを考えながらも、俺はインカム越しで指示を飛ばす。


「如月、そっちの準備はどうだ?」

『衣装もメイクもどちらも完璧よ。入江先輩は流石ねぇ……綺麗すぎて抱き着きたくなっちゃうわ』

「抱き着くな、俺の彼女だから」

『あらやだ、嫉妬深いのね。特別に晴彦をハグしてもいいのよ?』

「ぜってぇしねぇよ!」


 等価交換以前に、不等価交換すら成立しないような取引だった。

 舞台袖にいることを加味して声を抑えながら怒鳴ると、インカム越しで如月の笑い声が聞こえる。


『ところで百瀬くん。あなた、ダンスタイム中どこにもいなかったみたいだけれど、どこに行ってたの?』

「……ちょっと野暮用があってな」

『へぇ? てっきり誰かと踊っていたんだと思ったのだけど、違ったのかしら』

「なぁそれもう絶対分かってて言ってるよな? なぁ?」

『さあ、どうでしょう』


 どうでしょうもなにも、声が確信犯だった。

 つーか、インカムでそういうこと話すのやめろよ。これ生徒会メンバー全員に聞こえてるんだからな? 花崎や土井に聞かれてるかと思うと、だいぶ居た堪れない。


「んんっ……とにかく、だ。四人をこっちまで誘導してくれ。最後は俺も見るつもりだし、そのためにもバッファーを持たせておきたいんだよ」

『そうね~、四人とも張り切ってるもの。すぐに連れていくわ』

「うい」


 何とか如月とのやり取りを終える。大河に聞かれてたら、公私混同だなんだと叱られること間違いなしなやり取りだった。まぁ、今は大河だけは聞いてないからいいんだけどな。


 もうすぐ『スリーサンタガールズ』――改め『スリーフェスティバルガールズ』――と月瀬来香の対バンライブ。四人は化粧と着替えに入ってしまっているため、今は俺が大河の代わりに総指揮を請け負っていた。


 彼女たちの対バンライブは感謝祭の大トリを飾る。

 演劇部のショート劇、学年混合の有志バンド、今年度ちょっとだけ盛り返した落語部の発表などなど。クオリティが高く、最後を締めくくるようなバカ騒ぎな発表は、どんどん会場のボルテージを高めていた。


 こんな楽しいお祭りも、もうじき終わる。

 明日にはもう思い出になって、1か月も経てば話題にもされなくなってしまう。

 そいつは、ちょっと寂しいな。

 気の早い感傷に浸っていると、舞台袖に誰かが入ってきた。


 雫と大河と澪と大河――俺の恋人ヒロインがそこにいる。

 但し、四人とも衣装を隠すように黒いローブを羽織っていた。


「おう、来たな」

「来たなって……反応薄くない? 見惚れて動けなくなってくれてもいいと思うんだけどな~」

「動けなくなったら色々と困るっつーの」


 というかそもそも、まだ衣装姿を見たわけじゃないんだ。まだ見惚れるほどではない。

 ……いやまぁ、髪型やメイクのおかげでいつもよりグッと奇麗さが上がってて、気をつけないと息をするのも忘れそうになるんだけどさ。


「ユウ先輩、進行の方がどうですか?」

「ん? ああ、特に問題なく進んでる。この次がアイドル部の一年生グループのステージだな。音響とか照明の関係上どうしようもない数分以外は間を作らず、なるべくノンストップで最後まで行くつもりだ」

「了解です。お疲れさまでした」

「はいよ、そっちもな。つーか、今は演者側なんだからそっちに集中しとけ。公私混同もダメだが、別々の仕事の境界がなあなあになるのだってよくないだろ」

「……留意します。でもしょうがないじゃないですか、ちょっと緊張してるんです」

「お、おう。そうなのか」


 だから仕事の話をして気分を落ち着けていた、と。

 可愛いなぁと思っていると、俺と同じように雫もうんうんと頷いていた。


「うぅぅ、大河ちゃんが可愛いから抱きしめたいけど衣装の関係で抱き締められない! 帰ったらいっぱい抱きしめるからねっ!」

「えっ、あっ、う、ぅぅぅ……宣言しないでよぉ」


 うむ、実に百合百合しい光景である。

 大河が涙目になると、雫がぽんぽんと大河の頭を軽く撫でる。この光景が尊すぎて暫く眺めていたい。

 なんてことを考えていると――


「さてさて、百瀬くん! いよいよライブが始まるねっ♪」

「お、伊藤。照明とかの準備も大丈夫か?」

「んー、いい感じだよ! あとは四人次第かな」


 伊藤がぱっと姿を現す。

 どうやら本人はプロデューサー気分のようで、ジャケットでプロデューサー巻きをしていた。謎のサングラスが地味にそれっぽくて鼻につく。

 だが、伊藤には今回もだいぶ世話になった。3月に入る寸前に渡した二曲分の詞に、その日のうちに曲をつけてくれたのである。3月になってからは、四人の練習にも付き合ってくれていた……らしい。俺は来るなと言われたから伝聞でしか知らないのだが。


「まぁそれはそれとして! 私たちの衣装、見たいですよねー?」

「えっ、ま、まあ……」

「なんですか、その煮え切らない態度! そーゆう反応してると、ライブまでお預けにしちゃいますよ~?」

「見たいです、めっちゃ見たいです」

「ふふっ、素直でいい子ですね~」


 微妙な反応になってしまったのは許してほしい。普段よりも奇麗になった雫にグイグイ来られて、ついドギマギしちゃったのだ。

 ……そんな恥ずかしいこと、口が裂けても言わないが。


「じゃあ、ローブ脱ぎますねっ♪」


 雫がそう言ったのを合図に、四人は揃ってローブのボタンをぱちぱちと外す。

 四人が脱いだローブを受け取り、


「じゃあ、ウチらは先に行ってよっか」

「そうねぇ。あとは若い五人でどうぞ」


 と言って、伊藤と如月が出て行く。

 若いお二人の五人版って変だよな、とか。普段ならそんなしょうもないツッコミをしているのだけど、今はその余裕がなかった。


 息を呑んだ。

 何度も何度も息を呑んでいるのに、改めて強く、息を呑んだ。

 そして同時に、息をするのを忘れた。


 奇跡のように麗しい。

 ――奇麗だ、と心底思った。


「どうですか、友斗先輩?」


 髪を下ろした雫は、その頭にちょこんとティアラを乗せている。

 身に纏う純白のドレスは、ふわふわと漂う雲をちぎって集めたように見えた。雫の母性的な体のラインも相まって、ホイップクリームたっぷりのケーキみたいだ、なんて感想が浮かんでくる。


「奇麗、だな。すげぇ似合ってる。でも、その衣装って――」

「コンセプトの解説は後ですっ! まずは三人のことも見てあげてください」

「……お、おう」


 解説されずとも、察してしまうものはある。

 けれど雫の言う通り、今は彼女たちの姿を目に焼き付けよう。そう思って、雫の隣に視線をスライドさせる。


「ユウ先輩……似合ってるでしょうか?」


 雫よりも上品な仕立ての白いドレスだった。露出は控えめで、レースの生地がしんしんと降り積もる雪のように彼女の肌を覆い隠す。青い花飾りがブロンドヘアーを彩っており、可愛らしさと高貴さが見事に共存していた。


「似合ってるよ。花も奇麗だな」

「はい。……本多先輩からいただきました」

「そっか」


 生徒会選挙の折に背中を押してくれた、手芸部の部長。いや、今は元部長になったのだろうか。

 本当に大河らしい衣装だ。


「次は私――って言っても、私はあんまり捻りないけどね」


 雫や大河と同じ白なのに、澪の纏う純白はまるっきり印象が違う色に見えた。透け感のある生地がところどころに使われており、素肌が見える箇所もあって色っぽい。黒色と金色の髪に瞬く星のようなラメが幻想的だ。


「どう? 白雪姫みたい?」

「……白雪姫にしては露出が多い気もするけどな」

「こういう白雪姫はお嫌い?」

「まさか。澪らしくて奇麗だ」


 白霧だけを身に纏う、妖艶なお姫様みたいで。

 とても澪に似合っている。


「最後はあたしだねっ! 友斗くん、見て見てー?」


 来香のドレスは、闇夜みたいな黒色だった。やはり魔女という言葉がぴったりなように思える。紅い唇とヘアピンが黒を引き立たせていた。隣には、以前自慢してくれたダブルネックギターが寄り添っている。ギターを構える姿を想像して、ああすげぇかっこいいな、と心底思った。


「あたし、奇麗?」

「聞き方が口裂け女なんだよなぁ」

「ゆ・う・と・く・ん?」

「冗談だって。呪われるんじゃないかって思うくらい、魔女みたいで奇麗だよ」

「実はもう呪ってたりして?」

「呪われてもいいな、この魔女になら」


 四人とも、本当に奇麗だった。

 純白と漆黒。

 改めてその衣装の意味を尋ねようと思い、雫を見遣った。


「ふっふー。友斗先輩はもうお気付きですよね? このライブの衣装のコンセプトは――ウェディングドレスです」

「……ああ」

「知ってますか? 白と黒のウェディングドレスには、それぞれ意味があるんです」

「意味……?」


 聞いたことはあるような気がするが、具体的な意味までは分からない。

 俺が首を傾げると、


「私たちが着てる白いドレスは『あなた色に染まります』って意味があります」


 と内緒話みたいに雫が告げる。


「逆に来香先輩の黒いドレスは――」

「『あなた以外に染まりません』だってさ」

「――そーゆうことです。私たちらしいなって思いませんか?」


 『あなた色に染まります』と『あなた以外に染まりません』。

 白と黒のウェディングドレスに乗せられた想いは、確かに、彼女たちらしい。


「……そうだな。めっちゃ似合ってる」


 言ってから、俺はくしゃくしゃと髪を掻いた。

 彼女たちに伝えたいことはもっとあるはずだけど、すっかり語り終えてしまったようにも思う。だって、託した詞に今のありったけを詰め込んだから。


 アイドル部のステージが二曲目に突入している。会場の盛り上がりも絶頂だ。そろそろ四人もスタンバイに入らなければいけない。

 ならば最後に、と俺は口を開く。


「――ここから始めよう。今日このステージに立った四人だけが……俺の花嫁ヒロインだから」

「もちろんですっ♪」

「始めましょう、私たちで」

「あたしたちのことだけ見ててね?」

「最高の始まりにしてあげる」


 ほらやっぱり、もう伝わってる。


「じゃあ四人とも頑張れ。俺は先にあっちに回って――」

「――あっ、たんま。友斗、ちょっといい?」

 

 照れ臭くなって観客側にとんずらしようとした俺を澪が捕まえる。


「私たちからお願いがあるんだけど」

「お願い?」

「そ。……ホワイトデーのお返しでも、さっき私たちを見つけたご褒美でも、何でもいいけどね」


 澪の言葉を引き継ぐように、大河が口を開く。


「感謝祭が終わって、片付けも終わって、それで今日家に帰ったら……私たちを貰ってください」


 しん、と世界から音が消えた気がした。

 ただ一音、鼓動の音だけが止まらない。


 ――それってどういう意味だ?


 そう口にしようとして、やめた。

 それは覚悟をして口にしたこの子たちへの、何よりの裏切りだと思うから。


「一緒に、なのか……?」

「……はい。初めては皆でしたいな、って」

「二人っきりも魅力的ではありますが……最初だからこそ、雫ちゃんと澪先輩と月瀬先輩と……五人一緒がいいんです」

「私も一緒。私たちだからできる初めてをシたい。今夜、私たちが花嫁ヒロインなんだって刻み付けてほしい。それがお願いで、ご褒美で、お返し」


 俺たちにしかありえない、歪な初夜の誘い。

 ふっと笑みを零す俺に来香が続けて言った。


「あたしも同じ気持ちだよ。五人でシないと、誰が一番友斗くんを気持ちよくできたのか分かんないしね~」

「……言っとくが、そこは比べたりしないからな?」

「え~。ケチだなぁ」

「ケチっていうか……そこだけは絶対決められないって自信があんだよ」

「…………友斗先輩、凄く恥ずかしいこと言っちゃってますけど自覚あります?」

「うっせ。あるに決まってるだろ」


 顔が火照って仕方がない。ライブの前にこんな話をするなよってすげぇ思う。

 だけど、最高に幸せだから――。


「        」


 どんな口説き文句を口にしたのかは自分でも分からない。

 ただ、とびきりキザな台詞でYESの意を伝えたことだけは確かだった。

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