8章#03 恋守り
SIDE:友斗
ことこと、ことこと、秋風とも冬風ともつかない風が窓を叩いていた。入れて、入れてと寂しがりな子供のようにねだってくるけれど、窓を開ければ途端に部屋の温度が下がることは分かっているから、決して開けはしない。
11月24日。
12月まであと一週間を切った今日は、暖房をつけるには早いように思えて、けれども何もつけずにいるのは環境のことを考えて我慢しているように感じられる、狭間のような日だった。
俺たちはいつでも狭間にいるのかもしれない、と思う。
境界線に立つことを意識することは容易い。だって端なのだから。けれど真ん中にいることは認識しにくいだろう。距離感覚を正しく保っていなければならないのだから。
だから境界線の引かれた狭間だけを意識して、その意識の連続する今日を生きている。そうは考えられな――
「ねぇ友斗。いい加減賢者モードになるのはやめてくんない?」
「初っ端からその台詞は幾らなんでも酷くない!? 女子高生としてそれでいいのか!?」
俺の思考を遮っていきなり下ネタをかますのは、綾辻――或いは百瀬――澪。本人は後者だと主張していたし、先日の修学旅行を経て一部の友達にはその事情も知れ渡っているわけだが、わざわざそう認識するのも気恥ずかしいのでやめておく。
澪、で充分だしな。澪は肩を竦めると、皮肉げに口角をつり上げて言った。
「別に賢者モードなんてイマドキ汎用化されつつあるスラングでしょ。下ネタだと思うかどうかは受け取り手次第だし」
「仮にそうだとして、澪が俺にとって割と下ネタ枠に入ってる件についてはどう思う?」
「セフレ面が鬱陶しいかなぁって」
「責任転嫁が甚だしい!?」
そりゃ、確かに澪は俺のセフレだった。中学三年生から高校一年生にかけて、セックスフレンドと呼ばれる仲だったさ。
でも決して、俺はセフレ面などしていない。錦の御旗はこちらにある。
「そういうのは夜な夜な一人で
「……そう言われても、困るし。誰かさんとシてるところを想像したら捗って、声我慢するのとか忘れそうになるんだよね」
「っ……そういう反撃の仕方はズルくないですかね?」
「さぁ、どうでしょう」
明らかにズルいと思う。
つーかさ、俺の性欲が割と限界なことを知ってるのにこういう攻め方をしてくるのは卑怯だと思わない? 何ならこの前、我慢の限界になりかけたわけだし。
「お前、マジで俺の理性に感謝しろよ。雫はともかく、澪に関しては既に襲っててもおかしくないし、怒られないからな絶対」
「んー、まぁね。次は恋人としてシたいし、自粛はする。一人で
「やめねぇのかよ」
「やめたら襲うよ、友斗のこと」
「……分かったよ、降参だ」
月の光のように蠱惑的な視線に射貫かれ、俺は首を横に振った。
澪に、というか俺は周りの女子に勝てた覚えがない。男子に勝てたかと言えばそれはまた別問題だけど、それは置いておく。
女子二人と同居し、雫に襲われ、それでも今日までギリギリ誰とも
「と、そんなことはどうでもいいんだよ友斗」
「思春期男子の真っ当な苦情をどうでもいいとか言いやがった」
「据え膳食わない主人公って割と嫌われがちじゃない?」
「……オーケー、この話はどうでもいいな。で、なに?」
こほん、と咳払いをして話題を変えようとすると、澪はきゅっと目尻を下げて笑った。
俺にとって大切な妹と、よく似た表情。けれども目尻の下げ方が微妙に違うことを、俺は百瀬澪本人と向き合って初めて気付いた……と、それこそ今更か。
「そろそろ部屋の準備する時間じゃない?」
澪は時計を指さし、言ってくる。
短針は、時計に表示される十二個の数字の中で一番若い数を指していた。と、まぁなんか良い感じに言ったが、要するに1時である。
「ああ、なるほど」
今日は、修学旅行明けの振り替え休日。
しかし世間的にはそれに留まらない。勤労感謝の日の振り替え休日でもあるのだ。
そして我が家では今日、雫の誕生日を祝うことが決まっている。部屋の飾りつけ等をするために、今、大河には雫を連れて出かけてもらっていたというわけだ。
「帰りの時間、何時って言ってたっけ?」
「映画が4時に終わるらしくて、その後すぐ帰ってくるから……4時半には帰ってくるって考えておいた方がいいと思う」
「あー。ならそろそろ始めるか」
部屋の飾りつけ自体にさほど時間はかからないと思う。俺も澪も、不器用なタイプではないからな。
だが、
「遅れたら困るもんな」
「そ。トラ子に遠回りするよう頼んで、なんてベタな展開は面倒だし」
「それな」
というわけで。
雫はどうせサプライズパーティーをしようとしてることに気付いているだろうけれど、それでもベストは尽くしたい。大河流に言えば、
「じゃあ部屋から持ってくるわ」
「ん――あ、その前に」
「ん?」
大河の家に預けておいた飾り等の荷物は今、俺の部屋に置いてある。
取りに行こうと席を立つと、澪が俺を呼び止めた。
「手、出して」
言われて、え? と戸惑う。
だが、早く、と急かされてしまい、何も考えずに右手を差し出す。すると澪はポケットから何かを取り出し、俺に握らせた。
「えっと……これは?」
「京都のお土産。昨日は家族用で、それは友斗用」
そっか、と思いながら、掌を開く。
出てきたのは――お守りだった。赤い生地に、ハートが描かれ、その真ん中に『恋』の文字。恋愛に関するお守りであることは明白だった。
「地主神社のお守り。『周りにたくさん異性がいるけど恋に発展しない、そんな人へ』らしいよ」
おそらくお守りが想定している状況と、今の俺とは少し違う気がするけれど。
でも澪の意図することは分かった。
「友斗の恋が見つかりますように。願わくはそれが、私に向いたものでありますように。そんな健気な祈りをこめて、渡しとく」
「そっか。ありがとう」
「ん」
心から、そう告げた。
澪、雫、大河。俺の周りには俺を好いてくれて、そして俺も少なからず惹かれ始めている女の子たちがいる。
『ねぇ兄さん。そろそろ新しい恋、始められそう?』
ハロウィンの日。
揺蕩う夢の中で俺は問われた。
あのとき答えたモヤモヤはまだ晴れていない。
それでも――雫とは向き合った。
だから、そろそろ探すときが来ているのだと思う。
三人のうちの誰かと、次の恋をできるのだろうか。
赤い糸の端っこを掴むように、俺は赤いお守りを握った。
もう一度、ありがとう、と告げると、澪は照れ臭そうに口を尖らせる。
「まぁ本当なら誰かさんと一緒に行く予定の場所だったんだけどね」
「うっ……それは反省してる」
「そりゃ反省するよね。サボって、雫に襲われて、ついでに二人でゲームしまくってたんだから」
「…………飾りとか持ってくるわ。めっちゃ働くんで許してください。埋め合わせもするし」
俺が真面目ぶって言うと、澪はくすくす笑って頷いた。
こうやってネタにしてくれることにありがたさを覚えながら、俺は今度こそ部屋に戻ろうとする。
そんな俺の背中に、
「あ、そうそう。恋占いの石はきちんと渡れたから」
「――……っ、そりゃよかったな」
「ん、よかった。もちろん好きなのは友斗だからね」
「っっ」
と、照れ隠しやジョークの域じゃない追撃を放ってきた。
そういうのはズルくありませんかねぇ……?
零れた息は、思っていたよりずっと熱かった。
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