8章#31 謎解き

 12月17日。

 この日、我が田々谷大学附属高等学校の二学期が終わりを迎える。今日から冬星祭までの一週間は、冬星祭のための準備に専念することになるわけだ。


 渡された成績表は……今回も変わらず。

 オール5なのを確認し、一応はガッツポーズをしてから鞄にしまう。将来のことを考えれば大学への推薦の際に学部が選びやすくなるわけだが、今は1年以上後の将来よりも一週間後の未来の方に意識が向く。


「将来、か」


 そういえば夏休み、時雨さんには大学に連れて行ってもらったんだよな。それであの人に指摘された覚えがある。未来のことを考える余裕がないのだ、と。

 図星だった。

 俺はあのときも――そして、今も。

 遠い未来のことを考えることができていない。


「時雨さんは……どうなんだろうな」


 呟いてみて、そりゃちゃんとビジョンがあるに決まってるだろ、と心の中でツッコむ。当たり前だ。だってあのとき、時雨さんは俺に語ってくれた。


『大学に入って、ボクには今とは少し違う友達ができるの。変わり者で、おかしくて、けど素敵な人たち。そんな人たちと毎日楽しく笑って、時には愚痴も零して、そこの学食で『あんまり美味しくないね』『けど安いからいいじゃん』って言うんだ』


『二十歳になったらお酒を飲もうかな。飲みすぎちゃった友達を家まで連れて帰って……その帰り道に、ふと空を見上げてみるんだ』


『お酒臭くて。『お酒飲めても大人にはなれてないね』なんて言い合って。そのまま、普段なら恥ずかしくなるような将来の夢を話すんだ』


『どうせお酒で忘れちゃうって思ってるから、たくさん喋りすぎちゃって。けど意外と忘れてなくてね。でもそれがきっかけで、少しだけ夢が目標に変わる。『言ったからにはやってみよう』って思って、未来に向かって頑張ってみたくなる。そんな大学生活が送りたいな、ってここにいて思うよ』


 ありふれた、けれど現実からは離れた夢物語。

 多くの大学生が期待して、でも実際にそこまで鮮やかな大学生活を送れる人は多くはないと思える。

 そんな、願望を語ってくれた。


「……それって、本当にあの人の願望なのか?」


 あの自由で、やりたい放題の時雨さんが。

 常人には何を考えているかすら推し量れないあの人が

 ――どこにでもあるような未来を語るのか?


 そんなのまるで、ありきたりな欲みたいじゃないか。

 世界が平和になりますようにとか、億万長者になりたいだとか、恋人がほしいとか、美少女が降ってきてほしいとか。

 それは本当に、時雨さんの欲しいものだったのか?

 もしかしてあれは――


「ねぇ友斗」


 思考を遮るように、とんとん、と肩を叩かれる。

 まずい、今は教室だった。ぶつぶつ呟きすぎたか……と振り向けば、そこには澪が立っていた。


「澪、悪い。ちょっと考え事してた」

「知ってる。ぶつぶつ言ってるの聞こえてたし」

「……すまん」


 つい考え事してると独り言が多くなるんだよな。これもラノベを読みすぎてるせいなのかもしれん。ああいうのって主人公が考えるパートで文字が詰まりすぎないよう、適度に独り言を入れるし。


「ま、大丈夫。声は小さかったから私にしか聞こえてなかったよ」

「そっか。ならよかった」

「ん。でも気をつけた方がいいと思うよ。特に霧崎先輩の名前を呼んでるところとか聞かれたら、その手の輩だと思われかねないよ」

「ああ」


 最近こういう忠告受けること多いんだけど、俺ってそんなにヤバいっすかね?

 と、心の中でジョークを飛ばし、こほんと咳払いをした。


「で、澪。なんか用か?」

「ん、ちょっと話したくて。生徒会ってすぐ行かなきゃダメ?」

「生徒会は……いや、あと30分くらいは大丈夫なはず」


 時計に目を向け、そう判断を下す。

 冬星祭まではあと一週間。明後日くらいからクリスマスツリーの組み立てや飾りつけ等の会場整備に入る予定だが、今日はそういうわけではない。

 今はお昼時なので食事を摂ってから生徒会室に集合して事務作業をすることになっている。まだ集合時刻までは余裕があった。


「そ。なら、二人で話さない? まさに霧崎先輩のことで、分かったことがあって」

「……分かったこと?」

「ん。それと気になること。友斗も、きっとそれは同じでしょ」


 指摘され、俺は苦笑した。まぁ独り言で時雨さんの名前を口にしていたくらいなのだ。気付かれない方がおかしい。

 素直に首肯した。


「分かった。そういうことなら屋上……は、ダメか」

「そうなの?」

「ああ。今日は時雨さんが鍵を借りてる」

「なるほど」


 澪は首を縦に振り、窓の外を見遣った。 

 そこから屋上が見えるわけないのだけれど、澪は外を忌々しげに睨む。


「なら、ついてきて。ちょうどいい空き教室があるから」

「空き教室か……ま、それが妥当だな」


 ん、と小さく漏らし、澪は教室の外に出る。

 俺は澪の背を追いかけた。



 ◇



「ここ。霧崎先輩と話したとき、連れてこられた場所なんだよ」


 空き教室に来るなり、澪はそう教えてくれた。

 普通空き教室は鍵が閉まっているのだけれど、この部屋は空いていた。というか、よく見れば鍵の部分が壊れていた。机はなく、空っぽで、どこか退廃的な空気が漂っている。


「そうなのか。でも、雰囲気は悪くないな」

「だよね、ちょっと思った。厭世的っていうかさ」

「安っぽい言葉だけど、分かるかも」

「ね」


 消し方が雑な黒板は、白く濁っていて。

 その端っこのあたりに指でなぞったらしき跡があった。


「ま、この部屋のことはいいよ。前にあの人と話したことは伝えたわけだし」

「だな」

「それよりも、あれから分かったことがあって。まずは私から話すけどいい?」

「頼む。俺の方は、割と言えないことがあるから」

「そか。でも私も言えない部分もあるから、説明は雑になる。変に詮索しないでくれると助かる」

「了解」


 そうして秘密があるのを認識するのは、少しだけ苦い思いがする。

 秘密を作らないと決めたばかりなのに。

 でも色んな事情があって、思いやりがあって、今は話さないと決めていることだってあるはずで。

 まして今は他に考えるべきことがあるのだから、俺は素直に受け入れるほかない。


「先週のこと。ちょっと野暮用があって、入江先輩と会ってね。そのときに話したんだよ」

「話した?」

「そ。話の流れで、入江先輩の大学の話になってさ」

「大学の話?」

「うん。入江先輩は演劇サークルに入るつもりらしくて。で、今はいい後輩が上がってくるようにコーチしてるんだって」

「ほーん」


 マジか、あの人。まだ一年生ですらないのに既に後輩ができることを想定してるのか……すげぇな。俺とは大違いだ。


「それで?」

「ん。それで……そのときに『あと数か月で卒業だもの。卒業後の展望を抱いてない人の方が少ないわよ』って言ってて」


 澪は入江先輩っぽく言った。

 おかげで、そのときの情景が何となく浮かぶ。


「そのときに、気になったんだよ」

「時雨さんはどっちなのか、か」

「ご明察。聞いてみたら、教えてくれた。どっちだったと思う?」


 展望を抱いている側か、抱いていない側か。

 前者だと思っていた。つい最近までは。

 けれど壬生聖夜の物語や雫との話が、その答えに待ったをかける。

 欲しいものが目に見えていることも、もちろんある。だから時雨さんがあの日俺に語ってくれた展望は事実あの人が望んでいるもので、嘘偽りではないのかもしれない。

 でも――


「後者、じゃないか?」


 ――俺にはあれが、時雨さんの本当の望みだとは思えない。

 だって入江先輩は言っていた。

 俺と時雨さんは迷子みたいなのだ、と。


「正解。しかも断言されたよ。『時雨が将来のことを考える? ありえないわよ』って」

「……そうか」

「前に入江先輩、誘ったことがあるんだってさ。高校は生徒会で忙しいだろうから、大学生になったらでいい。二人で新しく劇団を作って、脚本家と看板女優でやっていこう、って」

「そんなことがあったのか」


 おかしな話、ではない。

 入江先輩は時雨さんに演劇部の脚本を見せ、アドバイスを受けていたらしい。であれば時雨さんがそちらの分野に長けていることくらいは知っているはずだ。或いは、あの人が書いた物語を読んだことだってあるのかもしれない。

 そうでもなければ、演劇に真剣な入江先輩が核とも言える脚本でアドバイスを求めないだろう。


「じゃあ……時雨さんは、断ったわけか」

「そうらしい。それだけなんだけど……でも私が思ってたあの人は、自分で何でも決めて、やりたいことをやる自由人だったから、意外だったんだよ。あの人が将来の展望を考えていない側だった、ってことが」


 もちろん入江先輩の見立てが間違ってるってこともあるけど。

 澪はそう、言い足した。


 その可能性は捨てきれない。

 入江先輩は時雨さんのことを全て知っているわけではないのだ。三年間一緒だった。だがたった三年間しか一緒ではなかった、とも言える。それを言えば俺の方が長く一緒にいるわけで、しかも家族とだって面識があるのだから。


 でも俺の中で、確実に時雨さんの人物像は揺らいでいる。

 俺はあの人のことを何も知らなかった。知ってみて、むしろ入江先輩が持つ霧崎時雨像の方が実像であるように思えてきている。

 ならば――少なくとも、暫定すべきなのだろう。


 仮定1。

 ――霧崎時雨には未来が見えていない。

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