4章#32 先輩と後輩
「ぷっ……くっくっ」
「なぁ雫。そんなに大爆笑するのは酷くないか?」
「すみません。だってっ……ぷくっ」
ビーチバレーを終えて。
俺と雫は、さくさくと砂の上を進み、海の家へと向かっていた。ラムネみたいな天を仰ぐと、気のせいだろうか、つーっと汗が目から伝う。
隣でげらげらとお腹を抱えて笑う雫をジト目で見遣りながら、はぁ、と溜息をついた。
「くっそぅ……分かってるんだよ! 敗者の俺に文句を言う権利はないってことはなぁぁっ!」
「ぶふぅ――ちょ、笑わせないでくださいよぉ! ただでさえおかしくなっちゃいそうなんですから」
「自分の散々な結果を棚に上げて人のことを笑う奴なんておかしくなっちまえっ!」
俺が言うと、更に雫の笑いは深くなっていく。
目尻にじんわり涙が滲むほどだ。笑いすぎだろ……ここまで全力で笑った雫も久々に見たぞ。
つい先ほど勝敗が決したビーチバレー。
綾辻と時雨さんの超次元タッグに対し、雫と大河の二人ではゲームにならないということで俺が雫と代わることになった。
だがしかし、俺が『自分は男子だし余裕で勝っちゃうっしょ、むしろ代わって大丈夫っすかハハーン』とか思っていたら(思っていない)、負けた方が罰ゲームという話になって。
うっしゃやったるか、と思ってから――約0分後。
俺と大河のペアは一切得点できずに惨敗した。
「いやぁ、あれだけかっこつけておいてぼろ負けとか一番かっこ悪いやつですもんね~」
「うっせぇ……雫だって全然ダメだったじゃねぇか!」
「でもでも! 私がやってるときには点取れてますもん」
「大河と協力して、だろ?!」
ドヤ顔してるところ悪いが、雫は全く得点に絡んでなかったからね? 俺と交代するまでに得点したのは大河の粘り勝ち、或いは綾辻や時雨さんのミスだったし。
しかし俺が交代してからの綾辻と時雨さんは、そんなミスを一切してくれなかった。どんなにこちらが粘っても安定的にスパイクを決めてくるので、結果的にこちらは全く点を取れずに終わった次第である。
「いいんですもん。私は大河ちゃんと協力できて、先輩はそーじゃなかったんですから」
「ぐぬぬ……反論できないのが口惜しいな」
「えっへん、です。今日のところは私には敵いそうにないですねっ」
胸を張り、ぱちんとウインクを一つ。
いつもならドキリとしているところかもしれないが、こうもぼろくそに負けてやられた後だと笑う気にもなれない。
敗者はそそくさと罰ゲームに励むのみである。
「まぁよかったじゃないですか。簡単な罰ゲームだったんですし」
「いや……まぁな。綾辻なら酷い罰ゲームを課してくる可能性も普通にあったし、そういう意味じゃほっとしてるよ」
敗者に課された罰ゲームは、買い出しだった。
まだ昼食を食べるには早いが、ビーチバレーで激しく動いたので暑いし何かを食べたい。そんなわけで、かき氷を買ってくるように命じられたのである。かき氷を食べるのは雫と約束したことでもあるしな。
負けたのは三人だが、流石にあれだけ動いていた大河に買い出しに付き合わせる気はない。そもそも俺が乗った勝負なんだから俺一人で行こうと思っていたところ、雫がこうしてついてきてくれたのだった。
で、ついてきた後でこんな風に俺を笑いまくってやがるわけだが。
俺も雫も戦犯って意味じゃ同じだからね?
「えっと、時雨さんがいちごで、大河がブルーハワイだったよな」
「そーですね。で、お姉ちゃんが抹茶です」
「うんそれは分かってる。つーか綾辻のは聞く前から分かってた」
「ですよねっ。私はメロンにしよっかなぁ……あ、先輩はどーします?」
こて、と雫が可愛らしく首をひねる。
「そうだなぁ……じゃあブルーハワイかな」
「うぅ、先輩は私じゃなくて大河ちゃんを選ぶんですねっ」
「んなこと言ってねぇよな?! というか、そもそも俺、メロンそんなに好きじゃないし」
「むぅ。まぁあれ、全部同じ味ですけどね」
「色と匂いでなんかやってるんだっけか」
確か、抹茶以外は味が同じで、勝手に脳が違うように感じているだけだと聞いたことがある。逆に抹茶だけはパウダーとかも入ってるので特別なのだとか。
着色料は頑張ってるよなぁ、と以前綾辻がいちごオレを飲まないと言っていたのを思い出し、苦笑した。もうあれから4か月弱だもんな……時の流れは早い。
「あ! けどけど、やっぱり皆で交換したりもしたいですよね」
「味同じなのに?」
「だからこそ試してみたいじゃないですか。私たちの脳がどれだけ優秀か試すんです」
「どんな脳トレだ」
くつくつと笑うと、楽しそうにツインテールが揺れた。
どことなくいつもより子供っぽい雫は、ふぅ、と満足げな溜息を零す。
「ねぇ先輩。楽しいですよね、こーゆうの」
「……だな」
茶化そうかとも思ったけれど、雫の眩しい横顔を見たらそんな気持ちは霧散してしまう。
カメラを持っていないことを俺は強く悔いた。
せめて、と心にきちっと焼き付けておく。
「私、ようやく理解できましたよ。両想いだって薄々分かってるのに全然告白せず青春を謳歌してるじれったい主人公とヒロインの気持ち」
とてとと、一歩前に出て。
常夏みたいに、
「ずっとこのままで、って思っちゃいますもん。恋人になって何かが変わるくらいなら、いつまでも友達のままで、って」
楽しそうに言った。
その真意は俺には分からない。何となくそう思っただけなのかもしれないし、俺に汲み取ってほしい何かがあるのかもしれない。
少なくとも、勝手に聞き手が何かを汲み取るのはダメな気がしたから。
俺はただ、真っ直ぐに答えた。
「そっか……これでまた、オタクとして一皮剥けたな」
「ですですっ!」
海の家に向かって進んでいく雫の背を見つめて、密やかに思う。
――雫にはツインテールが似合ってるよ、と。
◇
SIDE:大河
百瀬先輩と雫ちゃんが買い出しに向かうと、霧崎会長は少し涼んでくると言って海に行った。そこまでの体力がない私はレジャーシートに体育座りをして、ゆらゆらと綺麗な海を眺める。
これまで、こんな風に海で遊んだことはなかった。
こっちに帰省してきても家が息苦しくて海ではしゃぐ気分にはなれなかったし、そもそも海で遊ぶこと自体に楽しさを覚えるような性格ではないから。
けれども今日は、とても楽しい。
今回の帰省は、今までのそれとはまるっきり違うのだ。
百瀬先輩と美緒さんが一緒にいてくれた、昔の夏休みを思い出す。
チラと隣を見遣ると、綾辻先輩がちょこんと座っている。
百瀬先輩から、綾辻先輩が美緒さんに似ていると聞いた。流石に彼女の顔までは覚えていないけれど、何となく分かるような気もする。
だからこそ、綾辻先輩のことは掴めない。何を考えているのか、全然分からないのだ。
もちろん他の人のことも、全てを分かっているわけではないだろう。でも雫ちゃんや百瀬先輩は、この夏で変わろうとしている。罰ゲームに行った二人の後ろ姿を見ても、そんな様子が見て取れた。
けど、綾辻先輩は違う。
この人は何を考えて、どんな未来を望んでいるんだろう?
「あの……綾辻先輩は泳ぎにいかないんですか?」
「うん、今はいいかな。ちょっとゆっくりしたくて」
「そうですか……すみません、不躾なことを言いました」
「ううん、気を遣ってくれたんだよね? ありがとう」
綾辻先輩は、まるでたんぽぽみたいに笑った。
「そういう入江さんこそ、泳ぎに行って来たら? もう息も整ってきたでしょ」
「えっと……まぁ。でももう少しここにいます」
「そっか。ま、かき氷食べてからでもいいもんね」
ひゅるるる、と少し強めの風が吹く。
綾辻先輩は、ビーチバレーを終えてから被り直した麦わら帽子を押さえる。さらさらと靡く黒髪は息を呑むほど綺麗だった。
姉ですら、こんなに人を惹きつける顔をしたことはないかもしれない。
ふとそう思ってしまうほど今の綾辻先輩は魅力的だった。
なのに、その綺麗な綾辻先輩の笑顔は、まるで綿毛が吹き飛んだ後のたんぽぽみたいに消えていた。
「入江さんはどうして部外者のくせに踏み込んでくるの?」
「えっ」
窓を閉め切った部屋のライトをぱちんと消し去るように。
翳って、翳った、声だった。
「もしかしたら
「……っ。別に、部外者なわけじゃ」
「部外者でしょ。兄さんと入江さんはただの先輩後輩なんだから」
「――ッ」
敵意だった。
ぎゅっ、と握りこめた手に力が入る。
「それなのに兄さんとあの子の関係に口を出して、あまつさえ別れさせるように仕向けて」
「それは……っ」
ジャックナイフのような視線に唇を噛んだ。
兄さん、と呼ぶということは綾辻先輩は美緒さんでいるつもりなのだろう。
どうしてそこまで?
掴めない蜃気楼に手を伸ばすように口を開こうとして、
「ま、どうでもいいけど」
かつっ、と短い言葉で切っ先が砕かれる。
次の瞬間、綾辻先輩がすぅぅと色のない表情になっていた。
――人形みたいだ。
そう思ったら、声は出なくなる。
「もう諦めたから、いいんだよ。物語は止まってはくれないから」
「っ」
「けど今回のことではっきりした。入江さんは私にとってきっと、不倶戴天の敵だと思う」
不倶戴天の敵。
そうとまで突きつけて、敵と味方の境界線を引くのに。
次の瞬間にはもう、綾辻先輩は優しく微笑んでいる。まるで着ける仮面を変えたみたいに。
「でも私は、綾辻先輩のことを知りたいです」
「そっか。眩しいね、入江さんは」
私の声はちっとも届いていないように思えて。
だから歯痒かった。
百瀬先輩。
明日の続きの明後日にいる百瀬先輩は、綾辻先輩のことを分かってあげられますか?
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