クーデレなセフレと小悪魔な後輩が義妹になったので距離を置きたい。

3章#18 相合傘する？

　ＳＩＤＥ：澪

　最近、分かるようになってきたことが幾つもある。

　たとえば髪のケアの仕方。

　今までもやってなかったわけじゃないけれど。むしろ彼とす（・）る（・）ときにはなるべく艶やかになるよう神経をすり減らしたけれど。

　でも普通の女の子がやっているやり方をちゃんと調べたのは、ここ最近のことだ。

　髪を伸ばし始めた理由は特にない……なんていうのは嘘で。

　最初は彼に、美緒ちゃんの成長を実感させてあげたい、という思いがあった。身長や他の体の部位は……大変不服ながらこれ以上成長する気配がないし。せめて髪くらいは、と綾辻澪として思っていた。

　雫が彼の公認の彼女になってからは、その考えが少しだけ変わった。

　雫が髪を下ろしたときのように、私もロングヘアーになったなら……そのとき、雫の代わりにさえなれるんじゃないか、と思ったのだ。秘密の彼女と公認の彼女。どちらの美緒ちゃんも私ができたなら……それはとても、魅力的な未来だと思う。

　他にも分かったことはある。

　たとえば、そう。彼が大切にし始めているもう一人の女の子のこととか。

　名前は入江大河というらしい。雫の友達である彼女は、細かい経緯は知らないけれど、彼に対して厳しくしているのは見たことがある。

　私とも雫とも違う意味で。けど本質的には同じ意味で。

　彼はあの子のことも大切に思っている。だって、あんなに真っ直ぐな目をした子は見たことがないから。

　類は友を呼ぶ、とでも言うのだろうか。あの子もまた、彼に惹かれる側の女だったわけだ。

　だからこそ、と私は思う。

　私はもっと深く美緒ちゃんになりたいと思う。彼が求めるのは美緒ちゃんであって、綾辻澪（わたし）ではないから。

「うん、いい感じ」

　スマホで確認した自分の姿は、普段の私とは違う雰囲気がある。

　眼鏡をつけて、髪型を少しだけ弄って。スカート丈を長めにして、リボンをいつもよりちゃんと締める。

　夏服にそろそろ変わるという時期にこの恰好をするのは少し暑苦しいけれど、それくらいは我慢だ。

「あとは……ふぅ」

　最近分かったこと。

　一番大きいものは、こうやって色んな自分になり替わるのが私の特技かもしれない、ということだった。

　百瀬美緒。

　私はもっと、彼女について知るべきなのだと思う。けれど、今はそのための知識が足りない。足りない知識を補うために、私は設定を作り上げる。

　文学少女、百瀬美緒。

　ありえたかもしれない未来を私は演じた。

　◇

　ＳＩＤＥ：友斗

「お待たせ」

　玄関で待っていると、程なく美緒がやってきた。

　但しその姿はいつもの澪と違う。眼鏡を貸してと言われた時点で変装するのかなとは薄っすら思っていたが、思っていたよりきっちり変装している。

　いつもなら時たま見えるであろう膝小僧も、今はスカート丈に隠れていた。

　今の美緒はどこか文学少女然としている。やや如月っぽいか……？　いや、如月の方が身長とか色々と大きい――

「なんか今、失礼なことを考えられている気がする」

「……別にそんなことはないぞ？　俺はどっち派ってことはないし」

「変態」

「…………もうしません」

　妹の発育に思いを馳せるのも兄としては普通のように思えるが、やめろと言われた以上はやめるほかない。メドゥーサかよって思うくらい目が怖いし。

「よろしい。じゃあ行こうか」

　美緒は賢ぶって眼鏡の位置をくいっと戻す。口元だけに見え隠れする僅かなドヤ顔が可愛らしかった。

「そうだな。変に長居して、知り合いに見られても困るし」

「……確かに。コスプレみたいなものだし」

　眉間に皴を寄せた美緒。

　だな、と苦笑してから俺は靴を履き替えて玄関を出た。

　外はやっぱり土砂降りだ。傘を差してもきっと濡れてしまうから、いっそのこと傘をさすのをやめてしまいたい。そんな風に思ってしまうほどの雨。

「梅雨だね」

「傘は……あるか」

「相合傘をするつもりはないよ。そんなの、濡れるだけだし」

「そっ、か」

　ばさっ、と澪が傘を開く。

　黒猫みたいなシックな傘は美緒によく似合っていた。もちろんサイズも含めて。

　小さな美緒がすっぽり収まるサイズの傘に俺が入ったら、きっとびしょ濡れだ。相合傘をするなんて、流石に馬鹿馬鹿しい。

　さあ兄さんも、と振り返った美緒が視線で呼びかけてくる。

　見返り美人、と古人は言ったらしい。ああ奇麗だ、と心から思った。いっそのことこの光景を凍らせて、保存できてしまえたらいいのに。

　苦笑い交じりに、俺も傘を差す。

　二つの傘の半径の分だけ離れるから、さっきまでより美緒との距離は遠い。

　傘を叩く雨音はうるさくて、声だって届きにくい。

　けどこの距離感は嫌じゃない。

　顔を見合わせてから、俺たちは歩を進めた。

「梅雨と言えばさ」

「うん」

「誕生日ってそろそろだよな」

「あぁ、うん」

「具体的な日付、教えてくれよ。ＲＩＮＥにも登録してないだろ」

　ＲＩＮＥのプロフィール欄で誕生日を公開するかどうかは各自設定できる。俺や俺の周りの奴は大抵が公開しているけれど、彼女は非公開だった。

　あるいは、そもそも設定していないのかもしれないけど。

「……兄さんは私の誕生日、興味あるの？」

　美緒が尋ねてくる。それもそうだろう。綾辻の誕生日を聞くのはおかしい。あの子の誕生日は１２月２５日。綾辻を美緒と見做すなら、彼女自身の誕生日なんてどうでもいいはずだ。

　というか、そうに決まっている。

　なのに……。俺はふるふるとかぶりを振り、質問を変えた。

「美緒は綾辻の誕生日、知ってるか？　雫と誕生日プレゼントを買うついでにデートに行こうと思ってるんだよ」

　ん、と雨に消えそうな声を漏らすと、彼女は答えてくれた。

「６月の２８日じゃないかな」

「なるほど」

　あと二週間ちょい先の土曜日。

　ちょうど俺と一か月くらいの差らしい。俺は綾辻についての会話を美緒と続ける。

「綾辻、何が欲しいとか言ってたか？」

「……すぐにそうやって聞くのは本当によくないと思うよ」

「あくまで参考だからいいんだよ。大体、まったく要らないものとか、既に買っちゃったものとかを貰っても嬉しくないだろ？」

「どうだろ。くれる相手によっては、そうでもないんじゃないかな。兄さんからなら……」

　意味ありげに言う美緒がどんな顔をしているのか、この状況じゃ分からない。

　ざーざー、ざーざー。

　降り注ぐ雨が、漢字じゃなくてひらがなのような気がした。

「それに、どうせあの子に相談するんでしょ？　綾辻さんの妹さん。だったら、私の意見は要らないんじゃないかな」

「そうでもないぞ。美緒はセンスがいいからな。この前も、ヘアミスト選んでくれたし」

「あのときは……あのときだよ」

　ぐぅぅん、と低い駆動音が通り過ぎる。

　アスファルトにできたまぁるい水溜まりを蹴り上げたタイヤのせいで、ぱしゃっと水が飛んでくる。

　ちょっとだけ、服が濡れた。

　なんだか勝手に咎められた気分になる。

「けどそうだなぁ……考えとくよ。兄さんが彼女のお姉さんと険悪になったら困るしね」

「だろ？　だから考えといてくれ」

「うん」

　雫との関係を円満に維持するためには、バランス感覚と情報が必要だ。生徒会が忙しい分、雫と恋人として過ごす時間を長めにとる必要がある。

　だから俺は……利用するために、綾辻の誕生日を尋ねた。

　そのはずだ。

　それ以外に理由はない……だろ？

　ざあざあ、ざあざあ、ひらがなの雨が降っていた。

　傘とアスファルトを叩く雨。後者はスラックスを濡らし、梅雨という季節を知らしめようとしてくる。

　梅雨がやってくれば、必然的に春が終わりを告げる。

　美緒がいなくなった春が去り、新たな季節に向かうのだ。

　この前のカラオケで美緒が歌った、聞き馴染みのあるＪ－ＰＯＰを思い出す。１０年後の夏に再会を使えたなら、きっとハッピーエンドだったのだろう。

　でもそれ以前の話で、それ以下の過去で、それ以外の問題だった。

「なあ美緒」

「なに、兄さん？」

「ずっとそこにいてくれよ。雨なんかで、流れないでくれよ」

「……なにそれ。不安なら、相合傘する？」

「…………いや、いい。いてくれるならそれでいいんだ」

「そっか。大丈夫だよ、私はずっとここにいる。兄さんの傍から離れたりしないから」

　淡い口づけの記憶が、雨粒みたいに零れる。

　綾辻からブレかけていた美緒の残像を、俺は無理やりに修正した。