七章『眠れぬ街の美女』
7章#01 ヒロインにはなれないから。
物語の世界はいつだって希望に満ちていた。
翻って現実は、いつまでも冷たかった。
ゲームの世界でなら、何度も選択肢をやり直せた。望む
『私も、こんな風になれるかな……』
自分を変えたいと思ったとき、全ては始まったのだと思う。
それまでの私は、ずっとキャラクターだった。自分で自分を操作することもままならない、地味なモブキャラ。
でも私は、ヒロインに憧れた。キラキラ輝いてすっごく可愛い、ヒロインに。
だから、
『ねぇ。き……も、百瀬くんは、このゲームだとどの子が好き?』
私はコントローラーを握ることにした。
目指すは先輩好みの最高のヒロイン。なりたい自分に変わっていくのはとても気持ちがよかった。もちろん、すっごく大変だったけど。
口調、言葉遣い、視線、ジェスチャー。
その他色んなものを一から作り替えなくちゃいけない。小学四年生にして経験したスクラップ&ビルドは、私の中で新鮮な記憶になった。
だから私は、自分を作り替え続けてきた。
小悪魔からいい子へ。
いい子から危うい子へ。
危うい子からいい後輩へ。
その度に迷って、すっぴんだとか本物だとか、そういうことを考えて。
けれどそんな私を――ずっと俯瞰している私が、確かに存在している。
その私はコントローラーを握っている、プレイヤーの私で。
彼女は決して冷たくない。むしろ、ゲームを攻略するみたいに何度も何度もやり直して、本当に欲しい
『…………ゲームはゲーム。現実じゃないもんね』
――この世界がゲームだったら、皆が幸せになれるのに。
でもゲームじゃないんだよ。そう割り切ってるのは、プレイヤーじゃなくてキャラクターの私なのだから。
◇
SIDE:雫
「私は未熟です。今回の選挙で痛いほど思い知りました。経験も才能も可愛げもちっともなくて……本当にダメダメです。それでも、私は生徒会長をやりたいです。こんな私でごめんなさい。でもどうか――私を応援してください。頑張ります。それしか今は言えないけれど……たくさん、たくさん、頑張ります」
ステージの上で、私の大切な友達が話している。
生徒会役員選挙、最終演説。先週までは大河ちゃんは劣勢で、当選するのは如月先輩だって空気ができていた。けれども火曜日になって如月先輩が副会長に立候補し直し、それから流れは一変している。
火曜日から今日の朝まで、大河ちゃんは粘り強く伝えていた。
それとおんなじことを愚直に、笑っちゃうくらいに正直に話す姿は、ともすればとてもかっこ悪く見えて。
それなのに全校生徒の誰も大河ちゃんのことを哂いはせず、いつの間にか応援する温かい空気が生み出されていた。
「私の公約は、これまでも挙げていた通りです。他の役職に立候補した人の公約も全てを達成するのは大変で、もしかしたら全部が青写真で終わってしまうのかもしれません。そのときは、ごめんなさい。心から謝ります」
公約を達成できないかも、だなんて。
そんなこと、本当は言っちゃいけない。言うにしてももっと冗談めかして、巧くやるべきだ。
嘘はよくないかもしれないけれど、世の中には真実の伝え方がある。こんな風に闇雲に正直になるのは、きっと正しくない。
――それなのに。
ストレイトな光の如き大河ちゃんの言葉は、よく響く。
たかが生徒会だと思って、どうでもいいって感じてる人だって山ほどいるはずだけど。
そんな人ですら「まぁいいじゃん」とちょっとだけ応援したくなるような、そんな強さに満ちていた。
「それでも! 皆さんの力をお借りして、これまでの生徒会長よりも立派で学校生活をより楽しくできるような生徒会長になりたいです。だからお願いします。私の背中を押してください」
大河ちゃんはそう告げると、深々と一礼をして下がった。
ぱちぱちぱちぱち。
誰からともなく拍手が起こる。ぱちぱち、ぱちぱち。私も一生懸命拍手をした。本当に凄いと思ったから、すごいなぁさすがだなぁ、って思いを込めて拍手をした。
「――続いて、応援演説に移ります。推薦人の方は二人合わせて3分以内に演説を終えてください」
司会の人のアナウンスの後にマイクの前に立ったのは、真夜中みたいに綺麗な髪を靡かせる人――っていうか、お姉ちゃんだ。
いつも私や先輩に見せているのとは違う、お人形さんみたいな笑顔でお姉ちゃんは言う。
「こんにちは。入江大河さんの応援演説をする二年A組の綾辻澪です」
完成された声色。
どこにでもいる優等生のように清廉とお姉ちゃんは続けた。
「入江大河さんは真面目で、正直で、嘘がつけない性格で非を認められる人です。一年生という身ではありますが、その経験不足を補って余りあるほどに、彼女は生徒会長に向いていると思います」
大河ちゃんを絶賛する、どこか作り物めいた口調。
先ほどの大河ちゃんの演説との温度さに空気が軋んでいると、にやぁ、とお姉ちゃんは魔性の笑みを浮かべた。
私ですらドキッとしちゃう、色っぽい顔。
みんなが息を呑むのと同時にお姉ちゃんは、なんて、と自嘲気味に言った。
「推薦人を引き受けた段階でかなり一生懸命推薦する理由を見つけて原稿を考えていたんですけど、ダメですね。ここ数日だけで一気に状況が変わって、挙句の果てに本人が『私は未熟です。今回の選挙で痛いほど思い知りました。経験も才能も可愛げもちっともなくて……本当にダメダメです』とか言うんですもん」
一瞬だけ大河ちゃんの真似をして見せると、お姉ちゃんは顔をしかめた。
あー、これは絶対に「あんな子の真似をするとか最悪」って思ってる顔だ。何故かお姉ちゃんと大河ちゃんは相性最悪だから分かる。
が、その表情をもお姉ちゃんは話を進めるパーツとする。
「そんな風に自虐されたら、一生懸命見つけたことが全部台無しですよね。実際、私も思います。経験も才能も可愛げもない! でも、鮭を焼くのは悔しいけど上手なんですよ」
内緒話をするようなひっそりとした声はマイク越しに体育館中に響く。
すると、どっ、と笑いが起こった。
「私も実は、鮭に買収されたクチなんです。まぁ私も和食で負けるつもりはありませんが、入江さんは私が、まぁいいかな、って納得できるくらいには鮭を焼くのが上手なんです……って、これじゃあまるで姑ですね」
けらけら、くすくす。
そんな風に笑いが起こるたびに、大河ちゃんに抱く愛着が膨れ上がっていく。
上手だな、と妹ながら思う。本当にお姉ちゃんは巧い。変幻自在に自分を変えて人の心を掴んでいく様は、私のセルフプロデュースとは似て非なるものだ。
「まぁ、そう考えてみると。他のところも、確かに未熟ですが、まぁいいかな、って思えるくらいの水準ではあると思うんです。春先から生徒会の見習いみたいなことをしてるらしいですから。能力的には足りなくとも、やる気はきっと過去の生徒会長に負けていません。やる気さえあれば能力が足りない分を量で補って、なんとかしてくれる気がしませんか?」
さやさやと吹く風の如く微笑を浮かべると、お姉ちゃんは最後に、
「というわけで。私は入江大河さんを生徒会長に推薦します」
と告げて、もう一人の推薦人と場所を交代する。
そして、はぁぁぁぁ、と溜息をついた。
「だからどうして俺がトリなんですかね!? 俺ずっと思ってたんですけど、これって立候補者が後で推薦人が先の方がよくないですか? そうでもしないと俺みたいな奴がトリを飾ることになるんですけど男子の皆さんどう思います!?」
「引っ込めー!」「美少女コンボの余韻を壊すなー!」「百合に男を挟むなー!」「女体化したら許してやるー!」
「一部っつうか半分くらいおかしくないですかねぇ⁉」
なんて、先輩らしいやり方で演説を始めた。
先輩がこんなことをできるってこと、高校に入学するまでは知らなかった。人前に立つのは苦手ではないけど、好まないタイプだと思っていたから。
けど、今の先輩は生き生きしてる。
くくくと口の端を上げて小さく笑ってから、こほん、と大仰な咳払いをした。
「と、まぁ、ふざけてばかりだと時間がなくなるというか厳密にはあと30秒しか残ってないので言いたいことだけ言います」
一気に真剣なトーンになると、自然と全校生徒は黙り、耳を傾けた。
先輩はマイクスタンドからマイクを取って、すぅぅと息を吸ってから言う。
「俺こと百瀬友斗は、入江大河が生徒会長になるのを全力で応援します。当選した暁には学級委員長としても、助っ人としても、めちゃくちゃこき使われる予定です。っていうか庶務って役職自体、俺を体よくこき使うためみたいな部分ありますし」
後ろで大河ちゃんがばつが悪そうに、けど嬉しそうに笑うのが見えた。
「皆さんはどうですか? こんな茶番、付き合ってられない? お前らの青春ごっこに巻き込むな? ええ、至極ごもっともです」
ステージ横に置かれたタイマーは、残り時間が10秒であることを報せている。
先輩はとても重大なことを言う風に、重々しく口を開いた。
「でも……そんなところが癖になるんで、これからの大河の活躍を楽しみにしといてください」
にかっと挑発的に笑うと、ぴーぴーと時間終了のアラームが鳴った。
マイクスタンドにマイクを戻した先輩は、お姉ちゃんと大河ちゃんと共に並ぶ。
三人に向けられた拍手の中で、私は一人、目を細めた。
すごいなって思う。眩しくて直視できないな、って。
笑われたりうざがられたりすることを厭わずありのままで突き進む大河ちゃん。
見せる姿を巧みに変えて、けれども自分の欲望を貫こうとするお姉ちゃん。
今になって、夏の過ちが追いかけてくる。
大河ちゃんは彼女のありったけで先輩にぶつかって、間違いを正そうとした。
お姉ちゃんは美緒ちゃんになってでも先輩の哀しみを受け入れようとした。
翻って私は、どうだろうか?
ただ暴走して、勝手に壊れて、傷ついて……多分それだけだった。
先輩を笑顔で照らしてあげたかったけど、それすら叶わなくて。
私だけは、先輩に何もあげられていない。
「こんなの、ヒロインじゃないなぁ」
絶対に曲げない、強い信念や望みみたいなもの。
私にはそんな“何か”がない。
願うことはあった。
欲しいものもあった。
けれど、それが現実に手に入らないことは分かっているから。
――だからどうかずっとこのままで。
ヒロインではなくプレイヤーとして、コントローラーを放りながら思う。
結局私は、キラキラしたラブコメディの住人にはなれないんだな。
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