10章#38 めまい

 じゃんけんで勝った俺は、一足先に風呂に入った。もっとも、わざわざ湯を張って浸かるつもりはない。ただ冷えたら困るので、少し熱めのシャワーを被った。肌がひりひりと痛むのと同時に、こんな夜には覚えがあるな、と思い出す。


 澪と、大河と、雫と。

 俺はあの三人と、二人っきりの夜を過ごした。ラブホテルに大河の家、そして自宅。場所は違えども、どの夜もかけがえのないものになった。

 とはいえ、俺も男ではあるわけで。その度に欲求的な面できつくなってた部分もある。雫に迫られたときは、本気でやばかった。あんな魅力的な女の子に誘惑されて、半年近く我慢を強いられてて、それで耐えられたんだから人間ってすごい。


 ――だからこそ、少し怖くなる。


 この夜をもしも違えたら、決定的に堕ちてしまうんじゃないか、と。

 性に触れずに済むかけがえのない夜にすることができなければ、『限界だったから』って言い訳をして、理性を手放してしまうんじゃないか、と。


 シャワーの温度をもう1度上げる。

 熱湯が却って自分を冷静にしてくれると信じて。


「悪い、待たせた。美緒も入っていいぞ」

「うん、ありがとう」


 浴衣を着直し、美緒と交代する。浴室の音が聞こえないように、俺はバッグからイヤホンを取り出して両耳にはめた。音楽アプリを立ち上げて適当に曲を流す。まず耳栓になってくれたのは、逝ってしまった君への愛を人生最後の日まで歌い続ける、そんな歌だった。


 季節は逆さま。

 っていうか、夏休みにたまたま聞いて、プレイリストに入れてたんだっけ。ランダム再生にしてるからプレイリストから削除しない限り、夏ソングでも流れてくるんだよな。


 シャンプーやボディーソープ、入浴剤が混ざった匂いが漂ってきた。入浴剤を除けば俺も残り香を纏っているからだろう。ほっと気持ちが落ち着く。

 思えば、電車で眠りこけてしまったのも彼女が隣にいたからなんじゃないだろうか。

 ずっと傍にいなかったから。

 ずっと傍にいてくれたから。

 だから安心して、寝ないとかほざいてたくせに眠ってしまった。

 彼女の存在の大きさに、俺は今日まで気付けてなかったんだ。


 そんなことを考えながら音楽を聴いていると、


 ――ぱちん


 と、部屋が昏くなる。

 照明が落ちると、雨空の昏さを否応なしに感じてさせられる。音楽を消して手元のケースにイヤホンをしまった。

 布団から起き上がってそちらを見遣り、


「っ、みお……――」


 くらくらと眩暈に襲われた。

 さっきまで着ていたはずの浴衣は、そこになかった。折れてしまいそうなほどの脚はありのままで伸び、その付け根だけをスポーツ下着が隠している。

 上半身にはキャミソール。暗闇に溶けて色は確かめられない。それがいっそうリアルで、艶めかしかった。肩口にはスポーツブラの紐が覗く。それが、モノクロームの肢体に背徳感を浮き上がらせていた。


「そんな恰好じゃ風邪引くぞ。浴衣はどうした?」

「言葉は要らないから。私のこと、もっと見て」

「……見れないって。自分の恰好、考えろよ」


 顔を背けるのと同時に、ごくり、と喉元を生唾が通ったことに気付く。

 ――ああ、なんて浅ましい。

 恐れてた未来を後追いするような自分の反応が憎々しくて、くたばってろ、と自分に言い聞かせる。


「見ていいって言ってるじゃん。こんなことなら可愛い下着に着替えておきたかったけど……ま、借りてるんだからしょうがないよね」

「……美緒」

さんって私よりも小さいみたいだよ。ブラもパンツも、ちょっときついもん。……私が太ってるわけじゃないからね?」

「美緒、聞いてくれ。とりあえず服を着るんだ。その後なら話すから」


 どくどくどく、跳ねる鼓動を黙らせる。

 日中にも似たようなおふざけをしてきていたじゃないか。好きって言ったり、くっついたり。その延長線上だって思えば、なんてことないはずだ。やりすぎだと叱って、後は兄妹らしくお喋りでもして夜を過ごせばいい。

 って、そう思うのに――美緒のねっぷりとした視線を意識した瞬間、思考が詰まる。


「ねぇ兄さん。遠くに来ちゃったね」

「そう、だな」

「ここには私たちしかいないよ。さんも大河さんも雫さんも、誰もいない。私と兄さんだけの世界だね」


 一歩、二歩、月が満ちていくみたいに美緒が踏み出す。

 大して広くない部屋だからすぐに追い詰められてしまう。美緒は枕元にある行灯風のライトをぱちりと点けた。瞬間、美緒の身体が色めく。薄桃色のキャミソールと灰色のスポーツ下着が視界に入り、ぞくぞくと甘く下腹部が痺れた。


「ふふ。浴衣だと、硬くなってくれたのが分かりやすくていいね」

「――っっ、これはちが、くて……」

「違うんだ? じゃあ、私以外で反応したってこと?」

「なっ……!?」


 美緒の右手があっさりとそこを握った。薄い浴衣越しの感触は、一生懸命消そうとしている火に炎を加える。どくどくと暴れる心臓が全身に血を流し込み、前後不覚に陥っていく。


「兄さん、可愛い」

「っ、美緒!」

「そんな意固地にならなくていいんだよ。私は兄さんの妹だもん。ぜーんぶ受け止めてあげる。どんなにエッチでも嫌いになったりしないんだから」

「そういうッ、ことじゃなくて……!」


 美緒の身体を押しのけようと手を伸ばす。が、それより先に美緒の左手が頬に触れた。指先が耳たぶに触れ、そのまま溝をつーっとなぞる。とろんとけたかがみに映されたら、途端に動けなくなってしまった。


 ――ちゅぷり


 彼岸花みたいに、俺たちの唇が重なる。

 咄嗟に離れようと体を後ろに反らせる。だけど次の刹那、その判断が間違っていたと知る。前のめりになっていた彼女の体がこちらにもたれかかってきた。強張った体は彼女を支えることができず、押し倒されてしまう。


「んっ、んむ、ぁ」

「~~っ」


 口先から聞こえる嬌声。唇はもう限界なのに、耳朶までドロドロに溶けてしまう。

 ぐっ、と彼女の肢体が押し付けられる。とっくにこちらの浴衣ははだけ、裸の脚と脚が頬擦りをしていた。おかしいくらいに火照っているのが伝わってしまう。


「ぷはぁっ……おいしい。大人のキスって、全然違うね。すごくえっちで気持ちいい」

「っ、はっ、はあ……おい、本当に――」

「やめないよ。やめるわけないじゃん」


 あだっぽい目つきと色めいた声が心臓に絡みつく。

 ああ奇麗だ、とに見惚れてしまう。それが決定的だった。下腹部へと送り込まれた血は、取り返しがつかないくらいに欲を露わにしてしまう。


「ひゃっ……んっ。ほら反応してくれてる。……こんなになった状態で私を突っぱねて、その後どうするつもり?」

「~~っ」

「シたいって言ってる女の子を拒絶して、同じ部屋で一人でシたりはしないよね? そんなの、最低だもん」

「……するわけ、ないだろっ」

「じゃあ、我慢するんだ? 朝まで? っていうか、もしかしなくてもずーっと我慢してる? 澪さんや雫さんと一つ屋根の下ってことは、絶対にトラブル起こせないもんね?」

「そ、れは……」

「ほとんど一年間、我慢しっぱなしなんだ? その前は澪さんに重ねた私とずーっとエッチしてたくせに?」


 二人の大事な部分がぶつかっていた。浴衣はもう脱げかけている。辛うじて下着同士が擦れてはいないけれど、たった三枚の生地で誤魔化せるほどお互い冷めてはいない。

 熱くて、柔らかくて、肉々しくて――。

 責め立てるような美緒の言葉と共に、女の子の中の感触がフラッシュバックしてしまう。


「んぁっ、またびくってした。ねぇ兄さん、こんな感じてるのに本当に我慢できると思ってるの?」

「――ッっ」

「無理だよ。兄さんはどこにでもいる男の子なんだから」


 美緒は手早く俺の腰帯をほどいてしまう。浴衣を脱がされ、彼女の指がへその辺りから這い上がってくる。

 ぞくぞくと下腹部に送り込まれる感覚は、禍福そのものみたいに裏表だった。


「……頼む、美緒。やめてくれ。認めるよ。我慢できない。だからこそ、もうやめてほしいんだ。美緒を汚したくない」

「ふぅん」


 俺の懇願を、しかし、美緒は一笑に付す。

 一度起き上がったかと思うと、ぺろりと唇を舐め、キャミソールを脱ぎ始めた。

 部屋に棄てられた薄桃色。露わになるスポーツブラは確かにきつそうで、胸が少しだけ溢れている。


「なっ……」

「私を汚したくないってなに? 澪さんとシたんでしょ? 雫さんや大河さんにも私を重ねたんでしょ? さんざん私の面影に好き勝手しておいて、本物の私のことは汚してもくれないの!?」

「ッ、ちが、みお――」

「今はあの三人が好きだから? もう私を好きじゃないから?」


 俺が何かを言う前に、美緒は赤い唇でまじなった。


「大丈夫だよ、兄さん。あの三人が好きなら私のことも愛せる。だって全部持ってるもん」


 左手は蛇のように肌を這い、硬くなった突起を弄ぶ。

 その刺激の度に獣に近づく場所は下着越しに右手で愛撫され、かと思えば、だんだんと美緒の下腹部が元の位置に戻ろうとしている。すぐそこに受け止めてくれる場所があることを感じているから、そこはますます熱く硬くなる。


「私は澪さんみたいにも、大河さんみたいにも、雫さんみたいにだってなれる。当たり前だよね。元々、あの三人は私に似てるんだから」


 走馬灯みたいにさっきまでの美緒が思い出される。

 確かに、そうだ。澪にも大河にも雫にも、美緒との共通点がある。事実、今日一緒にいる中でもあの三人の面影を美緒に見てしまった。

 それが本当に似ているからなのか、美緒があえてあの三人を演じたからなのかは分からないけれど――。


「なっ、だめ……っ~!?」


 ゆっくりと美緒の右手が下着の中に潜り始める。

 制止は唇で塞がれる。直にそこが撫でられる。くちゅくちゅと音がする。そこが汗とで湿っている。舌が口の中で暴れる。歯が愛撫される。息ができない。唾液を流しこまれる。逆に吸われる。息が止まる。頭が痺れる。体が痺れる。気持ちいい。きもちいい。


「ぷはっ、もう限界?」

「…っ」

「……入れるのは後でいっか。まずは私を――汚して?」

「~~~~っ」


 ダメに決まってる。

 相手が初恋の女の子でも、どれだけ我慢していても、欲望を吐き捨てていい理由にはならない。

 そのはずなのに――美緒がそこを咥えた。


 さっきキスしていた唇がそこを包んで、どろどろの熱に呑みこまれてしまう。

 咄嗟の行動に耐え切れなくなるのも束の間、下腹部に痛みが走った。


 ――あっ、噛まれてるんだ


 と気付いたとき、ばちん、とタガが外れた。

 それは、大切なことに気付く音。

 それは、彼女の激情に届いた音。


「んんっ~~!?」


 限界に達した俺は、どくどくと欲望を解き放った。

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