8章#26 ターニング・ポイント

 SIDE:友斗


 ミスターコンへの出場が決まった日の放課後のこと。

 珍しいことに、生徒会室には俺と月瀬しかいなかった。ミスターコンの準備のために如月たち三人は方々を回っており、大河は先生に呼び出され、時雨さんは時雨さんで三年生の用事があるらしい。


 俺と月瀬の座席は向かい合っており、必然的にほぼ常時視界に彼女が入ることになる。キーボードを叩いたり、眉間にしわを寄せたり、コーヒーを飲んだりしているのを、いちいち視界の隅で捉えている自分がいた。


 なに、別に特別なことではない。

 今やっているのが単純作業でそこまで思考リソースを割かないくせに飽きが来る仕事だから、ついつい視線が月瀬の方へ向いてしまう、というだけのこと。


 生徒会に就任してから1か月強。

 月瀬は随分と生徒会に馴染んだ。如月たち三人がミスターコンに集中し、冬星祭の準備の方を気にせずにいられるのも、月瀬の存在はかなり大きい。なんだかんだ優秀なのだ、彼女は。


「ふぅー。なんか、ずっとパソコンと向き合ってるのも気が滅入るよね」


 あれこれと考えていると、月瀬が声を掛けてきた。視線を上げれば、一息つこうとしていることが分かる。椅子に体重をかけて座り、目を指の腹で軽くマッサージしていた。


「まぁな。けど、働くようになったらもっと大変だぞ」

「あー、確かに! オフィスで働くような仕事だと、ずっと向き合ってなきゃだしね」

「そうそう。働きたくないよなぁ……」

「うわぁ、すっごい嫌そうな声」


 たはは、と苦笑する月瀬。

 俺も少し休むことにしてカップに手を伸ばすが、そこで空になっていることに気が付いた。最近は時雨さんの小説を読むために睡眠時間を減らしてるからな。体がカフェインを欲しがって、がぶがぶ飲んでいたらしい。


「あ、コーヒー淹れよっか? ちょうどあたしもなくなっちゃったし」

「あぁ……悪い、頼んでいいか?」

「うん、任せて! 喫茶店のマスターの孫だからね。美味しいコーヒーを淹れてあげるよ!」

「インスタントだけどな」

「ちっちっち。一流はインスタントからでも違いを出せるんだよ。……まぁ、お祖父ちゃんからコーヒーの淹れ方とか教わったことないんだけどね」

「ないのかよ……え、今の会話なんだったの?」

「ライカちゃんジョーク、ってやつかなっ♪」

「くだらねぇ……」

「酷い!?」


 ぷっ、と俺は思わず吹き出す。

 つられるように月瀬もくすくすと笑い、楽しそうに席を立った。二人分のカップを摘まみ上げると、コーヒーを淹れに行く。


「はい、どうぞ。今日の豆はブルーマウンテンです」

「だからインスタントだって。あと、そこでブルーマウンテンを真っ先に出してくるあたり無知感が凄い」

「百瀬くん、あたしになら何を言ってもいいと思ってないー? っていうか、アホの子だと思ってるでしょっ?」

「え? いや、そこまでは思ってないけど……」


 と言いつつ、月瀬への言葉選びは結構緩くなってるな、と自覚する。

 まぁ友達の中じゃ唯一の同中だからな。中学時代に絡みが多かったわけじゃないが、一緒にいる時間が長いと自然に気軽な接し方へシフトしていくのだ。

 言うて、月瀬もそれを嫌がってはいなさそうだしな。


「百瀬くんは知らないかもだけど、あたしだって結構勉強はできるんだよ?」

「流石にそれは知ってる。俺も何度か負けてるしな」


 月瀬来香という名前を本人と会う以外で意識する機会は二度ある。

 一つは今なお八雲が開催している『可愛い子ランキング』。もう一つは定期テストの度に貼り出される順位だ。

 俺と月瀬は一年生の頃からトップ10に入っており、2位争いをすることもままある。身近に澪がいるのでそこまで意識することはないが、月瀬もかなり頭がいいのだ。


「えへへ、そういうところはちゃんと知ってくれてるんだね」

「逆に俺のこと、なんだと思ってるんだよ……月瀬のことだってそれなりには知ってるって」

「どうかなぁ。百瀬くんって忘れっぽいから」

「忘れる……?」


 抜けてる、みたいなことだろうか。

 それなら自覚はある。最近は特に色んな人から言われるしな。非常に不服だが、自分が勢い重視のタイプだってことは認めなきゃいけないんだろう。

 ふぅ、と向かいに座った月瀬がカップに口をつける。

 きゅいっと目尻を下げて微笑む彼女の姿は、綿毛をたくさんつけたタンポポみたいだった。


「なあ月瀬。ちょっと頼みたいことがあるんだけど、いいか?」

「え、新しい仕事……? あたし、結構まだ色々やってない仕事があるんだけど」

「月瀬は俺のことを鬼上司とでも思ってるの?」

「違うの?」

「違ぇよ!? 俺、生徒会の中で一番の下っ端だからなっ?」


 くつくつと楽しそうに肩を震わせる月瀬。

 ごめんごめん、と彼女は笑う。


「ずっと学級委員として色々仕事任されてたからね。その感覚が抜けなくて」

「あぁ……ま、それは否定できない。でも今頼みたいのはそういうのじゃなくて、結構私的な話だよ」

「彼女になってくれ、とか?」

「…………そういう冗談、男友達相手に言うもんじゃないぞ」

「あちゃあ。冗談だって分かっちゃったか」


 一瞬、なんと返せばいいのか分からなくて言葉に詰まった。

 月瀬は時々、言葉に含みを持たせることがある。ちゃんばらごっこの延長線上みたいな会話だってことは分かっていても、ドキッとはするものだ。


「大丈夫だよ。こんな冗談、百瀬くんにしか言わないもん」

「俺にしか?」

「うん。だって百瀬くんは勘違いしないでしょ? あんなに可愛い子が三人もいるんだし」

「……まあな」


 変な空気になっているのを感じた俺は、こほん、とわざとらしく咳払った。

 頼みたいことがなので、こういう雰囲気は困るのだ。


「で、頼みたいことって?」

「ああ、それなんだけど……実はミスターコンに出ることになってな。特別パフォーマンスの相手役を頼みたいんだよ」

「へ?」


 ぱちぱち、と目を瞬かせる月瀬。

 間の抜けた声を出すと、意外そうに言ってくる。


「え、あたしでいいの?」


 雫や澪、大河じゃなくていいのか?ということだろう。

 実際、LHRでも相手役は澪にしよう、みたいな空気になった。勝ちを狙うならばそれがいい。澪の演技力を駆使すれば、俺が大根役者でもいい評価を得られそうだしな。

 だけど……。


「あの三人には演技で告白すべきじゃないと思うんだよ」


 心が決まっているのならいい。でも、俺はまだ誰のことが好きなのか分からずにいる。そんな状態では、たとえイベントだとしても、嘘の告白をしたくはなかった。


「遠いなぁ」

「うん? 何がだ?」

「えっ、ううん、なんでもない! 真剣にあの三人ことを考えてるんだなぁ、って思っただけ!」


 ふるふると首を振ると、月瀬は自分を落ち着かせるようにコーヒーを飲む。熱っ、と口先だけで漏らすと、彼女は小さく笑った。

 その姿に微笑ましさを覚えつつ、俺は続けて月瀬に頼んだ理由を説明する。


「他に頼める女子ってなると如月と時雨さんぐらいだけど……如月は彼氏持ちな上に運営だし、時雨さんとは一時期軽くゴシップが流れてたからな。卒業前にあの人に迷惑をかけたくもない」

「その点私は女友達だから頼みやすい、って?」

「と思ったんだが……ダメか?」


 もう一人、伊藤に頼むという選択肢もないわけじゃない。が、本人が気にしてないとはいえ、一度告白されている相手なのだ。流石に特別パフォーマンスの相手には選びたくない。


 とはいえ、特別パフォーマンスの相手役なんて簡単には受けにくかろう。

 だから断られることも覚悟の上だったのだが、


「いいに決まってるよ! 百瀬くんの力になりたいもん」


 と、かなり前のめりで引き受けようとしてくれた。


「……いいのか? 言っとくが、もし彼氏とか好きな男子との関係が拗れたとしても俺は一切責任を取らないからな?」

「心配しすぎでしょー! 彼氏なんていたことないし、大丈夫だよっ」


 可笑しそうに月瀬が破顔する。

 まぁ、よく考えたらそうか。彼氏や好きな男子がいたら、流石にさっきみたいなからいかい方をしてくることもないだろう。

 ともあれ、月瀬が引き受けてくれるのであれば万事解決だ。

 ほっと胸を撫で下ろした俺は、机越しに月瀬へ右手を差し出した。


「じゃあよろしくな」

「うんっ。優勝目指して頑張ろー!」

「いや、そこまでガチにならなくてもいいんだけど……」


 握った月瀬の右手は、何故か少しだけ熱いような気がした。

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