7章#25 押し付けんな、失恋を。
SIDE:雫
球技大会は終わりを迎えた。
クラス優勝は――二年A組。先輩とお姉ちゃんのクラスだった。時雨先輩たち三年B組も健闘していたけれど、最後のテニスで先輩とお姉ちゃんのペアが時雨先輩たちに勝ったのが決定的だったようだ。
凄いな、と心から思う。
運動神経で張り合うつもりは、もちろんない。私が凄いと思うのはそこではなく、先輩とお姉ちゃんの阿吽の呼吸とも言えるコンビネーションの方にあった。
テニスには詳しくない。だから、もしかしたら男女混合ダブルでもコンビネーションなんて要らなくて、先輩たちがやっていたのは当然誰もができるようなことだったのかもしれない。
けれども先輩とお姉ちゃんは、私の目から見て、とても分かり合っているように見えた。
それは、大河ちゃんにも言えること。
生徒会として二人で並んで活躍している姿は、どうしようもなく眩しかった。認め合っていて、羨ましかった。
翻って私は、と考えて。
私には本当に何にもないな、なんて、いつも思っていることを何度も反芻してしまう。分かってるんだ。この悩みすらもありきたりで、思春期なら誰もが持ちうる平凡なものなんだ、って。
悩みすらも特別じゃない私は、やっぱりメインヒロインにはなれない。
もしも私がメインヒロインに昇格することができるとすれば、それはきっと――。
先輩たちが企画した『おかわり球技大会』に向けた休憩中。私は女子トイレの鏡を見て、益体のない考えが浮かんだから、すぐにぷつっと潰した。
意味のない考えだ。
そちらに進めば、それこそ後悔ばかりが降り積もる。
「早く校庭戻らないと……」
時間を確認すれば、もうすぐ『おかわり球技大会』が始まる頃合いだった。
先輩や大河ちゃんは運営に没頭するから出場しないし、お姉ちゃんも出場するつもりはないらしいけれど……だからって、帰る理由にはならない。学級委員として、せめてクラスの子を応援しなくちゃいけないのだ。
手を洗って、玄関で靴を履き替える。
とんとんとつま先で地面を蹴って踵まできちんと履いていると、
「綾辻さん」
と、名前が呼ばれた。
この学校に、綾辻さんは二人いる。
私とお姉ちゃんだ。お姉ちゃんは私よりも人気で、文化祭以降軽いアイドルと化しているから、声をかけられる可能性で言えばお姉ちゃんのほうが高い。今日だって大活躍だったし。
でも、そう私を呼ぶ声には聞き覚えがあった。
振り返ると、クラスメイトの男子の姿がある。名前は確か……杉山くんだ。
「んー? 杉山くん、どーしたの?」
「あーっと……」
「……? もうすぐ球技大会、始まっちゃうよ? 杉山くんって野球にも出るんだよね?」
選手決めしたときのことを思い出しながら言うと、杉山くんはハッとした顔になった。
驚いたような、感激したような、そんな顔。
ふあっと頬を綻ばせると、
「俺が出る種目、覚えててくれたんだ……なんか嬉しいわ」
と、ぽつり漏らした。
ぽりぽりと後頭部を掻きながら言うその姿は、とても爽やか。絵に描いたようなスポーツマンって感じだった。
「あはは。それは、ほら。私は学級委員だから。ちゃんと頑張ってみんなのことは把握してるんだよ」
「だよな、知ってる。綾辻さんは……いつも、頑張っててすげぇなって思うよ」
「褒められると照れるなぁ。ありがとね、杉山くん」
照れるわけ、ないけど。
でも社交辞令って大事だ。杉山くんはくしゃっと笑う。笑い皴と言うのだろうか。目尻の皴が、少し綺麗に見えた。
……待って。この展開ってもしかして――
「でさ、綾辻さん」
「う、うん」
それまで以上に緊張していて、とても真面目な声。
「ちょっと二人で話したいことがあるんだけど、いいか?」
「えっと。今も二人で話してない?」
「話してるけど、ここだと他の人に聞かれるかもだから。誰にも聞かれたくない話なんだ」
杉山くんの顔を見て、視線を受けて、嫌でも何を話すつもりなのか分かってしまった。
ぞわっ、と背筋を嫌な予感が這う。
なんとか顔に出ないように心がけ、不器用っぽい笑みを浮かべながら迷う。
「ん……さっきも言ったけど、球技大会始まっちゃうよ?」
「そうだけど。でもうちのクラスの試合は、第三試合だから」
「ウォーミングアップとかは――」
「頼む。どうしても今、話したいんだ」
「っ……そ、っか」
逃げられることなら逃げたかった。
おそらく杉山くんがしようとしているのは――告白。
それ自体は特別なことではない。中学校のときも、高校のときも、何度もされてきた。真剣な対面での告白からラブレターまで。RINEでの告白を受けたこともあったし、中学校の卒業式で第二ボタンと共に告白されたこともある。
でも……杉山くんは、うちの学年の人気者だ。彼を好きな女子も多い。あまりこう言う言い方をしたくはないけれど、他の男子に告白されるのとは事情が違った。
けど、これはもう逃げられないよね。
内心で溜息をつき、こく、と頷いた。
「分かった。そんなに言うなら、大事な話なんだよね。ごめん、水差しちゃって」
「いや、大丈夫。急に言った俺も悪いし。じゃあ悪いけど、こっち来てくれるか?」
「うん、分かった。ちょっと待ってね」
あ、靴を履き替えたのにもう一回上履きを履かせるんだ。
チクリと呟きたくなったけれど、堪えた。外に出て二人っきりになれる場所もなかなかないし、先輩に見られてしまうからもしれない。それは嫌だった。
靴を履き替えなおし、杉山くんについていく。
僅かだけ茜色に染まり始めている廊下はゆらゆらと綺麗で、ノスタルジックだ。先輩と一緒にいられたのなら、どんなに最高の青春の一ページになっただろうか。
――そんな一ページ、完結後のIFストーリーでしか描かれないだろうけど。
やがて立ち止まった杉山くんは、こちらを振り向いた。
校舎から3分ほど歩いた、校舎の隅っこ。
「綾辻さんが言ってたように時間もないし……単刀直入に言う」
「う、うん」
その目は、紛れもなく男の子が女の子を見る目だった。
私が先輩を見つめるとき、きっと似たような目をしているのだろう。
果たして杉山くんは、
「俺、綾辻さんが――
真っ直ぐに想いを告げてきた。
ふと頭によぎるのは春のこと。
私が先輩に告白した、あの公園でのこと。
あのとき、私はすっごい頑張った。勇気を振り絞って……失恋してしまうかもって不安と、先輩とお姉ちゃんのためにって気持ちが綯い交ぜになりながら言った。
杉山くんもきっと、勇気を出したのだろう。
人気者の彼と私は、それなりに関わったことがある。体育祭や文化祭などの行事では積極的になってくれていたし、普段も話しかけてくれるから。
そんな杉山くんにとって、この告白には相当な覚悟を要したはずで。
なら私は。
誠実に答えるべきだろう、と思った。
もちろん、今までされてきた告白にもそうしてきたのだけれども。
「杉山くんは……とても素敵な人だと思う。行事にも積極的だし、クラスの中心にいるし、部活も頑張ってるし」
「なら――」
「けど、ごめんなさい。私には好きな人がいます。だから付き合えません」
「っ」
他でもない私自身が恋を失いそうになっているからだろうか。
口にした断わりの言葉は、嫌になってしまうほどチクチクしていた。誤魔化すように唇を噛む。
「じゃあ……私、先行くね」
少しは一人になりたいだろうから。
今の顔を好きでもない人に見られるのは嫌だから。
私は言うけれど、
「待ってくれよ」
杉山くんの声が、立ち去ろうとする私の足を止めた。
「好きな人って、あの人だよな? 生徒会の先輩」
「え、えーっと……あの人は、厳密には生徒会じゃないんだけど……」
「そうなんだ。その辺はよく分かんないけど、でもその人だよな?」
先輩のことを言っているのは明白だった。
無論、隠し通せるとは思っていない。一緒に登校しているんだし、好意だって隠していないのだから。
でもこの場で口にされるのはよくなかったな、と思う。
「体育祭でキスしてた、あの人だろ? でももう別れたんじゃないのか? それとも、実は陰で付き合ってるとか?」
「えっと、ううん、今はお互いのことを考えて一旦別れたの。けど私はまだ、好きだから」
やめろ、と強く思う。
それ以上踏み込んでくるのは、幾ら何でもマナー違反だ。
再び、私は唇を噛む。けれど杉山くんは止まらない。
「でもあの先輩は、そうじゃないんじゃねぇの? 文化祭で、色んな女子と回ってたって噂聞いたことあるんだ。ミスコンのときに優勝した先輩がつけてたネクタイも、あの人のかもしれないって話を聞いたことある」
「……っ」
「それに、この前の選挙でも、入江さんのために色々やってたじゃん」
「――……っ」
どうしてそう、嫌なことばかり突きつけるのだろう。
知ってるに決まってる。
お姉ちゃんがネクタイをつけてるのを見たとき、すぐに気付いた。お姉ちゃんが他の男子からネクタイを借りるはずがないから。
大河ちゃんのための頑張りは、誰よりも間近で見ていた。大河ちゃんを傷つけた、って苦しそうにしてる先輩を見て、少し胸がチクリとしたくらいだ。
「こんなこと言いたくないけど……でも、
「ッ」
「あの先輩は絶対、二人のどっちかと付き合ってるよ。一度振られてる雫が無理に好きでい続けるような相手じゃないって」
――……ッ。
否定、したかった。たくさん否定したかった。そんなことない、ありえない、って。
でも先輩は、紛れもなくお姉ちゃんや大河ちゃんを女の子として見ていて。いずれ芽生える、恋の気配があって。
「俺のことを好きになってくれとは言わない。すぐに未練を捨てるのは難しいと思う。だから好きなままでもいい。それでも――俺と、お試し感覚でいいからさ。付き合ってくれないか?」
ああ杉山くんは、と思う。
恋に真っ直ぐで、ひたむきで、いい人なのだろう。好きなままでもいいから、なんて言える男の子が世の中にどれだけいるだろうか。私に嫌われるかもしれないと分かっていて、それでもこんな風に言える子がどれだけいるだろうか。
だから、認めよう。
杉山くんは、素敵な人だ。人気になるのも納得だ。
「ごめんなさい。あなたの彼女には、なれません」
失恋を押し付けないでほしい。
勝手に人の恋心に余命宣告しないでほしい。
私は終わらせるつもり、ないから。いつまでもこのまま、綺麗な四角形を保ち続けるつもりなんだから。
「私はもう行くから。野球、頑張ってね。応援してる」
杉山くんが何かを言っている気がするけれど、耳には入らなかった。
私はただグングンと進む。かつかつと上履きが廊下のフローリングを叩く淡泊な音が、妙に大きく聞こえた。
「――っ」
ふと、校庭に向かいながら思う。
なんて惨めなんだろう。
先輩がいつまでも悩み続ける人じゃないって知ってるくせに。
お姉ちゃんや大河ちゃんがいつまでも待ってるだけの女の子じゃないって分かってるくせに。
負けるのが怖いから。
一人になるのが怖いから。
ゲームみたいな未来を求めてしまう自分が惨めで仕方がない。
「なら……私は……っ」
あのキスの感触を忘れてしまえればよかった。
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