10章#34 百瀬友斗の物語(2)

「で、いったい何なんだよ、これ」

「何ってパーティーですよ? お姉ちゃんももうちょっとで帰ってくるみたいなので、友斗先輩は大人しくしててください」

「パーティーって……だったら俺は邪魔だろ。三人で楽しくやってくれ」

「聞こえませんでした? 大人しくしててください!」

「……分かったよ」


 家に帰ると、雫と大河がてきぱきと夕飯の支度を始めた。どうやら雫は一度買い出しをしてから学校に戻ってきたらしく、鍋用の食材が既に準備されている。二人が仲睦まじく料理をするキッチンは近寄りがたい。俺は自室に戻って部屋着に着替えてから適当なところに座って待つことにした。


 美緒にはRINEで、送れなくてごめん、と謝っておく。

 しばらくして、澪も帰ってきた。


「あ、友斗。ただいま」

「お、おう。……おかえり」


 久々に話すものだから上手く距離感を掴めなかった。澪は雫と大河の方を一瞥し、俺の隣に腰を下ろす。


「ちょっと動かないで」

「は? え、お、おい」

「ん……好き」

「~~っ」


 澪が俺に寄りかかってくる。制汗剤らしい爽やかな匂いが備考をくすぐった。猫が甘えるようなその仕草にどくどくっと鼓動が速くなる。


「み、澪。何を……」

「ん、終わり。ちょっとエネルギー補給してただけじゃん。大げさ」

「急に密着されたら誰だって驚くだろ」

「急に距離を置かれたら誰でも傷つくけどね」

「――っ、それは……関係ないだろ」

「関係ないならいちいち反応しなきゃいいんじゃない? はい、ざこ~」

「うぐっ、お前な……」

「ん?」


 なになに言ってみ?とでも言うように小首を傾げる澪。その好戦的な顔が奇麗で、俺は自分のみっともなさを映し出された気分になった。


「……なんでもねぇよ」

「ちぇっ。こっちもめんどくさいな」

「…………」

「澪先輩。一人でユウ先輩とイチャついてないで、早く着替えてきたらどうですか?」

「はいはい。汗すっごいし、シャワーも浴びてくるから」


 大河に窘められた澪は立ち上がり、着替えを取りに自分の部屋へと向かう。澪とのやり取りが終わったことにほっと安堵して、そんな風に安堵した自分にがっかりした。

 気を紛らわすようにスマホを見る。

 美緒とのトーク画面には、既読がついてなかった。



 ◇



 鍋が出来上がり、俺は三人と一緒に食卓を囲んだ。既に大河と雫も部屋着に着替えているものだから、本当にお泊まりなんだな、と今更ながらに実感させられる。

 あったかい鍋。食事中には三人が楽しそうに話していた。時折俺にも話を振ってくるから無難に返す。俺のそんな態度に三人がどう感じたのかは……分からない。少なくとも、よくは思ってないだろう。


 食べ終わってから、流石に洗いものくらいはさせてくれ、と申し出る。反対されることはなかった。てきぱきと洗い物を済ませてリビングに戻ると、三人が楽しそうに話している。その光景を踏み荒らしたくなくて、俺は自分の部屋に――


「ちょっと、なに戻ろうとしてるんですっ? お話するに決まってるじゃないですか!」

「き、決まってるか……?」

「往生際が悪いですよ、ユウ先輩」

「友斗、お座り」

「うぐっ」


 ――戻ろうとして、三人に引き留められた。

 いや、雫と大河はいいけど、澪はおかしくない? なんだよ『お座り』って。戸惑いながらも、俺は三人の前に座った。

 いったい何を言われるのか。身構えていると、まず雫が口を開いた。


「まぁ、とりあえず! おひさです、友斗先輩」

「……雫と澪とは毎日顔を合わせてただろ。大河とも先週までは生徒会で一緒にやってた」

「そーゆう意味じゃないの、分かってますよね? 私たち、ずっと寂しかったんです。もっと女の子をいたわってくださいっ!」

「んなこと言われたって……」

「「「…………」」」

「あーもう! 久しぶり! これでいいか?」

「ん~。今日のところは合格ってことにしてあげます♪」


 雫が花丸みたいな笑顔を浮かべた。

 でも、と雫から言葉を引き取り、大河が言う。


「私たちもユウ先輩を責められる立場じゃないです。昨日まではお互いに合わせる顔がないって思って、距離を置いてましたから」

「……そうだな」


 三人が関わらなくなっていることも何となくだが察してはいた。


「それに、私たちがユウ先輩を追い詰めてしまった面もあるんじゃないかと思います」

「っ!? そんなこと――」

「ないわけなくない? 私たちが『ハーレムエンド』がいいって言い出したから、友斗はどうすればいいか分からなくなった。だからあの子に相談したんじゃないの?」

「違う…っ!」


 ずばっと切り裂くように澪が踏み込んでくる。

 咄嗟に否定の言葉が出たことに自分でも驚いた。だけど、澪の言っていることが正しくないのは本当だ。

 『ハーレムエンド』を望んでくれた三人。

 俺の弱さを、彼女たちの望みのせいにするのは違うと思った。


「違うんだ。三人は何も悪くない。俺がダメだったんだよ」

「「「…………」」」


 三人は、俺の言葉を待つようにこくと頷いた。

 だからだろうか。言うべきじゃないのに、続きを話してしまう。


「俺は何も持ってないから。澪みたいに欲しいものに貪欲になったり、大河みたいに真っ直ぐぶつかったり、雫みたいに思い一つで変わったり……俺にはできないんだ。だから三人に『ハーレムエンド』がいいって言われて、眩しかった」


 ぽつぽつと罪を告白するように言う。


「誰かを助ければ、こんな俺でも生きてていいって思えた。でもそれは……誰かが傷つくことを祈ってるのと同じで。そんな最低な奴が三人といていいわけないって思った」


 話していると、どんどん自分が嫌いになっていく。

 喉はからからだった。

 でも言わないといけないとも思う。今こうして俺と向き合おうとしてくれているこの子たちには、伝えるべきだ。


 ――俺にそんな価値がないってことを。


「俺は、本当は生きてちゃダメな奴だから。あのとき死ぬべきだったのは、母さんと美緒じゃなくて俺だった。なのに死ねなくて……だから、死んでるみたいに生きてるだけなんだ」


 だからって死にたいわけじゃない。生きていたいって思う。だけど俺のその価値はない。


『生きてていいと思えないのは当たり前だ。君は自分で役を選ぼうとしていない。誰かに与えられたヒーロー役に依存しているだけなのだから』


 冬夜さんの言っていたことは正しい。でもそれ以前の問題でもある。だって俺は自分の役を選ぶ以前に、生きること自体を選べていないから。

 あの日、たまたま俺が生き残ってしまっただけで。

 運が偶然、二人ではなく俺を選んだだけで。

 俺自身は何も選んでいない。


「だから俺と生きようなんて思わないでくれ。こんな奴と生きても意味がないから」


 俺に言える、精一杯の「さよなら」だった。

 恐る恐る顔を上げると、


 ――三人が泣いていた。


「っ、さ、三人とも……どうして……」

「どうしてもなにも、あるわけないじゃないですか! ユウ先輩の馬鹿! 好きな人がそんなこと言ってて、悲しくないわけ…っ、ないです!」

「――っ」

「ほんと、それ。まるで死にたがってるみたいじゃん。……友斗が一番、大切な人がいなくなる怖さは分かってるんじゃないの? なのにどうして、そんなこと言うわけ?」

「それ、は……」

「生きてちゃダメとか、ほんっと意味分かんないですから。中二病ですか? 思春期ですか? こんなに美少女に囲まれてるくせに、よくそんなばっかみたいなこと言えますね!」


 泣きじゃくりながら大河が言って。

 悔しそうに澪が泣いていて。

 雫が涙をごしごし拭う。


 何が「さよなら」だ、と自己嫌悪がせりあがってくる。お前は自分の弱さをこの子たちにぶつけただけじゃないか。弱音を吐くよりもいっそうタチが悪い。

 彼女たちの奇麗な涙に、こんなにも汚い俺が触れていいわけがなかった。

 どうすればいいか分からなくて、俺は歯がゆさを握る。


 やがて泣き止むと、彼女たちは言った。


「……私たちに言えるのは、ユウ先輩が好き、ってことだけです。ユウ先輩は当たり前に生きてていいけど……でも、それは私たちに決められるわけがなくて」

「だから、ちゃんと自分で答えを出して。それまでは絶対、友斗から離れてやんないから」

「いや、俺のことはもう――」


 見放してくれよ、と思う。

 もう分かっただろ。三人に幼稚な弱さをぶつけて、こんな風に泣かせた。俺は最低の奴なんだよ。だからもう見放してくれ、って。

 だけど俺が言い終える前に、


「私たちの恋を、勝手に終わらせないでください」


 と雫が言った。


「友斗先輩が悩んでるのはよーく分かりました。だけど、だからって私たちの恋を終わらせられる筋合いはありません」

「……っ」

「私たちは『ハーレムエンド』がいいです。でも、別に友斗先輩が私たちの気持ちに絶対応えなきゃいけないってルールはありません。私たちの中から誰かを選びたいならそうすればいいですし、私たちの誰も選ばないつもりなら、それでもいいです。だけど――」


 大河を、澪を、雫は見遣って。

 三人分の気持ちを手向けるみたいに、言った。


「そーゆうのは全部、友斗先輩の恋の話です。友斗先輩が何を選んでも、私たちが片思いする権利はなくなりません。これは、私たちの恋であって、友斗先輩の恋じゃないんです」

「それは…そう、だけど……」

「っていうかそもそも、今の友斗先輩はろくに恋と向き合ってないじゃないですか。それ以前の問題で止まってるくせに、勝手にラブコメを打ち切りにするとか論外ですから」


 彼女たちは俺の手を取り、包み込む。

 去年と今年のあわいの時間、四人で温め合ったのを思い出す。


「ちゃんと、待ちますから。だから悲しい答えを出さないでください。納得いかない答えで満足しないでください。誰でもない、友斗先輩の答えをゆっくり考えていいんですよ」


 ぺら、と手紙の封を切る音がした。


「これは友斗先輩の物語なんですよ」

「――っっっ」


 ぽろぽろと涙が零れる。手の甲が濡れて、俺は目元をぐりぐりと擦った。雫たちを泣かせたのは俺なのに、どうしてお前が泣くんだよ。

 って、責める必要はないんだよ。

 まるでそう慰めてくれるみたいに、三人のあえかな熱が伝わってくる。


 雫たちは、俺をちゃんと待ってくれていた。それはあの夏からずっと、変わらない。

 なのに俺はようやく見つけられた恋心に浮かれて、足を掬われて、闇雲に迷走して。その結果、皆を傷つけた。


 それでもまだ、待ってくれるのなら。

 俺が自分の物語を描き直すまで、待ってもらえるのなら。


「ありがとう。雫も、澪も、大河も」


 もう二度と違えないように、再び筆を執ろう。

 ヒーローでもモブキャラでもない、百瀬友斗としての物語を紡げるように。


「あとちょっとだけ、待ってくれるか?」

「はいっ、いつまでも待ってあげます♪ 待ち続けておばあちゃんになっちゃってもいいくらいです!」

「そ、それは流石に……でも、私も待ちますよ。その間も一緒にいてくれるなら」

「当たり前だよね。ま、悠長にしてると私が二人を貰っちゃうけど」


 堪らなく温かいその部屋は、たぶん春によく似ていた。

 まだ冬が終わるわけじゃない。それでも、春を始める準備をしよう、と思った。

 春は終わりの季節だ。それでいて始まりの季節でもある。


 時の魔法をかけるように、真冬の桜の花弁を掬うように、俺はくしゃっと笑った。

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