終章#62 感謝

 SIDE:友斗


 形式的な卒業式は、例年通り恙なく終わった。うちの高校は自由な校風だし行事でも割とやりたい放題だが、卒業式でやらかすような奴はいない。問題を起こせば大学への入学に差し支えるし、当然だろう。


 まぁそれでも、やはり別離の空気は胸にクるものがあった。


『三年生の先輩方には、様々なことでお世話になりました。春には新入生歓迎会で、高校生活に期待を抱かせてもらいました。5月には体育祭で努力する姿を見せてくださり、中学校との違いを強く実感したのを覚えています。他にも――』


 卒業式では、生徒会長である大河が送辞を担当していた。

 涙は流さず、しかし、刻んだ思い出を真っ直ぐに口にする姿には、送られる側でない俺ですら感動してしまった。

 いやぁ、ほんっとね、最近は涙腺が弱くて困る。うちの彼女が健気すぎてやばい。


『――他にも、たくさんの思い出をこの一年で作ることができました。見せていただいたかっこいい背中を、私たちが今後後輩に見せることができるのか、まだ自信はありません。それでも先輩方のようになりたい、と強く思います。だから、あえて失礼を承知で言います。……先輩方も、頑張ってください。挫けそうになることも、立ち止まってしまうこともあるかもしれないけれど、頑張ってください。前へ前へと進む先輩方の背中を追いかけて、ずっと届かないって思わせてください。届かないと分かっていても手を伸ばしたくなるような月でいてください』


 途中からその声が熱っぽくなっていたのは気のせいじゃないと思う。

 入江先輩に、そして時雨さんに。

 大河の全身全霊のエールは届いただろうか。

 あの二人の胸の内は俺には分からないからな。どうか届いてくれ、と願うばかりだ。

 ……昨日伝えた、俺からのメッセージも一緒に。


 卒業式が終わると、昼休憩を挟んでから感謝祭が始まる。

 感謝祭は立ち位置こそ謝恩会の拡大版だが、その対象は三年生に限らない。一、二年生も対象とし、今年一年を共にした仲間や先生への感謝を告げるための祭典ということになっている。

 冬星祭のときと同じく一度帰宅して着替える者も多い。まぁ、感謝祭は冬星祭と同じく自由参加なため、そのまま帰る奴もいるんだけどな。


『ユウ先輩、ダンス部のスタンバイはどうですか?』


 考えていると、インカムから大河の声が聞こえた。

 すっかり会長なその声に、俺は苦笑する。春には俺が出しゃばって指揮をしまくっていたものだが、今はその必要はなくなっているらしい。

 ならまぁ、自分の持ち場に集中するとしますか。


「今確認する。少し待て」

『了解しました。こちらは時間通り進んでいるので焦る必要はありません』

「うい」


 感謝祭は十ほどの団体の有志発表と、その合間を繋ぐダンスタイムによって成る。

 中でも全体としては大雑把に前半と後半に分かれており、前半と後半の間には長めのダンスタイムが取ってある。だいたい50分ほど。その間に後半の準備をしたり、各自手洗いなどを済ませる。


 でもって今は、ダンス部は前半の三団体目。全体の3分の1、いや4分の1が終わっていると見ていいだろう。

 俺はダンス部の代表に確認を取ってからインカム越しで大河に言った。


「ダンス部、準備完了だ」

『でしたら移動をお願いします。あと5分ほどでフォークソング部は終わりです』

「うい」

『あと、さっきから思ってましたが仕事中の返事は「はい」です。「うい」なんて返事はありません』

「細かっ……それ、今言う? ほら空気感とかあるじゃん?」

『公私混同はよくありませんので。私たちの将来の旦那様ならしっかりしてください』

「っ……はい」


 公私混同はよくないんじゃねぇのかよ。

 咄嗟に出かかった反撃をやっとの思いで呑み込んだ。こんな不毛な争いをしてもしょうがない。これ、俺と大河以外にも聞いてる奴いるしな。


「あ~。じゃあダンス部のみなさん、移動をお願いします」

「「「「うぃーす」」」」

「あ、返事は『はい』でお願いします」

「百瀬くん、何言ってるの……?」

「ジョークですジョーク」


 と、ダンス部のクラスメイトにツッコまれつつ。

 ダンス部を舞台袖に誘導したら、そこから先は舞台袖で待機している大河に引き継ぐ。

 ダンスタイム用にドレスで着飾っている生徒ばかりなので、制服姿のままの大河は少し異質に映った。


「次はアイドル部だったっけ?」

「ですね。外で最後の確認をしてるそうなので、お願いします」

「はいよ」


 言われた通りに外に出て、アイドル部に声をかける。

 何だかんだアイドル部も頑張ってるんだよなぁ。冬星祭でもクリスマスライブやってたし。それなのにうちの彼女たちがいいところを奪ってしまって申し訳ない。

 ま、エモエモで応援したくなる度で言えばアイドル部が勝ってるので頑張ってほしい。寒そうな衣装で百合百合しく話してるのを見たら、なんかそんなことを思った。


「アイドル部、準備完了だ」

『了解です。まだ時間はあるので待機でお願いします』

「了解、っと……ふぅ」


 ようやく一息つけるってところだろうか。

 いやまぁ、軽食の準備とか、ダンスタイムの音楽周りとか、色々と気を遣うことは山ほどあるし、現在進行形でインカムで情報が飛び交ってはいるんだけどな。


「あっ、兄さん! やっほ~!」

「ん、おう。来香か」

「む。反応薄くない? 兄さんはあたしに会いたがってると思ってたんだけどなぁ」

「何故に? ……いや、会いたくないわけじゃないが」


 いつだって可愛い彼女の顔は見ていたい。

 が、仕事中くらいは我慢できる。つーか、来香も来香で仕事があるはずなんだが……。


「色々と始まる前に済ませておかなきゃーって思って。一瞬だけ如月ちゃんにあたしの分の仕事もお願いしてるんだよ」

「なるほど。……済ませるって、何をだ?」

「ほんっっと鈍いな~。兄さん、そーゆうとこだよ?」


 ぷんすかと頬を膨らませて怒る来香。

 はて何かあっただろうか……と考えて、以前大河と交わしたやり取りを思い出す。


『伝説なんて都合よく変えればいい話だからな。三大祭じゃなくて、三年間のうちの3分の2ってことにすりゃいいだろ。つーか、そのつもりだしな』

『……ユウ先輩も考えてたんですか』


 おそらくは『3分の2の縁結び伝説』のことを言っているのだろう。

 あれは後夜祭での話だが、冬星祭と感謝祭には後夜祭らしい後夜祭がない。というか、イベントそのものが後夜祭みたいな立ち位置だ。

 だから感謝祭中に縁を結べば十分なのだが……。


「もう少し落ち着いてからの方がいいかも、って思ってたんだけどな。来香たちのライブは最後なんだから、まだまだ時間もあるし」

「ちっちっち。女の子には女の子の深~い事情があるんだよ? だから今がいいの! Right Now!」

「無駄に発音いいな……」


 ともあれ、来香の言わんとしていることはよく分かった。

 後の方がいいと思っていただけで、別に今済ませることに異論はない。アイドル部を誘導するまでにはまだ時間がある。

 インカムで大河に「一瞬持ち場を離れる」と断りを入れ、来香と二人っきりになった。


「えっと、やり方は知ってるよな?」

「うん。ずっと憧れてたから」

「……そっか」

「兄さんと結びたいな、って思ってたんだよ?」

「っ、言われなくても分かってるっての」


 ぐいっと詰め寄られたので、つい顔を逸らしそうになった。

 だけど目を合わせなきゃ縁を結ぶことはできないから、来香をちゃんと見つめる。

 奇麗な目だと思った。

 本当にとても。


「ねぇ兄さん」

「どうした?」

「あたしのこと、見ててね」

「……見てるよ」


 1秒、2秒。

 俺たちは見つめ合う。その瞳の奥にある何かに触れあうように。


「あたしも見てるよ」

「うん、見られてる」


 3秒、4秒。

 来香の瞳の向こうで、花火が咲いているような気がした。


『こんな綺麗なの、絶対忘れないなぁ』


 あの花火は、やっぱり忘れられない。

 澪や雫、大河との忘れられない日々があるみたいに――。

 来香との夏の終わりも、かけがえのないものなんだ。


 5秒、6秒。

 確かに時間は過ぎて、俺たちは縁を結び終える。


「さーてとっ。これで一個目は完了、だね」

「あとは来年だな」

「来年は四つともあたしが掻っ攫っちゃおうかな~」

「やれるもんならやってみろ。俺は手強いぞ?」

「ふふっ、そーだねっ」


 くすくすと二人で笑い、俺たちはそれぞれの持ち場に戻る。

 頬の火照りをぱたぱたと手で扇いで冷ましていると、


『ユウ先輩、アイドル部移動お願いします』

「かしこまり」


 ちょうどよく、大河の声がインカムから聞こえた。

 アイドル部に声をかけ、先導する。

 ふと見上げた空は、澄み渡った晴れには程遠い。


「これは……一降りくるかもな」


 きっとそれは、恵みの雨。

 まだ芽生えたばかりの心を育ててくれる、優しい雨だ。

 雨の終わりを、俺は見つけたいとは思わない。

 ただ雨宿りできる場所を見つけられれば、それでいい。

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