4章#07 おはよう、キミ

 夏休み初日。

 鬱陶しいほどに晴れ渡った空。その最奥でギラギラとやかましく輝く太陽は、アスファルトの温度をどんどん上げていく。

 都会はこういうと嫌だ。自然の風流物で涼を感じることもできないし、並び立つビルの圧迫感のせいで体感温度が上がる気がするし。


 夏休みなのだから昼間まで眠りこけて、過眠によって生じる頭痛に顔をしかめながらキンキンに冷えた部屋でテレビを見る……という、色んな面で不健康な生活を送りたかった。

 だというのに俺は今、外に出てきていた。


「はぁ……」



 今日に至るまでの経緯を振り返るとすれば、それは昨日の時雨さんの言葉から始めるべきだろう。


『なら今日は帰っていいけど……明日、ボクに付き合うこと』


 そう告げた時雨さんは、昨晩、俺に電話をかけてきた。

 時雨さんはRINEのメッセージのやり取りを好まない。一応繋がってはいるが、基本的に連絡は電話で行うのだ。

 と、そんな時雨さんの情報はさておいて。


『やぁキミ。明日、10時に駅前集合ね。派手過ぎなければ服装はなんでもいいよ。持ち物は……電車賃とお昼代を持ってきて。二千円もあれば充分足りるはずだよ』


 開口一番、時雨さんはそう言った。


「え、……は? ごめん時雨さん。話が呑み込めないんだけど」

『はぁ……しょうがないな。もう一度言うからちゃんとメモするものを――』

「いやいや、そういうことじゃなくて! まずどこに行くの? っていうか、どうして俺なの?」


 質問なんて山ほどあるに決まっている。

 けれど時雨さんは取り合わない。やれやれ、と呆れたような溜息が返ってきた。


『キミが話してくれたらボクも話すよ。どうする?』

「それとこれとは関係ない、でしょ」

『人と人との関係って、そんな風に物事によって切り分けられるものじゃないと思うな。そのこともこのことも、全部ボクとキミとの話だよ』

「……っ」


 時雨さんは本当にずるい。

 無茶苦茶なことを言っているはずなのに、時雨さんが紡いだ言葉には信憑性が織り込まれている。特別製の言葉の織機でも持っているみたいだ。


「分かった。明日10時、多摩川駅でいい?」

『あ、ううん。田園調布の方でお願い』

「……了解。服装は、いわゆる服装自由じゃなくて本当に自由なんだよね?」

『その通り。制服とか、フォーマルな服装で来なくて大丈夫。常識的な服装ならOKだよ。それとも……奇天烈な恰好で来たい?』

「時雨さんは俺のことを何だと思ってるのさ……分かったよ。じゃあ、そういうことで」

『うん』


 かくして俺は。

 よく分からないまま、時雨さんに呼び出されたのであった。



 ――で、現在。

 ちょっとしたお城みたいな旧駅舎の下にて、俺は時雨さんを待っていた。

 時刻は10時ジャスト。

 くふぁ、と欠伸を噛み殺していると、


「おはよう、キミ」


 時雨さんが、そう挨拶をしながら現れた。

 サラサラとした銀髪とチェックのワンピース。それに水色の雨玉模様が入ったトートバッグを合わせた時雨さんは、埒外な綺麗さを誇っていた。


「おはよう。時間ぴったりだね」

「うん。キミはあんなに乗り気じゃなかったから、もっと遅れてくると思ってたよ」

「まさか。そんな無茶なことはしないよ。時雨さんを待たせたら何をされるか分かったもんじゃないし」


 肩を竦めて答えると、時雨さんはムスッとした表情になる。


「その言い方は嫌いだなぁ。それじゃあまるで、ボクが怖い人みたいだよ」

「事実怖い人だよ。時雨さんが本気を出したら、俺なんて一瞬で消されそうだし」

「なにそれ」


 くすっ、と時雨さんが笑う。

 まぁ笑い事じゃないんだけどな。今のはありえない仮定だが、実際に時雨さんはそれだけのスペックがある。生徒会では、他のメンバーの成長とかも計算に入れ、能力をセーブしているはずだ。


 というか、そうじゃなければ一年生の頃から生徒会長になったりできない。その頃は大河のように見習いになれたわけでもなかったし。


 ちなみに。

 この前ちらっと聞いた話だと、時雨さんは中間・期末両方のテストで全教科満点だったらしい。ほんと、あっさりと常人離れしたことをしちゃうんだよなぁ、時雨さん。


 そんな風に時雨さんのハイスペックさに思いを馳せてもキリがないので、早いところ話を変えよう。

 こほん、と咳払いをして俺は言う。


「時雨さん。これからどうするの?」

「とりあえず電車に乗るよ。キミはボクについてきてくれればいいから。さぁ、おいで」

「え、あ、うん……せめてどこに行くのかくらい教えてほしいんだけど」

「それはキミが――」

「ああ、分かったよ! 大人しくついていけばいいんでしょ」


 どうして時雨さんが俺と出かけようとしたのか。

 その理由が分からないほど、俺は馬鹿ではない。

 痛いほどに分かってしまうから、もうやめてくれ、って思うんだ。


『兄さん。言い訳は聞きたくないよ』


 言い訳じゃないんだ。

 そのつもりなんだよ、美緒……っ。


 幾らそう告げても、幻影は咎めるのをやめてくれなかった。



 ◇



「さぁこっち」

「ここって……」


 電車を降りた時雨さんは、迷うことなくグングンと進んでいった。

 降りた駅と、それから道中で見つけた看板を見て、俺は今日の目的地を何となく察する。

 すれ違うのは、俺たちよりも少しだけ年上の人たち。時には髭を蓄えた年配の人や真面目そうなおじさん、頭よさげな女性などもいた。


 やがて目的地に辿り着くと、どっしりと存在感のある建物が俺たちを出迎えた。

 伝統がありそうな雰囲気だが、決して堅苦しくはない。むしろ、少しだけ自由で素敵な感じがした。自由の園、と言うのは少し大袈裟かもしれないけれど。


 ――田々谷大学


 俺たちの高校の母体となる大学だ。

 関東の中では上から数えて三つか四つ目に学力レベルが高い大学だろう。もちろん学力だけで大学は測れないし学歴社会も少しずつ変わり始めてはいるが、この大学に入れば就職面で困ることは少ないと思う。


 と、まぁ俺が二年後には通うことになる大学ということもあって割とヨイショしてみたけれど、基本的には全て本当のことだ。


「時雨さん……どうしてここに?」

「どうしてって……そんなに不思議なことかな。ボクは三年生だよ。来年から通うかもしれない大学を見に来るのは当然じゃない?」

「それは、まぁ」


 言われてみればそうだ。

 とはいえ、うちの学校では皆がみんな大学見学に行くわけではない。成績が過剰に悪い場合を除けば大抵はそのまま繰り上がりで進学するし、わざわざ見に行く必要がないって思う奴もいる。


 だがまぁ、俺が聞きたいのはそういうことはなくて。


「どうして俺を連れてきたのか、聞きたいんだけど。時雨さんは一人の方が自由に回れるって思うタイプじゃない?」

「うーん……確かにそう思わなくもないけど」


 でもね、と時雨さんが髪を耳にかけながら言う。


「今日は私が見たいんじゃなくて、キミに見せたくて来たから」


 その言葉は、まるで麦わら帽子を飛ばしてしまう風みたいだった。


「そもそも、ボク自身は生徒会長として何度も来てるしね。けどキミは一度も来たことないでしょ?」

「……まぁ。まだ二年生だし」


 ぼそりと呟いたその答えだけは、はっきりと嘘だったから。

 時雨さんは嘘を呆気なく看破して、正す。


「まだ未来のことを考える余裕がないから、でしょ」

「――……っ」

「なんて、ごめんね。キミをいじめるつもりはないよ。これはお姉さんとしての単なるお節介。来年は忙しいかもしれないし、今年のうちに来ておいても損はないからさ」


 今度は麦わら帽子を被った少女みたいに笑って、時雨さんは大学に入っていく。

 その背中を見送りながら、もう何年も前のことを思い出していた。

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