9章#33 願い
海が近く、比較的この辺りは温かい。
それでも夜は嫌に冷えて、凍えてしまいそうだ。くいっと赤いマフラーを口もとまであげれば、お日様の匂いが漂ってくる。今日はもうねんねしたはずの太陽の残り香は温かくて、ふっ、と笑みを零した。
大河と入江先輩の二名と合流してから少し経って。
入江先輩は、時雨さんと二人で少し先を歩いていた。時雨さんに遊ばれている感が無きにしも非ずな気がするが、楽しそうだからいいのだろう。これはこれでいいカップルだ。
その何歩か後ろを、雫と澪が楽しそうに歩く。雫の顔が赤いことを見るに、さっきの姫始めネタでいじっているのかもしれん。この距離なので聞き耳を立てようと思えば立てられるのだが、今はそれより、隣を歩く少女との会話に集中したかった。
「改めて……一昨日ぶりですね、ユウ先輩」
「ああ、そうだな」
「会いたかったです」
「そりゃどうも……でも、別に今までだって毎日顔を合わせたわけじゃないだろ? 夏休みなんて、数えるほどしか合わなかったわけだし」
会いたかったのは俺も同じだった。
ツッコミ人員を……というのももちろんあるけれど。
でも大河も、俺の好きな子だから。好きな子に会いたくないと思うはずがないし、仮に好きな子でなくとも、大河は大切な相手だ。会えれば嬉しいに決まっている。
しかしそんな本音が悟られるのも気恥ずかしいし、恋心がバレるのなんて以ての外だから、無愛想な返事になってしまう。
「それはそうなんですけど……でも最近は、会わない日の方が少なかったじゃないですか。平日は生徒会で一緒にいて、休日はお邪魔させていただいて」
「まぁな。雫と澪を除けば、大河と過ごしてる時間がダントツで長いし」
或いは、雫と澪を計算に入れても……。
そう考えて、苦笑する。まさか大河とこんなにも同じ時間を共有することになるだなんて、最初に会ったときには思ってもいなかった。
「ユウ先輩たちは何してました?」
大河の問いに、そうだなぁ、と考える。
昨日からやったことと言えば……あれ、俺って意外とやってることが少ない?
「ええっと……俺は今日、墓参りに行ってきたな」
「なるほど」
「あとは……基本だらけてたな。澪はお雑煮作るの手伝ってたし、雫も一緒になっておせち作りをやってもいたんだが……」
こたつでアイスを食べたあと、雫は澪と祖母ちゃんと一緒におせち作りに励んでいた。その手際のよさに感心しつつ『俺も……』と申し出てみたのだが、祖母ちゃんにやんわりと断られてしまったのである。
あはは、と枯れた笑みを零す俺。
料理スキルが上がったと調子に乗っていたが、やはり肝心なときにはまだ戦力外になってしまうらしい。まぁ、俺より遥か上の二人がいるんだし、これ以上の手を必要としてなかっただけかもしれんが。
なんてことを考えていると、そうですか、と大河は頷いた。
そして、
「いいなぁ」
と、ぽつりと呟く。
えっ、と思わず声が出た。
「いいな、って? 俺みたいにだらけるのが羨ましいってことじゃ……ないよな?」
「当然です。ユウ先輩と一緒にしないでください」
「いや別に俺も好きでだらけてたわけじゃないからね?」
それに、明日は働くし。
そう心中で思いつつも、それより、と視線で話の続きを促す。
大河はばつが悪そうに口もとを抑え、それから観念したように言った。
「澪先輩と雫ちゃんが羨ましかったんです。ユウ先輩と時間を共有できて、家の味を知れて、他にも色んなことを知ることができて……そういうのが、いいなぁ、って。ごめんなさい。性格悪いですよね」
聞かなければよかった、とは思わないけれど。
聞いたことで胸が締め付けられたのは紛れもない事実だった。
けれど――今はそれを、顔に出すべきではない。
奥歯をぐっと噛んで、くしゃっと笑って見せる。
「性格悪いなんてこと、ねぇよ。俺だって大河と時間を共有できなくてもどかしくなるときあるし。澪や雫とだって、全部を共有できるわけじゃない。知らないことばっかりだ」
知らないことも、知れないことも、たくさんある。
大河だけが特別なわけではない。
澪と雫の父の話を、或いは祖父母の話を、俺は全て知らない。
「ないものねだりより、あるものを数えていこうぜ。忙しくないときはRINEで話してもいいし」
「……はい、そうします」
「うん、そうしてくれ。っと、そろそろ着くな」
話している間に神社が見えてくる。
俺がいつも来ており、明日働くことにもなる場所だ。見れば、ちらほらと参拝客の姿が見える。年明けまではまだ幾分か時間があるが、マメな人は早めに来るからな。
「もう入っちゃっていいよね?」
「いいんじゃないかな、人もそれなりにいるみたいだし」
「うん、分かった」
神社に入る階段の前で立ち止まった時雨さんと、そう言葉を交わす。
というのも、この神社は二年参りにめちゃくちゃ人が来るわけではない。年明け前、しかも30分以上前から待つのはごく限られている。そのため、あまり少なすぎるようならちょっと時間を潰すことにしてるのだ。
今回はその必要もないだろうと、階段をのぼる。
一度立ち止まったことで雫と澪の二人とも合流し、四人になった。
大河と顔を見合わせ、くすっ、と笑う。
なんてことのない会話を交わしながら階段をのぼり、鳥居をくぐると、手水舎が見えた。時雨さんと入江先輩は、既にそこで手水を行っている。
右手で柄杓を持って、左を。左手で柄杓を持って、右を。そのあと右手で再び持ち、水を左手に溜めて口を清める。手慣れたその所作はとても綺麗だった。
俺たちもそれに続く。
左手、右手、口――って、冷てぇ……。
夜風も相まって、めちゃくちゃヒリヒリする。顔をしかめつつハンカチで手を拭いていると、雫と澪が手を握り合っていた。
「うぅ……手が死ぬよぉ……」
「うんうん、そうだね。冷たい……神様は冷酷だ」
「大袈裟な上に罰当たりなんだよなぁ」
手水は別に神様が課したミッションとかじゃないからね?
苦笑していると、二人がムッとした目で見てくる。
「とか言って、友斗先輩だって冷たそうにしてるじゃないですか」
「そうそう。友斗も冷たいんじゃん……あ、そうだ。なら――」
「――なっ」
いいことを思いついた。
そう言いたげな顔をした澪は、俺の手を握ってきた。両手で両手を一つに包み込むような、そんな握り方。突然のスキンシップに、思わずドギマギしてしまう。
「こうすればあったかい。雫もどう?」
「いいねっ! 三人ならもっとあったかいはずだし」
「は? いや、これじゃあ――」
――歩きにくいだろ。
そんな反論よりも先に、雫も手を握ってくる。しかもただ上から握るんじゃない。俺と澪の指の間に入り込んで、三人で一緒になるような握り方だった。
っ……これ、心臓に悪い。
ヘルプミー、と大河を見遣ると、大仰な溜息が返ってきた。
「澪先輩、何やってるんですか。それではここで立ち止まらないといけないじゃないですか」
「ふぅん。ま、トラ子が入ってくる気がないならそれでもいいけど。雫と友斗の温もりを感じる贅沢は、ぼっちには分からないかもね」
「~~っ! 別に入りたくないとは言ってないじゃないですか! 私も入れてください」
「大河っ!?」
あっさり挑発されて言い負けてしまう大河。
ぶきっちょに上から叶えただけの大河の手を澪がそっと指先で導き、俺や雫の手と触れさせる。
押しくらまんじゅう状態の四人の手は、ぬるま湯みたいに温かかった。
「あなたたち……何やってるの?」
「ふふっ。ボクたちは先に並んでるね。いこ、恵海ちゃん」
「「「「…………」」」」
入江先輩のマジな質問と、マイペースな時雨さんの言葉。
その両方が、『マジで何やってるんだろう』という問いを俺たち四人の間に浮かべさせる。いや俺は割と最初からずっと思ってたんだけどな。
けど……いざこうして四人で握り合ってみると、他の人がこたつに対してそう思うみたいに、そこから抜けたくない気分になっていた。
「これ、割とバカだよな。よく考えたら俺、カイロ持ってきてるし。それを回せばよかったんじゃ……?」
「ま、そうだけどね。でもいいじゃん、あったかいんだし」
「そう……ですね。他のお客さんもまだ来なさそうですし、邪魔じゃないはずですから」
「うんうん。それに、四人でいるとあったかいもんね」
口では色々言うけれど、三人の言葉には概ね賛成で。
誰に迷惑をかけるわけでもないのだから、このままでいいじゃないか。そんなことを考えそうになる。
お焚き上げの火が、チリチリと燃えて天に伸びている。
やっぱり、と思う。
冬の夜は寒いけれど、四人でいればちっとも気にならない。だって、赤い糸が紡いだマフラーはこんなにも温かいから。
「もう少しだけ、こうしてるか」
あと少し、もう少し。
12月にこの想いを置いていけますように、なんて。
叶わぬ願いすらもお焚き上げしてもらえればよかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます