第四章『ギムレットには青すぎるⅠ』

4章#01 私が重いみたいじゃないですかー

 散りばめられた空の星々を見て、あれに天の川と名付けたのは誰なんだろう、と考えてみる。

 会いたい二人を分かつ無慈悲な川のくせに、どうして我が物顔でロマンティックな名前を引っ提げてるんだ?


 ただ俺は、織姫みおと会いたいだけなのに。

 三途の川を渡りたいだけなのに。


「――ミ。キミってば!」

「えっ……あ、あぁ。時雨さんか」

「その反応はお姉さん、傷つくよ? 何回も呼び掛けていたのにさ」


 じと、と時雨さんが不服そうな視線を向けてくる。月光に照らされるその白銀の髪は、それこそ空の天の川みたいに、キラキラと輝いて見えていた。

 時雨さんの言葉に、俺は唇を噛む。


「ごめん。ちょっと別のことを考えてて」

「ふぅん……キミがそんな風に何て珍しいね。何かあったのかな」

「……なんにもないよ」


 言えるはずがないから、そう突っ返す。

 だよね、と時雨さんは哀しげに微笑んだ。


「ここ数日、キミはずっとそうだし。何があったのかを話す気がないのは、承知してるよ」

「……っ」


 誰かさんのお決まりの言葉を思い出して、息が詰まる。

 ぐぅぅ、と爪が掌に食い込んで痛い。いっそのこと流血してくれれば、と思うけれど、俺の爪はそこまで長くも鋭くもない。


 こほん、と空気をリセットするように時雨さんが咳払いをした。


「時間も勿体ないし、今日はこの話をやめておくね」

「……今後もするつもりはないけど」

「はいはい、そういう不貞腐れたことを言わないの」


 むすっと怒った時雨さんが俺にデコピンをしてくる。

 ちっとも痛くないのに、その衝撃は頭に広がった。


「とにかく。そろそろ交代だから、キミは休憩にしていいよ。好きに回ってきて」

「えっ……あぁ、そうか」


 大河の看病に行ってから、もう数日が経っていた。

 今日は7月7日、七夕フェス当日。

 生徒会メンバーは俺と大河を含め、交代で相談所兼本部としてうちの学校の出店スペースに常駐することになっていた。


「早くない?」

「むしろ遅いくらいだよ。キミ、もう何時間もここにいるでしょ。ちゃんと交代してる?」

「……してる」


 嘘だった。

 七夕フェスが始まってから既に数時間が経過している。

 初回の持ち回りだった俺は、二番目、三番目に来ることになっていた生徒会メンバーに『大丈夫だから』と告げて、担当を続けさせてもらっていた。


 今回もそうしようと思っていたのだが、どうも相手が時雨さんだとそうはいかないらしい。

 本部の置時計をチラと見遣り、よりにもよってこの時間かよ、と思った。


「ねぇ時雨さん。俺もここにいちゃダメ?」

「さっきの話を続ける気があるのなら、或いは」

「…………分かったよ。ちょっとぶらついてくる」

「よろしい。ちゃんと見てくるといいよ。これも生徒会の仕事」


 時雨さんにぴしゃりと言われ、俺は困ったように笑うしかなかった。

 本当はまだここにいたいけれど、そうもいかない。時雨さんにパイプ椅子を譲り、俺は本部を後にした。


 空を見上げれば、お手本のような七夕の夜が広がっている。

 辺りにはそれなりに人がいて、少し気が早い夏祭りを満喫しているようだった。


「せーんぱいっ」

「うおっ……あぁ、雫か」


 だきっ、と俺の腕に抱きついてきたのは俺の彼女である綾辻雫だった。

 むんにゅりと柔らかな感触が伝わってくるけれど、その感触に情欲を抱く気分ではなかった。

 言動とは対照的に、大人びた雫のロングヘアーがふんありと広がる。夜空みたいだな、と場違いな感想を抱いた。


「雫……来てたのか」

「家の近くでやってるお祭りなんですよ? 来るに決まってるじゃないですか」

「いや決まってはなくね?」

「それは先輩が引きこもりだからですねぇ」

「引きこもりじゃないって言ってるよね?! 理由があるときは外に出るからね?」


 いつものノリでツッコむと、雫はくすくすと笑った。

 その笑みを見て、あぁ気遣ってくれてるんだな、と気付く。

 大河の家に看病に行ってから数日。なるべく普段通りにしようとしていたけれど、雫を誤魔化せはしないらしい。


 まぁ時雨さんに気付かれているくらいだ。一つ屋根の下に暮らしている雫が気付かないわけがないよな、という話ではある。


『ありがとう』の代わりに、俺はにへらっと笑って見せる。


「というか、それを言うなら綾辻はどうしたんだよ。一緒じゃないのか?」

「あー……」


 雫はたははーと気まずそうにはにかんだ。


「お姉ちゃん曰く、『人が多いところに行くのはちょっと無理かな。そもそも七夕って、恋に現を抜かしてすべきことを疎かにした人たちが」

「あ、もういいわ。無駄に理論武装するあたり、本気が窺えるし」

「ですよねー。それなのにちゃっかり、焼きトウモロコシは食べたいって言うんですよ! なら来ればいいのに」

「本当だな」


 雫と二人で、ここにいないもう一人のことを思って笑う。

 綾辻のことだ。人が多いところにいるのが嫌っていうのは本当だろうけど、多分七夕フェスに来なかった理由はそれだけじゃない。


 じゃあ、と俺は口を開く。


「俺も休憩に入ったし、適当に見て回るか。ついでに焼きトウモロコシでも買おう」

「はいっ!」


 俺と雫は恋人だから。

 これは夏祭りじゃないけれど、それっぽく楽しむべきだろう。


 ちくりと胸を刺す誰かさんの言葉は無視をして。

 俺はいつも通り雫と手を繋いで歩き出した。


「ねぇ先輩。なんか、意外と夏祭り感ないですよね」

「んー、まぁな。夏祭りは別にやるし、地域のイベントってニュアンスが強いんだよ。もちろん縁日っぽい出店はちょいちょいあるけどな」


 と言いつつ、俺は出店の方に目を向けた。

 一応お好み焼きや焼きそば、かき氷といった食べ物は売っている。だがその数は少なめだ。メインはうちのような地域の学校や商店街のお店の出張店舗、その他自治会が用意したレクリエーションコーナーがある程度。


 昔は、とても大きなお祭りだと思っていた。

 どこまで行っても終わりがないくらい長くて煌びやかなお祭りだ、と。

 今そう思えないのは、体が大きくなったからか、それとも他に理由があるのか。

 それ以上考えるのはやめて、雫と七夕フェスをぶらつく。


 帰省したら、どうせあっちで夏祭りには行くわけで。

 この場はこの場でしか楽しめないことを、という話になり、夏祭りっぽくないヘンテコなレクリエーションを楽しんだ。

 つーか機織り体験ってなんだよ。普通に楽しくて、地域のお祭りって次元じゃなかったぞ。


 そうしてしばらく経った頃、客の流れがある一点に向かい始めた。


「皆あっちいってますね。えっとあっちは……」

「ステージだな。この時間だと……あぁ、なるほど。うちの演劇部の番らしい」

「へぇ、いいですね! 見に行きましょうよ」


 ぐいぐい、と雫が服の裾を引っ張る。

 たまに思うけど、雫ってそうやって俺を引っ張るの好きだよな。地味に甘えるような目がズルいから遠慮していただきたい。

 と、そんなくだらないことを考えて、余計なことから思考を逸らした。


「そうだな。今から行って間に合うかは分からんけど……行ってみるか」

「見えなかったら高い高いしてくださいね?」

「しねぇよ。首がぶっ壊れる」

「むぅ。それだと私が重いみたいじゃないですかー」

「嘘みたいに軽いのは知ってるから、むしろ雫はもうちょい食え。ちょっと肉がついてる方が好きな奴だっているんだぞ」

「……先輩がそうなら、考えときます。さぁ、行きましょ」


 差し伸べられた手を取って、指を絡める。決して離さないように。

 雫が一瞬、顔を歪めた。理由は分かる。たぶん俺が強く握り過ぎているのだ。それでも、雫は文句を言わない。むしろ今のままがいいと言わんばかりに微笑んで見せてくれる。


 じじじじじ、ノイズが走っている。

 もう雫に美緒を重ねるのは無理だ、と脳が訴えている。


 それでも俺は――。

 雫と手を繋ぎながら美緒のことを想うのだった。

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