6章#08 まだまだ

 秋と言えばなんだろう。

 食欲の秋、読書の秋、スポーツの秋。色んな秋があるし、様々なところであらゆる『〇〇の秋』がプッシュされている。

 もはやこうなってくると、秋のための秋と呼ぶのが適切なのではないか。


 そんなことを考えるのは、所詮、現実逃避にすぎない。

 生徒会室の戸の冷たさが、そう現実を突きつけてきた。


 放課後。世間は生徒会役員選挙に突入しているが、まだ現生徒会の活動は終わっていない。体育祭や七夕フェスがそうであったように、文化祭の事後処理をしなくてはならないのである。


 今回は時雨さんが気を遣ってくれたこともあり、文化祭前でも済ませられる業務は済ませている。

 が、何をどうやっても文化祭が終わってからじゃないとできないものもあるわけで、今日はそれを処理しなくちゃいけないわけだ。


 こん、こん、こん、とノックを三回。

 ドアを開くと、既に二人先客がいた。客じゃねぇけど。


「時雨さんと如月か。二人とも、おつかれ」

「うん、お疲れ様。といってもこれからやるんだけどね」

「お疲れ様、百瀬くん」


 ドアを閉めていつもの席につき、パソコンを起動する。

 待っている間にコーヒーを入れ、バッグからブルーライトカットの眼鏡を取り出し、人心地つく。

 生徒会は俺にとって、相当落ち着く居場所になっているみたいだ。仕事嫌だなぁと億劫になるくせに、驚くほど自然に『いつも』を感じていた。


 だからだろう。

 如月がいつもよりも早めに来ている気がして、俺は口を開いた。


「時雨さんは分かるけど……如月は、随分と早いな。なんか今日、用事でもあるのか?」

「ん? 特にないわよ。普通に早く来ただけ。今日は教室ですることもなかったから」

「なるほどな」


 ま、そんなもんか。推理小説じゃないのだから世の中は動機で構成されていない。不純な動機すらも持ち合わせない『なんとなく』だって幾らでもあるだろう。

 八雲も文化祭が終わったからかサッカー部の方に集中してるしな。とはいえ再来週にはテストだし、すぐに活動休止期間になるけど。


 と、そんなことを言っているうちにパソコンの準備が終わった。

 コーヒーに口をつけ、眼鏡をかけてからカタカタとパソコンを弄り始める。まだ頭が回ってないし、まずは簡単なところからやるかな。


 そんなとき、


「そういえば」


 と時雨さんが言った。

 明らかに俺に話しかけている感じだったので、作業に入るのをいったんやめる。

 どうしたの?と視線で先を促すと、時雨さんは続けた。


「生徒会役員選挙、もうすぐだねって話をさっき如月さんとしてたんだよ」

「あー、そうなんだ」

「うんうん。なんだか、ボクももうすぐ引退なんだなぁって思ったら感慨深くて。後輩に構いたい気分なんだよね」

「なにそれ」


 くすりと笑って如月の方を見る。和やかに微笑を浮かべる彼女。でも、その眼鏡の奥の瞳には、真剣な色が見えたような気がした。


 時雨さんは髪を耳にかけた。

 小さな粒チョコみたいな泣きぼくろが可愛らしく見える。ミスコンでは三連覇を逃したけど、時雨さんもとびきりの美人なのは変わらない。


「まぁ、このときのために春から大河を教育してきたわけだしね。何だかんだかなり優秀に育ってるし、時雨さんに負けず劣らずの生徒会長になるんじゃないかな」


 本心でそう言った。

 一年生で生徒会になるなんて、とても難しいことだけれど。時雨さんのようになるのも、果てしなく難しいけれれど。

 それでもクソ真面目な大河なら、めげずに頑張ってくれるはずだ。


「「…………」」


 そのはずだったのに、生徒会室の空気は、何故だかどんよりと重さを増す。

 時雨さんが何を考えているのかは、表情から上手く読み取れなかった。あえて読み取らせないようにしているな、ということだけが分かる。


「ねぇ百瀬くん」


 真面目なトーンの、如月の言葉。

 眼鏡をつけたまま聞くのは不誠実なように感じて、俺は眼鏡を机に置いた。


「文化祭の前に言ったこと、覚えてるかしら」

「文化祭の前?」

「えぇ」


 この話の流れで、どのことを指しているのか分からないほど愚鈍ではないつもりだ。

 一昨日思い出したばかりのことでもある。

 覚えてる、と俺が首肯すると、如月は居住まいを正して言った。


「改めて聞くわ。百瀬くんって生徒会長になる気はないの?」


 改められた問いは、以前よりも一段深いものだった。

 生徒会に入るかどうかを尋ねられたわけじゃない。会長にならないのか、と問われている。


「……冗談とか、じゃないんだよな」

「もちろん。それなら霧崎会長を巻き込まないし、仕事を止めてもらってまで話したりしないもの」

「だよな」


 こちらもピンと背筋を伸ばすのはなんだか胡散臭い気がして、きぃ、と背もたれに体重をかける。


「どうしてそんなことを急に? 俺は大河が生徒会長になれるように育ててきたつもりだ」

「大河ちゃんは……会計か総務になればいいわ。元々、生徒会に興味があるって話だったわけでしょう?」

「まぁ……それは、そうだが」

「それでも、キミは大河ちゃんに生徒会長になってほしいの?」


 曖昧に受け応える俺に焦れたのか、時雨さんが割り込んできた。

 窓の隙間から差し込む風が、白銀の髪を揺らす。


 何か、とても大切なことを尋ねられているような気がした。

 生徒会のこと以上に、時雨さんと俺の関係に関わるほどの、決定的な問いのように思える。


「俺は――」


 答えは決まっていた。

 だからはっきりと答えようとしていたのに。


 かの名曲の如く、『運命』が扉を開けた。

 がらり。

 その音につられて、俺たち三人が扉を向くと、


「あ、えっと……こんにちは、みなさん」


 そこには、入江大河がいた。


「こんにちは、大河ちゃん」

「こんにちは」

「お疲れさん。ちょっと遅かったな」

「あ、すみません。少し雫ちゃんと話していて……」

「そっか」


 もう少し雫と話していてほしかったな、と思う。

 けどこのタイミングで来てくれてよかったとも思えるから、こほん、と咳払いをした。


「時雨さんも、如月も、その話はまた今度で」

「……えぇ」

「うん、分かったよ」

「あの、百瀬先輩――」

「大河、仕事するぞ。できれば今日中に終わらせちゃいたいからな」


 もう生徒会室には足を運んでいて、すっかり馴染んでいる。

 だから知ってるんだ。

 一枚の扉程度じゃ、話し声を消してはくれないってこと。


 何か言いたげな大河をスルーして、俺は仕事を再開した。

 仕事の秋であることに、変わりはないからな。



 ◇



「あの、百瀬先輩。今日――」

「はあ、分かってる。送るよ」

「っ。すみません」

「そういうときはありがとうって言った方がいい、って雫に言われなかったか?」


 生徒会の仕事が終わった。

 余計なことを考えないようにしていたからだろう。いつも以上に仕事に没頭できて、それゆえにかなり早く仕事を処理できた。おかげで、事後処理は全て終わった。


 外を見れば、空は焼栗みたいな茶色に染まっている。

 心配するほどの時間ではないが、そもそもそれが目的でないことは用意に理解できる。


 少し重い表情の大河に言うと、ふっ、と優しく微笑まれる。


「そういえば、言われました。ごめんなさい。ありがとうございます」

「おう。って、結局謝ってるし」

「今のは文脈的に妥当な謝罪だと思います」

「ふっ……だな」


 あくまで主張するところは主張する。そんな在り方が心地いい。


「じゃあ時雨さん、如月。俺たちは先帰るから」

「お先に失礼します」


 荷物をまとめてから、二人に告げた。


「うん、ばいばい」

「百瀬くんも、大河ちゃんも、お疲れ様」


 そう言われてから、俺と大河は生徒会室を出る。

 そんな俺の背中に向けて、如月は、ねぇ、と声をかけてきた。


ことで、いいの?」

「少なくとも俺は、そのつもりだよ」

「……そう。残念だわ」

「……?」


 残念って、どうしてだ?

 胸に痞えるけれど、如月にはそれ以上話すつもりはないようだった。歯痒くて、ぎゅっ、と拳を握る。


「そっか」


 ハッピーエンドな文化祭を超えて、青春の絶頂みたいな時間を過ごして。

 でもまだ俺は始めたばっかりなのだと、強く思い知った。

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