7章#36 多分最悪の選択
【大河:雫ちゃん、病欠って聞きました】
【大河:私、看病行きましょうか?】
電車の中でスマホを確認すると、大河から個人チャットでメッセージが飛んできていた。
当然だよな。大河だって雫のことを大切に思ってる。親友のために、そしてきっと俺や澪のために、雫のもとに駆けつけようって思うのは呆れるほど大河らしい。
分かってるんだ。大河に任せればいい。何なら大河に泊まってもらえばいい。明日からは休みなんだから、週明けまでは雫と一緒にいられるはずだ。
俺や澪は、電話なりRINEなりをすればいい。父さんも美琴さんもそうしてくれと言っていたんだから。
――それでも俺は意図的に間違える。
はぁ、と溜息を吐き捨てるまでもなく、少なからずの幸福は逃げてしまっているだろう。後悔ばかりが蓄積し、それでもまだ『後』ではないから後悔ではない、などと言葉遊びで自分を騙している。
【ゆーと:いや大丈夫だ】
【ゆーと:俺が行く。修学旅行サボった】
【大河:なんでですか?】
【大河:そんなことしても雫ちゃんは喜びません。今すぐ戻ってください。代わりに私が行きますから】
かはっ、と息が零れた。
ったく、澪も大河も、雫のことを分かりすぎだろ。どんだけ雫のこと、大好きなんだよ。それに比べたら俺は……本当に酷い。
【大河:私じゃ、信用できないですか?】
【大河:四人なんじゃ、ないんですか?】
【ゆーと:違う】
半ば反射的に、そう送っていた。
違う。大河を信用できないわけでも、俺たちが四人じゃないわけでもない。
なら何か――その答えは、単純だった。
【ゆーと:多分これ、嫉妬なんだよ】
【ゆーと:誕生日を雫と一緒に越すのは、俺であってほしいっていう嫉妬】
【ゆーと:雫は、初めて家族以外で俺の誕生日を祝ってくれた子だから】
美緒がいなくなって。
それでも生きてていいって思えたのは、雫のおかげだから。
他の誰と一緒でもいい。でも俺がいないのは、嫌で。
だから大河には任せられなかった。
【大河:なんですかそれ】
【大河:意味分からないです】
【ゆーと:だよな、ごめん】
【ゆーと:でも大河の誕生日のときも、多分同じこと思っちゃうから】
【ゆーと:覚悟しておいてくれると助かる】
乗り換え駅に到着する。
重い荷物を持って電車を降り、次の電車に乗った。その間に、大河は授業が始まってしまったのだろう。
【大河:分かりま】
不完全なメッセージが送られてきていて、くすっ、と笑った。
多摩川駅を見送って、田園調布駅で降りる。
大河の看病に行ったときとは違い、今回は自宅だ。何があって何がないのか、把握できている。駅前の薬局に寄り、俺は足りないものだけをピックアップして買い揃える。
あのときは……あのときもやっぱり、雫に助けを求めた。
思えば俺は、雫に助けてもらってばかりだ。
否、周りの人に、と言うべきだろう。
雫にも、澪にも、大河にも、その他の人たちにも。
たくさんの人に助けてもらって、ここにいる。やっぱり俺は、人たらされじゃないと思う。たらされてもしょうがないくらい、良い人たちに囲まれてるだけなんだ。
買い物を終えて空を見遣ると、泣きたくなるくらいに晴れていた。
燦々と輝く太陽を睨んで、俺は家に急いだ。
◇
SIDE:雫
「んっ……」
夢を見ていた。なのにどんな夢かは思い出せなくて、夢の終わりが私の目を覚ましたのだということだけは分かった。
どうしようもなく、体は怠い。おでこに触れるひんやりとした冷却シートは端っこだけが剥がれて前髪にくっつきそうで、右腕を無理に動かして、ぺたりと貼り直す。
生温さを帯びてもなお、『ひんやり』と形容できるこの冷たさが昔から嫌いだった。
風邪のときの怠さも、粉薬も、粉薬を誤魔化すためにって用意してもらったバニラアイスも、ずっと好きではなかったように思う。
昔から、嫌いなものばかりだった。
勉強も、運動も、家にいるとケンカばかりするお母さんやお父さんも、家にいないお母さんやお父さんも、クラスの男子も、女子も、みんな嫌いだった。
物語の世界には、好きが溢れていた。
絵本を見て、胸がときめいた。昔話を聞いて、いい子になろうって思った。初めて自分の手で読み切った本は、冒険譚だったっけ。色んなものにワクワクしながら世界を旅する主人公たちの姿に恋焦がれたのを覚えている。
物語の世界には、たくさん好きなものがあるから。
だからそれでいいって思ってた。
現実がどんなに空っぽでも、物語の中では私は素敵な人物になれる。知的で、魅力的で、優しい。物語の中の私はいつだって
だから本を読んだ。たくさん読んでいた。
空っぽな自分を見なくて済むようにして。
そんなときに私を見つけちゃったのが先輩で。
先輩はキラキラした世界を見せてくれた。なれるわけないのに、変われるかも、って思ってしまった。
恋をすると女の子は変わる、とよく言う。
ならば私は、恋の魔法にかけられて、変われたのだろう。
けれどもシンデレラにかかった魔法は、24時を過ぎれば解けてしまう。その後に残るのは、どこにでもいるただの女の子。せいぜい見た目くらいしか取り柄のない、足のサイズでしか見極めて貰えないほど魅力のない女の子なのだ。
「もう、お昼……」
怠い体のまま、枕元のスマホで時間を確認した。11時45分。もう三時間目が終わる時間帯だ。まぁ、今朝のうちにお義父さんに欠席連絡をお願いしたから関係ないけど。
あー、大河ちゃんには連絡してなかったなぁ。大河ちゃんに連絡したら先輩たちにも教えちゃいそうな気がするから、朝は連絡できなかった。今からでも連絡した方がいいかもしれない。
そう思ってぼんやりスマホを眺めていて、気付く。
また杉山くんからRINEが来てる。私の体調を心配するようなメッセージだ。正直、鬱陶しい。もういいのに、そういうの。
私が心配してほしい人は、別にいるのに……――。
――ぐぅぅぅぅ
暗い思考に陥りそうになっていると、不意にお腹の虫が鳴いた。おかげで少しだけコメディな感じになって、気が楽になる。
朝は怠くて、お義父さんに連絡した後すぐ寝ちゃったんだよね。
ご飯か……先輩、朝ご飯作ってくれたかな。もう冷めちゃってるだろうけど、先輩が作ってくれたご飯、食べたいな。私が先輩にあげられた笑顔以外のものなんて、料理の知識くらいだから。
鉛みたいに重い体を起こす。いざ起きてみると、思っていたよりも体は軽かった。所詮は風邪ってことだろう。あと、鉛の重さもよく知らないし。
いざ立ち上がると、くらっ、と眩暈がする。やっぱり風邪も侮れない。インドア派だし、エネルギーも足りてないからしょうがない。か弱い女の子だから、って言い訳は、一人でしても意味ないからやめておく。
体を引きずって外に出て、壁に手をつきながらキッチンまで向かう。
ほかほかと温かい匂いがした。お味噌汁、作ってくれたのかな。それにしては温かい気もするけど。
「あ、雫、起きてきちゃダメだろ。もうすぐできるから寝てて……いや、部屋に戻るのもきついか。今は手離せないから、とりあえずソファーで寝ててくれないか?」
「…………?」
ん、今私の名前が呼ばれた気が。
『雫』って呼ばれた。
私をそう呼ぶ人は多くない――わけじゃないけれど、聞いただけで心の奥がきゅんとしちゃう優しい声の持ち主は一人しかいない。
もしかして先輩?
そんな考えが頭をよぎるけど、そんなはずはなくて。
だから幻なんだろうな、妄想癖とかいよいよ重い女だな、って思いながら台所を見て、
「えっ。せん、ぱい……?」
そこには、先輩の姿があった。
「あのさ。前から思ってたけど、そろそろ『先輩』だけじゃなくて、名前も呼ぼうぜ。雫の先輩は俺だけじゃないんだから」
くしゃっ、って笑うその姿を見て。
気付いたときには、ぽとぽとと涙を零してしまっていた。
――ああ、この
そう自覚しながらも喜んでしまっている私が、キャラクターとプレイヤーのどっちなのか、私には分からなかった。
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