8章#04 慌てんぼうのクリスマスイブ

「たっだいまーっ!」

「お邪魔します」


 飾りつけやら料理の下準備やらに取り掛かっていると、玄関から元気のいい声が聞こえた。後に続く礼儀正しい声は若干疲れているようにも感じられて、ああ雫に振り回されたんだろうな、と苦笑する。


「おかえり、雫。トラ子、よく来たね」

「澪先輩。今日くらいケンカを売るのはやめにしていただけませんか?」

「ケンカなんて売ってないよ。歓迎したでしょ?」

「声が歓迎してませんでした。言葉って受け取り手次第で変わるものだと思いますが」

「あー、もうっ! そうやって流れるように口喧嘩しないのっ! 私の誕生日をお祝いしてくれるんでしょ⁉」


 二人を出迎えに玄関に向かい、早速ぱちぱち言い争う澪。

 大河と澪は雫に注意されてばつが悪そうに顔を逸らした。そんな仕草までそっくりで、アホかよ、と笑ってしまう。


「雫も大河も、おかえり」

「はいっ、ただいまです!」

「ただいま……で、いいんですか?」


 俺が二人に向けて『おかえり』と告げたからであろう。

 大河が目をぱちぱちと瞬かせ、ぼしょりと呟く。俺は雫と見合い、破顔した。


「いいに決まってるじゃん! ねー、友斗先輩っ?」

「そうだな。わざわざ『お邪魔します』って言われる方が気持ち悪いし」


 それに、今日に関して言えば大河も雫を祝う側なわけで。

 そういう意味でも、『ただいま』の方が適切だ。な?と澪に視線を遣ると、肩を竦められた。


「ま、そんなくだらない言葉一つをいちいち気にするあたりトラ子もまだまだだよね」

「言葉一つ一つを大切にするのは当然です。特に親友や好きな人からであれば」

「あっそ。じゃあ私からの言葉を気にする必要はないね」

「そうかもしれませんね」

「いいから『おかえり』って言ってやれよ、素直じゃねぇな……。大河も顔に『おかえりって言ってほしい』って書いてあるぞ」

「言わないから」「書いてません」

「ねぇ友斗先輩。これ私たち要らなくないです? 二人の百合ラブコメでいいのでは?」

「……否定はできないな」


 苦笑いしつつ、いつまでも玄関にいたってしょうがないのでとっとと中に入る。

 すると、


「わーっ! 綺麗に飾り付けしてくれたんですねっ!」


 と、雫が感激したように言ってくれた。

 見れば、キラキラと瞳が輝いている。その横顔の無邪気さにドキリとしつつ、俺は口を開く。


「本当はサプライズのつもりだったんだけどな」

「じゅーぶんサプライズになってますよ? お祝いされないとは思うわけないですし」

「そっか。ならよかった」

「はいっ、とっても嬉しいです。ありがとね、お姉ちゃん、大河ちゃん♪」


 雫が、しゅわっと弾ける泡のような笑みを浮かべる。

 喜んでもらえたようで何よりだ。俺は澪と大河と顔を見合って、ふっ、と微笑んだ。


「料理とケーキももうすぐ準備できるから。雫は手を洗ってからゆっくりしてて」

「えっ、ケーキも手作りなの!?」

「うん、お姉ちゃん頑張ったから。……ってことで、トラ子は早く支度して手伝って」

「もちろんです、分かってます」


 ケーキは買いに行ってもよかったんだけどな。澪の誕生日のときはそうしたし、ケーキを作るとなると時間もかかるし。

 でも澪と大河が作ると言ったので、今回は任せることにした。朝のうちからある程度進めていたそうなので、夕食までには無事完成するはずだ。


「よし、じゃあ俺も――」

「あ、友斗は戦力外だから」「ユウ先輩は雫ちゃんと話しててください」


 手伝うか、と言おうとしたのに、ぴしゃりと言葉を遮られてしまう。

 ぐぬぅ。

 料理の腕が上がったと思ったらこれだよ。まだまだ鍛練が足りないってことかね。俺は肩を竦め、雫に言う。


「……だ、そうだ。雫、話し相手になってくれ」

「友斗先輩ってあれですよね。将来尻に敷かれるタイプ」

「…………否定できないな」


 あまり直視したくない現実ではあった。



 ◇



 澪と大河の作業は、傍から見ていてもとても手際がよいものだった。

 夕食の支度とケーキの準備を同時進行で進めるその様は、名店の厨房かと思うほど。そりゃ俺の出る幕はないわな、と思った。


 そうして準備が全て終わったのは、夕食にするにはやや早い時間帯。

 後は食べる前に最後の仕上げをするだけだ、というところまで終え、二人はリビングにやってくる。

 三人ならばソファーに座れないことはないけれど、四人は流石に無理があった。

 俺が大河に席を譲ると、雫を挟む形で二人が座った。


「あ、じゃあ友斗先輩は膝に――」

「座らねぇよ」

「ならそこに跪く?」

「確かにしゃがむから似たようなもんだけど表現の仕方があるよね!?」

「あの、ユウ先輩……やっぱり私が――」

「ああ、それはいいから。大河は日中歩いてたんだし、座っとけ」


 三人と話しつつ、ソファーのすぐ近くに腰を下ろす。なんか座椅子みたいなの買ってもいいかもな。ひとまず転がっていたクッションを座布団のようにして座り、腰を落ち着けた。


「「「「ふぅ」」」」


 同時、ではなかっただろう。

 けれども四人の吐息は、確かに重なった。俺と大河と澪がコーヒーで、雫は紅茶。俺と澪は砂糖多めで、大河はブラック。俺はミルクなしだけど澪はミルク入り。それぞれ飲むものは違うが、感じている温もりには類似点もあるはずで。


 やっぱり四人がいいな、と思う。

 だからこそ……俺が誰かを好きになったとき、誰かを傷つけてしまうのだろうかと思いもするけれど――。

 しかし、誰のことも好きにならず、こんなぬるま湯に浸かり続けることを良しとしてもらえるはずもない。


 向き合わなくちゃいけないんだろうなと思っていると、


「こほん。私から三人に、大切なお話があります」


 と、雫が大仰に言った。

 なんだ?と視線を向けると、雫の口の端が俄かにつり上がる。雫は澪と大河の手を握りながら、温かい口調で言った。


「私たちは紆余曲折あって、仲良しさんになったと思うんです」

「それは、まぁ、そうだな」

「でも、ただの仲良しさんでもないですよね。私も、お姉ちゃんも、大河ちゃんも、友斗先輩のことが好きなわけですから」

「っ」


 それを言うか、と思わないでもない。

 だが今更の話でもある。空気はさほどピリつかず、そうだね、と澪も大河も頷いていた。


「それで私、考えたんですけど。たとえ四角関係みたいになっちゃっても、秘密がいっぱいあるドロドロな関係は嫌だなぁって思ったんです。三人はどうですか?」

「ん……そう、だね。私もそう思う」

「私もだよ、雫ちゃん」

「……俺も、だな」


 大河と違って俺と澪が微妙に言葉に詰まったのは、雫が何を言わんとしているか分かってしまったからである。

 つい先日まで、俺と澪は二人には決して言えない秘密を抱えていた。


「青春群像劇だとお互いに秘密を抱えてるからこそ面白かったりするんですけど、それ実際にやったらコミュニケーション不足ですからね」

「身も蓋もないことを……」

「でも、事実です。私も三人も、打ち明ければそれで済んだことを口にしなかった結果拗れちゃった、みたいな経験はありますよね?」


 あるに決まっている。

 春先からの幾つもの過ちのなかには、その時々できちんと会話していれば犯さずに済んだであろうものがある。

 後悔と反省の延長線上にある今だからこそ、今度はちゃんと、胸のうちにあるものを打ち明けていくべきだろう。


「そこで! 今日はプレクリスマスイブということで、天使・シズクエルちゃんがみんなの懺悔を聞いてあげようと思います!」

「ん、急にコメディに爆走してないか? ツッコミどころが多いんだけど」

「友斗先輩、シャラップです。友斗先輩はマジで打ち明けるべき秘密が多いんだから黙っててください。ついでに正座も」

「えぇ……」


 澪と大河も頷いているので、渋々ながら正座に座りかえる。

 ソファーを立った雫は、俺を見下ろす形でこほんと咳払いをした。


「一人ずつ言えなかった秘密を打ち明けていきましょう。今ここで言えなかったら多分、ずっと苦しくなっちゃうはずですから。その代わり、今日ここで話した秘密への罰は今日この場限りとします。それがシズクエルの天啓です」


 天啓だとか、懺悔だとか、そういう大袈裟な話はどうでもよかったけれど。

 それでも雫の言いたいことは、よく分かった。

 胸に秘める色んな秘密は、全部ここでチャラに。そして今日から改めて始めよう。そんな宣言だった。


「雫ちゃんは本当に凄いなぁ」


 と漏らしたのは、大河。


「ほんとに、雫は優しくていい子だよ。流石は私の妹」


 誇らしげに、澪は雫に笑いかける。

 俺もうんと頷く。

 雫は新しい綾辻雫になった。彼女が望むものが何なのかは分からないけれど、今の彼女がその望みを叶えるために頑張っていることは分かる。


 ――斯くして。

 慌てんぼうのクリスマスイブが始まった。

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