5章#04 文出会

 文出会の会場たるホールに続々と参加者が集まっていく。

 開始時刻に近づけば近づくほど、ホールの空気は賑やかで、なおかつピリピリしたものへと変わる。

 誰も彼もが、この文化祭をよいものにしたいと思っている。

 だから他の団体が凄いことをやっていたらテンションが上がるし、凄いね、と言いたくもなる。けれど各々が団体の代表者としてきているから、自分の団体も負けていられない、という気持ちになるのだ。


 嵐の前の静けさ、もとい、祭りの前の騒がしさ。

 否が応でもテンションと心拍数が上がる熱の中で――定時になった。


 ぱたん、とドアを開いて。

 その人は威風堂々とホールに入ってくる。早すぎることも遅すぎることもなく、ちょうどぴったりに来るから、その人の登場自体が時間を区切っているように錯覚する。


 ここからは本番だよ、と。

 真剣に楽しむ時間だ、と。

 そう言わんばかりに入場してくるその人の名は、霧崎時雨さん。


 あえて苗字をつけて呼びたくなるほど、今日の時雨さんは生徒会長然としている。それゆえか、息を呑む音が聞こえた。


 うわぁ、やっぱり三大祭のときの時雨さんは本気だよなぁ……。

 今回は時雨さんにとって、生徒会長として迎える最後の三大祭となる。いつにも増して気合が入っている、というわけか。


「さて、と。うん……全員いるようだね。おはよう、みんな。ボクは生徒会長の霧崎時雨だよ。そして――」


 と、時雨さんは生徒会メンバーを一人一人紹介していく。

 雑用係として端に立つ大河の紹介もしたところで、代わりに顧問の先生を紹介して、時雨さんの話はひと段落する。


「とまぁ、こんな前振りに耳を傾ける余裕はないよね。うん、実はボクもそうだよ。みんなの見せてくれる素敵なビジョンを楽しみにしてきたからね」


 ふわふわと、少年少女の夢を揺蕩うみたいに時雨さんは笑った。


「じゃあ文化祭出店会議の流れを説明するよ。みんなには事前に生徒会のパソコンにデータを送ってもらっているよね? そのパソコンとプロジェクターはこちらの方で接続済みだから、それをもとにプレゼンをしてほしい」


 当然、プレゼンの場所はホールの前。

 生徒会はもちろん、他の団体の代表者にも見られながら行うことになる。

 人数が人数だけに目立てばそれだけで宣伝になるが、そもそも発表のハードルが高かったりもするのが文出会だ。


「あ、けど安心していいよ。何も取って食おうってことじゃない。上手くいかなくても生徒会がサポートするし、後日また時間を設けてもいい。そんなに固くならず、ラフに行こう」


 そう言われてラフに行ける奴はそもそも緊張しないという話なのだが、まぁそんなことをうだうだ言っていてもしょうがない。

 そういえば、と俺は雫にこそこそと尋ねた。


「なぁ雫。全く気にかけてなかったけど、雫のクラスは大丈夫か?」

「……それ、今更感凄いですね」

「うっ。しょうがないだろ。昨日までは俺も忙しかったんだ」


 それは違うな、と胸の内で自嘲する。

 雫の相談に乗ってやるくらいの余裕はあったはずだ。どうせプロットだってろくに書いてなかったんだし、月瀬に相談には乗ったんだからな。

 それができなかったのは、雫と向き合うのを避けていたからに他ならない。


 今はそうじゃないから聞いたのだが……どう考えても、時すでに遅しである。

 くすっ、と笑って雫は答えた。


「ま、だいじょーぶですよ、先輩。流石に私一人じゃ無理だったので友達とRINEで話し合ったりしましたけど……ちゃーんと準備してあります」

「そっ、か。ならよかった。けどなんかあったら声かけていいからな。俺はお前のせんぱ――」


 先輩だから、と言おうとして、馬鹿だなと苦笑した。


「俺はこう見えて、世話焼くのが好きだからさ」

「ふふっ。今日のところは70点、くらいですかねぇ」

「……うっせぇ」


 雫の力になってやりたい、くらい言えたらよかったけどさ。

 まだそこまでは無理だし、それは純粋に恥ずかしいから。

 それはきちんと『好き』を手渡せるようになってからにしたいと思う。



 ◇



 文出会は恙なく進んでいった。

 順番は事前に生徒会 (というか時雨さん)がアットランダムに指定してある。各団体から送られてくる発表用データの管理も時雨さんがやってたし、何だかんだ一人だけ生徒会を休んでないんだよなぁ……。


「次は……一年A組だね。代表の子、お願いできるかな?」

「はいっ!」


 五つほど団体が発表を終えて無事許可を得たところで、雫の番が回ってきた。

 決して気負い過ぎるわけではなく、かといってだらしないわけでもなく、雫はいたって自然に発表場所へ向かう。

 スクリーンにパワーポイントを映し出すと、雫は一礼をしてから発表を始めた。


「一年A組の綾辻雫です。よろしくお願いします」

「うん、よろしくね」

「はい……では――」


 と、言って雫は自クラスの企画を説明していった。


 雫たち一年A組の企画名は『メイド喫茶』。

 まぁ読んで字の如くメイド喫茶であり、そこに捻りは一切ない。文化祭らしすぎて笑いそうになったが、流石に場を弁えて我慢はしておく。


 ただ全く難点がないというわけでもなかった。

 気がかりな点は大きく分けて二つ。

 おそらく時雨さんはそこを突くんだろうな、と思う。意地悪ではなく、あくまで一年A組の企画がよりよくなることを願って。


「――と、以上のようにメイドと執事による快適な空間の提供により文化祭に来ていただいた方に素敵な思い出を作ってもらうのと同時に、私たち自身がメイド喫茶をとことん楽しむことをコンセプトにしています」


 斯くて雫は無事プレゼンを終えた。

 最後はキラキラとお星さまみたいに目を輝かせて。

 この場でも最後の最後の自分たちが楽しむって言えちゃうあたり、雫だよな。もちろん大事なことだし誰もが思っているんだろうけど、堂々と言える奴はそれほど多くない。


 別にメイドのカルチャーだなんだと、小難しく捉える必要はない。

 メイド喫茶をやりたい。ただそれだけでいいじゃないか、ということなのだろう。


「ボクから二つ、質問をしてもいいかな?」


 案の定、時雨さんが手を挙げた。

 これまでの五団体にも必ず手を挙げてはいたが、他の団体への質問は一つだった。

 少しだけ空気がピリつく。雫の口角がぴくりと動くのが見えた。


「まず一つ。この手の出店はトラブルが起きやすい、というのは分かるかな」

「はい、もちろんです! メイド喫茶とトラブルは王道のセットですもんね!」

「うんうん、そうなんだよ――と、失礼。それでね、一年A組としてはトラブル対策を何か考えているのかな?」


 この二人、一瞬『メイド喫茶でナンパ男に絡まれるヒロインを助ける主人公』的な展開で盛り上がろうとしたぞ。

 しかしながら、時雨さんの質問自体は至極真っ当なものだ。俺もそのことを懸念したし、学校側だってそれは同様であろう。もちろんトラブルを起こすのはトラブルを起こす側が全面的に悪いが、そう断じて割り切ることができないのが辛いところ。


 実際、もしも雫がトラブルに巻き込まれたらと思うと、俺だって止めたくなる。

 幾らだって詭弁を積み重ねることはできるしな。


 雫は時雨さんの質問を聞き、こくこくと小さく頷いてから、


「もちろん、考えています。大きく分けて、トラブル対策は二つです」

「二つか……と言うと?」

「まず一つは、メイド服を健全なものにします。スカートはできるだけ長くし、胸元も絶対に見えないように。ですが決して本格メイドのように気取るわけではなく、ただ健全で可愛いメイド服にするつもりです」

「健全か……なるほど、確かに少しは改善するかもしれないね。でもそれでいいの?」

「もちろんです! だって! メイドさんはとことん健全で包み隠された真面目で清楚で忠実だからこそ可愛いんじゃないですか! ロングスカートで明らかに真面目そうなメイドさんが『萌え萌えきゅん♪』とかはっちゃけてるからいいんですよ!」


 けふけふっ、とつい咳き込んでしまう。

 周囲のジト目に『すんません』とぺこぺこ謝るが、俺以外の奴らも別に能面みたいに真面目な顔をしているわけじゃなさそうだった。若干口元がにやけてるし、男子の中には雫の『萌え萌えきゅん♪』でやられてる奴もいる。


 つーか雫、急にアクセル踏みすぎだろ。

 オタク趣味を持っていようと冷たい目を向けられることはない良い社会になったけど、自粛ってのもを覚えようね?


「こほん。失礼しました。もう一つのトラブル対策ですが、完全なる見張り役として二名、執事服の男子生徒を常駐させたいと思っています。監視カメラなんかもそうですけど、見張りがあるってだけで抑止力になると思うので」


 とはいえ、と雫がまとめにかかる。


「これだけで完全にトラブルが防げるかと言えばそれは分かりません。世の中には予想できない悪意もありますから。なので後は生徒会の方々にお任せしたいと思います。ぜひそんなトラブルが起こらないような文化祭の空気にしていただけたら、とっても助かります」


 ほぅ、と吐息が零れた。

 結局のところ対策は完全にはならない。なら全力を尽くしたうえで『あとはそっちでやってください。期待してますよ♪』というわけか。

 なんとも雫らしく、そして結構真っ当なやり方だった。


「なるほど……その通りだね。うん、その期待に応えられるよう頑張るよ。一年A組のみんなも、自衛できる悪意からは身を守れるように対策を考えてくれてると思う。生徒会長として君たちみたいな一年生がいることを誇らしく思うよ」


 賞賛だった。

 時雨さんの絶賛。

 だが――それで終わりではないことは、既に提示されている。


「それではもう一つ、質問をいいかな。と言ってもこっちは、単なる意思確認なんだけどね」


 そう言って時雨さんは笑う。

 微笑みながら口にした質問は、決して俺にも無関係なものではなかった。

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