7章#14 トリート!
いつもよりも長めに湯船に浸かり、浴室を出ると、キッチンから甘い香りが漂ってきていた。三人が話している感じからして、まだ作業中のようだ。リビングに戻ったところでテレビをぼーっと眺めるくらいしかすることがないので、俺はそのまま自分の部屋に向かった。終わったら声をかけてくれるだろう。
「つっても、やることがないしな……」
とりあえずベッドに寝転がってみてから、俺は独り言ちた。
そう、やることがない。
生徒会は確かに忙しいが、それも現時点で家でやれることはほとんどない。となると……勉強だろうか。先日の中間テストは、選挙に気を取られていたこともあって学年5位にまで落ちてしまっていた。暗記科目はどうしても勉強量が物を言うからな。
ちなみに、澪はしれっと1位を維持している。夏休みに勉強してたのは知ってるけど、それにしても化け物だな、と実感した。次は負けない。
だが今勉強をするのも違う気がする。
となると、本でも読もうか。ラノベにしろ漫画にしろ、読めていない新刊はそれなりにある。新作開拓だってままならない日々だ。読書に時間を割くのはありな気もするが――
「うーん。気分が乗らない」
こうなってしまうから積み本が増えるんだよな、と自覚しつつ。
部屋にある未読本やスマホに入ってる電子書籍から目を逸らし、部屋のパソコンに視線をスライドさせる。
一瞬パソコンで何かやろうかと思うが、ピンとくるものがない。PCゲームをやり始めたら集中しすぎる気もするし。
「あー……ダメだな、これ」
ぼしょぼしょと呟く俺。
我ながら、いざ与えられた休日の過ごし方が分からない社畜みたいになっている。それにしてもオタクティーンエイジャーの社畜について知ったかぶってる感は異常。
それはそれとして、思いついたやれそうなことを悪即断って感じで切り捨てていくのはよくない傾向だと思う。明日からは土日なわけだし。
「修学旅行のことでも調べますかねぇ」
ごろんとベッドに転がったまま、スマホを弄り始める。
修学旅行の行き先は京都だ。小学校のときも中学校のときも行ったため新鮮味には欠けるものの、それでも非日常であることに変わりはない。なんだかんだ中学校まではポピュラーなところにしか行けなかったしな。
寺社寺院にはあまり興味がないが、京都と言えばアニメの聖地になっている場所も多い。調べておいて損はないはずだろう。
そんなわけで、電子の海に飛び込むことに決めた。こういう非生産的な行動の積み重ねは絶対よくないと思う、うん。ダメな大人になりそうだなー。
――とか言いつつ、思っていたよりも調べてみると面白かった。
アニメの聖地はもちろんだけど、アニメの元ネタになっていそうな逸話なんかも出てきて、調べ始めるとこれが止まらなかった。意外と奥深ぇ……。厨二心がくすぐられるよな。
班を決めるのは来週末か再来週って話だった。実に楽しみである。誰と一緒の班になるかは分からないが、今の俺はある程度自分の行きたいところも主張できるしな。
と、考えていると。
こん、こん、こん。
軽やかなノックが三度、ドアを鳴らした。
「あー、空いてるぞ~」
「先輩。女の子をこんな時間の当然のように部屋に招き入れるって、プレイボーイにもほどがありませんか?」
「プレイボーイとか久々に聞いたな……つーか、同居してるのに今更すぎるだろ」
雫のツンツンと冷たい言葉に苦笑しつつ、部屋に入ってくるつもりがないのだと悟る。
ベッドから起き上がり、扉の向こうの雫に聞いた。
「雫は俺を呼びに来たってことでいいんだよな?」
「ですです。あ、でも私が行くまで待ってから出てきてくれるとありがたいなーって感じですね。もちろん今すぐ私にいたずらしちゃいたいって言うなら別ですけど」
「あ、そういうのは結構です」
「私以外で間に合わせてるんですね先輩のプレイボーイ!」
「そう言われるからあえて『間に合ってます』って返しはしなかったのに、それでもなお言ってくる!? あと、プレイボーイネタは二度も拾わねぇぞ」
「ちぇー」
可愛らしい舌打ち擬きだ。くすくすと聞こえる笑い声に頬が自然と緩む。
ぐぐぐーっと伸びをし、さっき着替えるときに部屋に置いておいた三人分のお菓子を取り出した。もうハロウィン終了まで3時間ほどしかないが、それでもハロウィンはハロウィンだ。
「じゃあ、行くから。見られたくないならさっさと行け。しっしっ」
「むぅ。私の扱い酷くないですかねー」
「だって雫、雑に扱われた方が喜ぶじゃん」
「私をMっぽく言わないでくださいセクハラですよ! というか、雑に扱われても喜ぶのは、あくまで普段の優しさがあってこそです。ドメバイはノーセンキューですからね」
「だからDV……」
もう何度目か分からない言い直しをおざなりにしているうちに、雫が部屋の前をとことこと去っていった。
少し待ち、足音が聞こえなくなったところで部屋を出てリビングに向かう。
すると――
「先輩っ! トリックオアトリート、ですっ♪」
「トリックオアトリート……です」
「『トリックオアトリート♪』」
「……色々ツッコミたいけど。まず大河、そんな恥ずかしいなら無理しなくていいからな?」
「無理してません! トリックオアトリートですよ、ユウ先輩!」
「お、おう……やけになってるだろそれ」
と、いう感じで。
雫、大河、澪の三人がハロウィンっぽく出迎えてくれた。しかも三人とも、それぞれに軽めではあるが仮装をしている。
まず雫。
八雲が今朝着けていたような猫のカチューシャに加え、猫の手っぽい手袋?もはめていて、にゃんにゃんと手を動かしている。めっちゃ可愛い。ぺろっと舌を出して表情も完璧なのがずるい。小悪魔ここに極まれりって感じのあざとさ。
そして大河。
こちらは犬耳のカチューシャだろうか。雫と違って手袋はないが、代わりに目元あたりに犬の手形のシールみたいなものが貼っていた。普段の真面目さとのギャップが可愛らしく、ショートボブの彼女と犬耳の組み合わせもグッジョブだった。
で、澪。
澪は……狐のお面を着けているだけだった。でもその分、声というか口調を作っており、そのギャップがグッとくる。何かしらのアニメキャラを真似たのだろう。クールな女の子がはしゃいでるって感じがして可愛い。
…………俺は一体、何を言っているのだろうか。
ひとまず短く実況することで照れを隠してみたつもりだが、いつまでもこうしているわけにもいかない。
こほんと咳払いをし、首謀者であろう雫を見遣った。
「雫。これはなんだ?」
「え、ハロウィンですよ? ほんとは仮装したかったんですけど、流石に衣装だと高いですからね。お小遣いと相談して、小物で攻めようって話になりまして」
「なるほど……バカなのか?」
「ユウ先輩。ハロウィンに仮装すること自体は実際にある文化ですよ。そんな風に言うのはどうかと思います」
「あ、うん。そういうのは恥ずかしそうに目を泳がせるのやめてからにしような?」
「~~っ!」
むくぅぅぅと悔しそうに頬を膨らませる大河。
大変微笑ましいんだけど、このままだと当然のように追撃しそうな奴がいるので先んじて話しかけておく。
「つーか、澪のそれは仮装なのか? お面被ってるだけじゃね?」
「ん、そうだね。それだけだよ」
意味ありげに肯うと、お面の下で澪が不敵に笑った気がした。
「
「――っ」
別に何も悪いことはしてないはずなのに、プレゼントしたものを着けてると言われるだけで謎の背徳感が生じるのはなんなんでしょうねマジで。
言葉に詰まっていると、くすっ、と澪の笑い声が聞こえる。ぐぬぅ。してやられた感が否めない。
雫に視線を戻すと、口もとが三日月みたいな弧を描いていた。
「それでそれで! 先輩はどっちにします? トリック・オア・トリート?」
「んな、ビーフオアチキンのノリで言われてもな……」
「ふむふむ、つまり鶏肉よりは牛肉の方が好きな先輩は前者がお好みだと。えっと、トリックは……お姉ちゃん、トリックってどっちだっけ?」
「悪戯の方だね。ふぅん。友斗、悪戯されたいんだ? ドM?」
「なぁそうやって誰も彼もドM判定していくのやめようぜ。本当のドMに怒られちゃうから」
あと、そういうことを狐のお面被ったり猫耳着けたりしながら言わないでほしい。ゾクっとしちゃうから。
ともあれ、である。
折角雫たちがハロウィンっぽいことをしてくれたのだ。俺もその気持ちに応えねばなるまい。
「んじゃまあ、トリートってことで。気に入るか分からんけど、一応それぞれ好きそうなの選んだから。適当に食ってくれ」
一人一人に、用意していたお菓子を渡す。
まさかここまでしっかりハロウィンな渡し方をするとは思っていなかったが、無事に渡せてよかった。
ほぅ、と胸を撫で下ろしていると、澪と大河がぱちぱち瞬いた。もしかしたら澪もお面の下で同じようにしているのかもしれない。
「先輩。こーゆうとこですよねー。ま、好きだから何でも好意的に見えちゃうっていうのもあるんでしょうけど」
「それは褒めてるの……か?」
「褒めてます褒めてます。どうしてモテるのか分からないラブコメ主人公を褒める感じで褒めてます」
「ねぇそれちゃんと褒めてる? 気に入らないなら言ってくれていいからな? 代わりは……ブラックガムならあるし」
「ブラックガムは絶対にいらないです! とゆーか、すっっごく嬉しいのでOKですっ!」
ぱふっ、と胸のあたりに猫パンチが一撃。
大河はその様子を見て、おずおずといった風に拳を胸に触れさせてくる。
「あ、ありがとうございます……わん?」
「分からないならやらないでいいからマジで。けど喜んでくれてよかったよ」
羞恥で人間の方の耳の先っちょまで赤くなっている大河に言い、俺はふっと笑う。
大河が拳を引くと、今度は澪が手を差し出してきた。
そして、こてっ、とデコピンされる。
「さんきゅ、友斗。嬉しい」
「お、おう」
お面から零れている耳のあたりが赤らんでいたからだろうか。
どうして皆で俺を殴るノリなんだ、と聞く気にはなれなかった。
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