7章#35 全部がぜんぶ、エゴだった。

 SIDE:友斗


 修学旅行の朝。

 昨日はガキみたいにドキドキして眠れなかったくせに、驚くほどぱっちりと目が覚めた。シャワーを浴びて、着替えて、髪を軽くセットして。

 スマホで確認した京都の天気が今日から三日間晴れであることを確認し、ふっ、と微笑んだ。


「友斗、起きるの早すぎ」


 キッチンで朝食を作っていると、澪が支度を終えて部屋から降りてきた。

 GWのときに旅行に行ったことを思い出し、俺はくすりと笑う。


「しょうがないだろ、楽しみだったんだから」

「はいはい。美少女と同居してても平気で眠れるのに友達との修学旅行は楽しみで眠れなくなるんだもんね。分かってますよ」

「あしらい方があんまりじゃない!?」


 いや事実だけ言えば間違ってはないんですけどね?

 まぁ澪にしろ雫にしろ元々知り合いだったから安眠できた、ってのはあると思う。寝ずにいる方が身の危険を感じさせてしまいそうな気もしたしな。


「それに、今日は早めに出ないと間に合わないだろ。集合すんの、新横浜駅なんだから」

「ま、そうなんだけどね」


 今日はいつもより一時間ちょい早く家を出る予定だ。新幹線の出発時刻に遅れたら迷惑をかけるし、ある程度バッファーを持っておきたい。

 だから……おそらく、雫に『いってきます』を言えない。雫のことだから少し早めに起きて見送りしてくれるかもと思ったが、起きてくる様子はない。


「まぁそんなわけだから、さっさと朝ご飯食って出ようぜ。もうすぐできるから」

「ん。お味噌汁、ねぎ入れてね」

「うい。目玉焼きは――」

「醤油」

「はいよ」


 今更確認する必要はないくらいに分かっていて、それでも念のため聞いた。

 雫は味噌汁にはねぎを入れず、目玉焼きにはマヨネーズ。たまに七味をかけてもいたっけ、と思う。


 なんだか、つくづく日常って感じがして、いい。

 澪も雫も俺の中の日常にいて、だからこそ『いってきます』と『ただいま』を言いたくなる。前者は言えないけれど、せめて後者は言えますように。


 まだ行ってすらいないし、三日間の修学旅行は本当に楽しみなのに。

 それでも今から帰りのことを考えているのは可笑しかった。



 ◇



 駅に着くと、既に学年の半分ほどの人数が集まっていた。他の利用者の邪魔にならないよう、広場で集合している。うちのクラスの担任のもとに向かうと、点呼をするように、と名簿を渡された。


「じゃ、よろしく」

「おいこら待て澪。お前も学級委員だろうが」

「ちぇっ。点呼なんているか確認するだけでしょ? 友斗だけでいいじゃん」


 くふぁと小さく欠伸しながら言う澪。

 澪ってこういう旅行系のとき、やけに寝起きが悪いよな。俺と同じで前日に眠れないパターンじゃ――とか考えていたら睨まれた。思考を読まないでほしい。


「そうでもないぞ。きちんと一人一人の顔色を見て、体調を確認しなきゃいけないんだから。旅行先で体調を悪化させるのは一番きついパターンだからな」

「なんか学級委員っぽいこと言ってる」

「学級委員なんだよ! 一応言っとくとお前もだからなっ?」

「む……分かってるってば。一緒にやるよ」


 ムッとした顔を見せる澪をよそに、俺は名簿の俺と澪の名前のところにチェックを付ける。俺はもちろん、澪も体調は悪くなさそうだからな。

 ひとまず俺たちは、既に到着しているメンツの点呼を取っていく。


「出席番号二番は――」

「あたしだね、百瀬くん、みおちー! おっはよー」

「おはよう、鈴ちゃん」

「おはようさん。今日も元気そうだな」


 伊藤は、今日も有能ギャルって雰囲気だった。底抜けに明るいその声を聞くと、俄かにテンションが上がる。


「もち! 修学旅行だからねー」

「だよな。あっち行ったら楽しもうぜ」

「うんうんっ! それにあたしは女子のみんなのサポートもしなくちゃだしね~」

「ああ、くっつけ大作戦か」

「そーそー。そんなダサい名前じゃないけどね~」

「ダサい言うな」


 まぁ、ダサいって言うかそのまんまって感じはするけども。

 今回の修学旅行、男子も女子もお互いに意中の相手にアプローチするという目的を持っている。無論その蚊帳の外にいる者もいるが、それでも幾つかのカップルができる見込みはあるはず。


「ま、頑張れよ。俺も何かあったら手伝うし」

「りょーかい! でもだいじょーぶだよ。百瀬くんって抜けてるから、こーゆうので頼るのはリスキーだし」

「流石鈴ちゃん。友斗のこと、よく分かってるじゃん」

「酷くないですかね、お二人さん」

「「妥当だよ」」

「あっ、そう……」


 自覚はあるんで諦めますけどね?


 こほん、と咳払いをし、次に進む。

 時期的に風邪が流行り始める頃だから不安だったけれど、少なくともうちのクラスはみんな元気そうだ。まぁ修学旅行の前ってこともあって念入りに体調管理していただろうし、当然と言えば当然か。


「次は……八雲だな。おはよう、八雲」

「おうー! おはよー、友斗っ! それに綾辻さんも!」

「うん、おはよう八雲くん」


 八雲は、にかっと快活な笑みを見せる。きらんと輝く眼鏡越しの眼からは、生気が滲み出ていた。


「体調はよさそうだな」

「んー? そりゃもちろん。まぁ昨日はちょっと眠れなかったけどな」

「ガキかよ」

「おう、ガキだぜ。っていうかそーゆう友斗も寝れなかっただろ? ちょっと目が赤いぞ」

「……ガキだからな」


 俺が肩を竦めると、八雲はくすくす笑った。

 澪が隣で、顔赤いよ、とからかってくる。やかましい。楽しみなものはしょうがないじゃないか。


「くくっ。友斗のそーゆうとこ、好きだぜ。やっぱり人たらされだよなぁ」

「その表現、気に入ってんのか?」

「まーな。我ながら上手く友斗を言い表してると思って。友斗検定二級を取得できそう」

「ふふっ。それ、難易度低そうだね」

「澪、それどういう意味だ?」

「そのまんまの意味だけど」

「やっぱり酷いよなそれ!?」


 俺のいじられキャラが定着している気がして、実に納得いかない。攻められてばかりは性に合わないし、何か言い返してやろう――と、思っていたそのとき。


 ――とぅるるるるっ


 ポケットに入れていたスマホが鳴った。この音は……着信音か?


「悪い、ちょっと電話だ」


 二人に断わりを入れ、その場を離れる。

 発信主は――父さんだった。


「もしもし?」

『もしもし、友斗か?』

「ああ、そうだけど。急にどうした? 俺、これから修学旅行なんだけど」


 どうにも、この電話は唐突すぎる。

 父さんだって分かってるはずだ。修学旅行前に電話をするなんて、父さんらしくない。


『分かってる。父さんも、連絡しようか迷った。でも……伝えた方がいいって、美琴と話したんだ』


 しかも、その声はらしくなく真面目腐っていて。

 いつかの朝を思い出す。あの日、俺は旅行先にいた。

 スマホを握る手にじんわりと汗が滲む。それでも滑って落としてしまわぬよう、きつく握り直した。


「何のこと?」

『落ち着いて聞いてくれ』


 一瞬、世界から他の音が消えたように錯覚して。


『雫ちゃんが風邪を引いて学校を休んだ』


 その一言が、異様なほどの存在感を放ち、耳の奥で残響した。

 雫が……風邪?

 なんだそれ。この前の噂以上に、意味が分からない。どこにそんな兆しがあった? 昨日も、その前も、雫は元気に笑っていて――。


 ――本当にそうか?


 頭の中で、ピエロが哂った。

 まるで雫のことをよく見ていて、分かっているみたいに思い上がって。でも本当にきちんと見ていたか?

 食欲はどうだった? 今朝俺たちが出る時間になっても起きてこないのは流石に遅すぎやしないか? あの雫だぞ? 早起きして、俺と澪を送ろうって考えるだろ絶対。


『今朝、電話があって。雫ちゃんからお前と澪ちゃんには絶対に言わないでほしいって言われたんだ。二人に心配をかけたくないから、って』

「――っ」

『父さんたちもその気持ちは同じだ。仕事は正直忙しいけど……兄さんに言って、時雨ちゃんに様子を見に行ってもらうつもりだから』


 頭が、回らない。

 雫のことを分かってあげられなかった。

 いつも傍にいてくれたのに。俺を休ませてくれたのはあの子だったのに。


『だから別に、修学旅行を休めなんて言うつもりはない。むしろ思いっきり楽しんでくれ。一度きりの青春を楽しんでほしい。雫ちゃんもそれを望んでる』

「……っ」

『けど、RINEでも電話でも、何でもいいから雫ちゃんを気にかけてあげてほしいんだ。独りに、しないであげてほしい』


 だから伝えた、と父さんは言う。

 きゅっと唇を噛んだら、鈍い痛みを感じた。悪い夢ではなかったことが忌々しい。


「分かった」

『折角の修学旅行なのに、水を差してすまない。子供に背負わせるダメな親で……本当にごめん』

「ダメなんかじゃないよ。父さんたちには感謝してる。もう、電話切るから」

『分かった。しつこいようだけど、修学旅行楽しんできてくれよ。澪ちゃんにも、よろしく頼む』

「分かった」


 自分の声が酷く冷たく、覇気がないことに気付く。

 ぷつっと切れた電話。液晶画面を眺めていたところで意味はないから、代わりに雫のトーク画面を開――こうとして。

 〈水の家〉のアイコンが目に映った。


 俺と雫と澪と大河。

 四人で撮った球技大会の日の写真をアイコンにしていて。

 キラキラと笑う雫を見て、きゅっ、と胸が締め付けられる。


「――と。友斗ってば、どうかしたの?」

「ん……澪」


 肩を揺さぶられて、澪に呼ばれていたことに気付いた。

 見れば、澪は訝しむような視線を向けてきている。


「酷い顔じゃん。どうかした? 誰からの電話?」

「…………」

「黙ってたら分かんないよ。友斗の口は何のためにあるわけ?」

「っ」


 澪に睨まれて、唇が戦慄く。

 早く、と俺を急く彼女の瞳に映る俺は、確かに無様な顔をしていた。


「父さんからの電話だ。雫が、風邪を引いた。学校を休んだらしい」

「――っ……それで、なんて?」

「時雨さんに頼んで、様子を見に行ってくれるらしい。だから俺と澪は、適宜気にかけてやってくれ、って。夜にでも電話をかけてくれ、って」


 言っていて、嫌だ、と心が軋んだ。

 嫌だ。雫が風邪を引いて、それなのに何もしてやれないだなんて、電話をかけてやることくらいしかできないなんて、嫌だ。


 たかが風邪なのは分かってる。一日かそこら寝れば大丈夫だろう。美緒みたいにいなくなってしまうわけじゃない。

 そんなの、分かってるけど……ッ!


「澪。俺、修学旅行には行かないわ」

「は? え、待って友斗。どういうこと?」

「そのまんまの意味だよ。修学旅行サボって、雫の看病をしにいく」

「何それ……そんなの、雫だって望まないよ。分かるでしょ。あの子は優しい子。看病が理由で修学旅行に行かなかったって知ったら、むしろ苦しむはずだよ」


 澪は、俺の手首を掴みながら言った。

 ぎゅぅぅぅと力強く、そして優しい手。温もりの分だけ、澪が言っていることが正しいと実感してしまう。

 その通りだ、澪が正しい。


 風邪が理由で修学旅行を休むのは、どう考えてもエゴの押し付けだ。

 修学旅行にどれだけの金がかかってると思ってる。当日のサボりでそれが返ってくるわけがない。

 楽しみにだってしてきた。春から何か月も一緒のクラスにいて、色んな行事を乗り越えた友達との修学旅行だ。醜くて誰も求めていないエゴのためにふいにするなんて、頭がおかしいとしか思えない。


「それでも……今、傍にいてやりたい。たかが風邪で、求められてなくて、行ったところで意味なんてなくて、むしろ苦しめるって分かってるけど――それでも!」


 天秤の逆側にはたくさんのものが載っかっていて。

 もう片側に乗っているのは、たった二文字の陳腐な気持ちだけ。


「それは……雫のことが、好きだから?」


 澪の瞳が揺れていた。

 不安か、それとも別の感情か。俺は掴まれていない方の手で胸をぐっと握り、吐き出すように答える。


「好きだよ。澪と大河とおんなじぐらい大好きだ。だから俺に恋したことを後悔させたくない。俺は雫のヒーローでありたいんだよ」


 もしかしたら近い未来、俺と雫の運命は交わらないのかもしれない。

 それでも俺は、言ってほしいんだ。

 雫に、最高の初恋だった、って。

 最高の初恋のおかげで、俺は『今』と向き合えているから。


「そっか」


 澪の手が手首から離れる。

 代わりに澪は、拳でぽふんと胸を叩く。


「友斗って、キモイよね」

「……自覚してる」

「正直、引くよ。童貞のエゴって感じ」

「…………分かってるよ」

「でも、そういうところも愛してる。だから行きなよ。敗戦処理は全部後回し。その方が友斗らしいし」


 にっ、と澪は笑う。

 その魅力的な笑みに、俺はこくと頷いた。


「行ってくる。あと、色々任せていいか?」

「ん。任せて。たまには都合がいい女をやったげる」

「言い方よ言い方」


 思考はまとまった。

 正直、まだ修学旅行に行きたい気持ちはある。あるに決まってる。行く理由の方がよっぽど多くて、論理的で、正しいのだから。頭がおかしいって自分でも思う。

 それでも俺は、父さんに送った。


【ゆーと:ごめん、修学旅行行く気にならないから】

【ゆーと:休む。お金とかはマジでごめん】

【ゆーと:でも雫の面倒、見てやりたいから】


 数歩進み、力強く後ろ髪が引かれる。ブレーキをかけそうになった左足を追い越して、右足でアスファルトを蹴り上げた。

 間違ってるのは百も承知。

 でも、青春ってそんなもんだろ?

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