10章#37 表窓

 あなたが起きるまで目を開けられないから、駅員の人にはとても申し訳なかった。

 でも、私は魔女だから。

 眠り姫の振りをするくらい許してほしい。ちゃんとお姫様の代わりに毒りんごを食べるから。永遠の愛を誓うキスは、私以外にしてくれればいいから。


 だから、どうか許して。

 私の嘘に気付かないで。



 ◇


 SIDE:友斗


「ごめんな。あんだけ寝ないって言ってたのくせに余裕で寝ちゃって」

「それを言ったら私も寝ちゃってたし、兄さんだけのせいじゃないよ」

「でも、美緒を連れてきたのは俺だ。悪いのは俺だよ」

「その話をするなら、私はここに来られただけでも満足。ここだって『どこか』だから」


 駅員さんの紹介で、俺たちは街の小さな旅館に泊まることができた。もっとも、空いていた部屋は一つだけ。必然的に俺と美緒は同室で一晩を過ごさざるを得なくなってしまった。

 結局ここに来るまでに服は雨に降られてしまったので、部屋の隅っこに干しておく。代わりに備え付けの浴衣を身にまとって人心地つきながら、俺は美緒と話していた。


「初めて名前を聞いたような場所に来てもしょうがないだろ。こんなの、ほとんど迷子だ」

「私たちのことを誰も知らない場所。そう考えたら、悪くないと思わない?」

「……どういう意味だ?」

「ここなら、私たちがどんな風に間違えても誰も怒らないでしょ?」

「そんなわけないだろ。法律はどこでも適応される」

「そういう意味じゃないって分かってるくせに」


 きゅいっ、と美緒があざ笑うように目尻を下げる。


「嘘つきだね、兄さんは」

「……嘘は吐いてないだろ」

「気付いてるのに知らんぷりするのは、嘘じゃないの? 口にしなければ嘘じゃないって理屈は卑怯だと思うけどなぁ」


 まるで夜みたいだ、と美緒の声色を聞いて思う。事実、だんだん夜に近づいていた。時刻だけで言えばまだ『夜』と言う気にはならないが、冬の日の短さや分厚い雲の蓋を考慮すれば、十分に夜らしいと思える。


 もう夜になってしまった。

 答えを見つけられないまま、何かに辿り着くこともできないまま。眠りこけて、間違った場所に漂着して、こんなことになって……。


 ありのままの俺はこんなにも心許ないのか、と悔しくなる。

 自分の人生をきちんと歩むと決めたところで、覚醒したみたいに強くなれるわけじゃないんだ。


「ま、とにかく気にしなくていいからさ。それよりも折角のお泊まりなんだし、満喫しよ?」

「……まぁ、宿泊代はそれなりにかかったしな」


 冬夜さんのところでバイトを始めたとはいえ、ほいほい散財できるほどの余裕はない。つーか、今はまだ年末の晴季からのお小遣いとお年玉しか手持ちがないしな。バイト代が入るのは来月だ。

 ここまでの交通費も考えれば、だいぶ使ってしまっている。だったら満喫するというのは正しいのかもしれない。ずっと暗い空気になってたところで、美緒の気分が楽になるわけでもあるまい。


「んじゃ、とりあえずご飯食べに行くか」

「だね。お昼も食べてないし、お腹ぺこぺこだよ」


 夕飯を食堂で食べている間に旅館の人が部屋に布団を敷くらしい。ゴールデンウィークに家族みんなで泊まりに行った旅館を思い出した。あそこよりも小さく、お世辞にも綺麗だとは言えない。でも、二人旅にはこれくらいがちょうどいいような気もする。


 食堂に向かおうと立ち上がると、ん、と美緒がこちらに手を出してきた。

 はたと首を傾げると、ぷくっと不満そうにむくれる。


「手、引っ張ってよ。一人じゃ立てないから」

「……体の調子、悪いのか? 疲れてるなら旅館の人に頼んで部屋に持ってきてもら――」

「馬鹿、違うから。兄さんに引っ張ってほしいの。馬鹿」

「二度も言わなくていいだろ……」


 じじじ、頭の奥で砂嵐の音がした。

 血が粟立つような感覚。もどかしくて、息が詰まる。ラムネ瓶の中でぱりぱりとヒビが入ったビー玉みたいだった。奇麗なもののその傷に触れることができない。触れ方も、本当に傷なのかすら曖昧なまま、乱反射に誤魔化される。


「ほら、早く!」

「……分かったよ。ほい」

「嫌々な感じが出ちゃってる。やり直し」

「厳しいな……嫌々なわけないだろ。ほら、手を取ってくれ。ご飯食べに行こう」

「ん」


 美緒は一瞬目を細めると、すぐに満足そうな笑みを見せた。差し出した手を握ってくれたので、ぐいっと引っ張る。刹那、はらりと浴衣がはだけて、美緒の太ももが露出した。雪のように白い肌は、しかし、雪ほど澄み切った印象をこちらに残さない。甘い痺れがぴりぴりと体中に走りかけ、強く唇を噛んだ。


「ん……えっち」

「~~っ、悪ぃ」

「別にいいよ。兄さんにならもっと見られてもいいくらい」

「あのな。そういう冗談は――」

「冗談じゃないけどね」


 大人びた貌がそう呟く。

 その瞳を直視したとき何が見えるのか知るのが怖くて、俺は聞こえなかったことにした。少なくとも今、こんな会話の勢いで覗くべきものじゃないはずだから。


「さあ行こう」

「ん」


 なぁ、それはわざとなのか?

 それとも、俺が勝手に重ねてるだけ?


 いつまでも、美緒の心音ほんねは聞こえなかった。



 ◇



「ふぅー。美味しかったね」

「だなぁ。学校サボってプチ旅行とか、ちょっと贅沢な気がしてきた」

「ふふっ、兄妹揃って悪い子だ」


 夕食を終えて部屋に戻ると、言われていた通り布団が敷かれていた。一人での宿泊を想定した部屋らしいから少し不安だったが、気を利かせて二人分用意してもらえている。同じ布団で寝るのはどう考えてもアウトだからな。

 っと、それで思い出した。


「そういえば、ちゃんとご両親には伝えてるよな? 今更だけど」

「伝えてるよ。怒られはしたけど、帰ってから話すって言ったら納得はしてくれた。お祖父ちゃんが宥めてくれたみたい」

「そっか」


 ふと思い出し、美緒に家へ連絡しているかを確認した。もちろん、俺も既に済ませている。美緒と同じくこちらも怒られはしたが、三人とも、最終的には分かってくれた。

 ……まぁ、それぞれのお願いを聞く、って約束はさせられたけど。


 俺の話はいいとして、だ。

 問題は美緒。疑ってるわけじゃないが、もし美緒が罪悪感で連絡しづらかったりしているなら、俺が電話で話そうかと思っていた。美緒が見せてくれたトーク画面のやり取りを見て、ひとまずは安心する。


「明日帰ったら、俺の口からもちゃんと謝る」

「……兄さんが出ていったらややこしくならない?」

「だとしても、誤魔化していいことなんかないだろ。美緒のことを本気で心配してるご両親や冬夜さんに嘘は吐いちゃいけないと思う」


 美緒のことを説明するわけにはいかない以上、俺は月瀬と学校をさぼり、一夜を過ごしたことになってしまう。誤解を招いてしまうのはしょうがないし、話せる範囲が決まっているのだから全部がぜんぶ誠実ってわけじゃない。

 それでも、精一杯誠実で在ろうとすることはできるはずだ。


「過保護だなぁ。そんなことより、お風呂入らない?」

「そんなことって……まあ、そうだな。大浴場も開いてる時間だし、行ってくるか?」


 せめて美緒の気晴らしには付き合おうと、なるべく軽いトーンで返す。しかし、美緒はふるふると首を横に振った。


「大浴場は……嫌かな。手術の跡、あんまり見られたくないから」

「あっ、そ、うだよな。悪い」

「ううん。私が気にしすぎなだけだから、気にしないで」


 美緒は気にしてないと伝えるようにきゅいっと微笑む。もしかしたら、本当に気にしてはいないのかもしれない。当人以外が重く受け止めすぎることも、往々にして存在するだろうから。


「もし兄さんは大浴場がいいなら、行ってきてもいいよ? 広いお風呂なんてこういうときじゃないと入れないしね」

「いや、やめとく。他の人がいても気まずいだけだしな」

「……そっか。ありがとう」

「そこでお礼言われると、まるで人見知りでいてくれてありがとう、って言われてるみたいだな」

「そういうところも含めて、ありがとう、だよ」

「っ……卑怯な言い方だな」


 ふふ、と一枚上手な笑みを浮かべる美緒。俺の気持ちは美緒に見透かされてるみたいだった。俺の方はちっとも分かってあげられていないのに。

 もどかしさが苦々しさになって顔に出てしまわないように、俺は明るい口調で言う。


「じゃあ、じゃんけんしようぜ。勝った方が先に入るってことで」

「そこは女の子に譲るのが普通じゃないかな」

「つっても、美緒の方が時間かかるだろうしな。俺がちゃっちゃと済ませた方がいい説もある。だったら頭を使うより、さくっとじゃんけんで決めた方が恨みっこなしですっきりするだろ?」

「確かに……?」


 不承不承、といった感じで美緒が頷いた。ぶっちゃけ俺も今テキトーに考えた理屈だから正しいかは知らん。でもお泊まりには一つや二つ、くだらないおふざけが必要だと思う。


「兄さんって、そういうところ子供だよね」

「『そういうところ』に色々含みがありそうで嫌だな……」

「『色々』の内訳、聞きたい?」

「やめとこう。それよか、さっさとじゃんけんしちゃおうぜ!」

「逃げたね」

「うるせいやい」


 くつくつと二人で笑う。『笑ってる』と『笑ってくれてる』すら見分けられない自分が、すごく情けない。だけど、見分けられるふりをしたくはないから、今は答えを出さずに保留しておく。


「いくぞ。最初はグー、じゃんけん――」

「――ぽいっ」

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