3章#09 可愛いなぁって思ってさ

 SIDE:友斗


「先輩、今日からは一緒に登校できますね!」


 と雫が言ったのは、朝食の最中のことである。唐突だったので目玉焼きの黄身をうっかり潰してしまい、お皿に黄色い湖ができた。


「一緒に登校、か」


 パンを千切って黄身を拭いながら、俺は逡巡して呟く。

 たっぷり卵がしみ込んだパンを一切れ飲み込むと、雫がすっと俺の隣にきた。ちょこんと甘えるように俺の制服の裾を掴むと、


「ダメ、ですかぁ……?」


 とフレンチトーストみたいな甘さで言った。

 計算された上目遣い、明らかに作られたふわっふわな声。これは絶対事前に準備していた作戦だ、と悟った。

 いやまぁ、それを言ったら俺も雫と似たようなことを考えてはいたんだけどな。


 雫が俺の彼女であることは周知の事実。俺に隠すつもりはないし、むしろ公言していくつもりだ。

 誰が相手でもいいわけじゃない。美緒がそうだったように、雫も俺にとって守るべき存在だからこそ、俺は雫を美緒に重ねられている。


 綾辻をチラと見遣ると、微笑ましげな視線が返ってきた。

 雫の姉としても異論はないらしい。


「そういうわけじゃねぇよ。急だったから驚いただけだ」

「むー。そう思うなら先輩から言ってくださいよ。私だって自分から言うの、結構迷ったんですからねっ」

「はいはい。悪かったな」


 あざとさにはあざとさで返してやろう、と雫の頭に手を伸ばした。

 髪型を崩さないように撫でると、雫の肩がびくんと跳ねる。


「はうっ……な、なんなんですか急に。頭なんか、うぅぅ……撫でて……」

「あ、いや。たまには仕返しをって思ったんだが……」


 そう言う声が尻すぼみになっていくのは、雫の目尻にじゅんわりと浮かぶ水滴のせいだった。

 端的に言えば、えっと……『泣ーかした、泣ーかした! せーんせいに言ってやろ~』的な事案が発生していた。


「わ、悪い。涙目になるほど嫌だとは思わなくて……ほら、今日はツインテールじゃないからいつもよりは髪型を崩さずに済むしさ。それで調子に乗ったんだよ……すまん」

「べ、別にっ! 泣いたりなんかしてないんですからね! 勘違いしないでください!」

「それはツンデレなのか? いや泣いたりしてない方が俺的には助かるんだけど――って、タンマ。待つんだ綾辻。フォークを投げようとするな! 暴力ヒロインは古典的すぎて廃れてる!」

「雫を泣かせたらギルティー」

「泣いてないってばぁ! お姉ちゃんは分かっててからかってるでしょー!」


 ばたばたと椅子を揺らして雫が抗議する。

 フォークを置いた綾辻は、クツクツと楽しそうに笑った。


「ごめんごめん。可愛いなぁって思ってさ」


 椅子の上で拗ねて体育座りをする雫。

 ……その位置だとマジで見えるからやめてね?

 目のやり場に困って綾辻の方を向くと、あのね、と彼女が口を開く。


「雫は頭を撫でられて嬉しくて、気持ちよくて、照れてるんだよ」

「……そんなギャルゲーヒロインみたいなことをあの雫が?」

「百瀬が雫に対してどんな印象を抱いてるのか姉として非常に気になるんだけど……それは置いておくとして。現実の女の子だって、好きな人に頭を触られたら心地よくなるものだよ」


 言われて、はたと気付く。

 そういえば綾辻も頭を撫でると感度がよくなっていた。そういう性的な面を除いても、頭を撫でられる充足感は共通しているものなのだろう。


「そ、それに……さっきから全然言ってくれなかった髪型のことも言ってもらえたので……まぁ、褒められてはなかったですけど」

「あぁもう、ほんとごめんなさい!」

「別にいいですけど」


 膝に顔を埋めながら雫がぼしょぼしょと零した。

 マジで雫の言う通り。

 彼氏として、せめて髪型を変えたら褒めるくらいはしないとだよな。昨日、髪型変えるかもって話をしてたくらいなんだし。


 こほん、と咳払いをしてから俺は――


「今言うのはズルいし、続きは二人で登校してるときにしなよ」

「「…………」」


 おそらく雫と俺の沈黙に込められた意味は違うけれども。

 綾辻が姉であることを実感したという点では、俺たちカップルは息が合っているんじゃないだろうか。


「えっと……まぁ、じゃあそういうことで」

「は、はい。ちゃんと一緒に行きましょうね……!」

「分かったよ、雫」


 シュワっと炭酸みたいな刺激があって。

 やっぱり雫はすごいな、と思った。



 ◇



 ちく、ちく、ぱっこん。

 とことこ、ちく、ちく。


 周囲の視線と足音が、綯い交ぜになって聞こえている気がする。どうやらまだ梅雨はやってきていないようで、空はすかんぴぃに晴れていた。

 俺たちの家から学校までは、さほど距離がない。

 

 そうなると少し歩くだけで通学している他の奴らと出会うわけで。

 『可愛い子ランキング』で3位だった雫と俺が歩いているんだから、そりゃ目立つよなぁ、という話だ。加えて、先日の体育祭の件。全校生徒での公開キスもかなり鮮烈だったわけだから、目立たない方がおかしい。


 俺たちはあの出来事を以て、ほぼ全校生徒公認のカップルと相成った。

 おかげで周囲に嫉妬されるというカップルらしい体験ができている。


「先輩? ねぇ、先輩ってば」

「んっ……悪い、ちょっと意識が飛んでた。なんだ?」

「なんだ、じゃないですよっ! さっき話してたこと、もう忘れちゃったんですか?」


 もう、と言って雫が拗ねた表情でこちらを覗き込んでくる。

 ふあり。雫の腰のあたりまで伸びた黒髪が、お淑やかに揺れた。シャンプーの匂いは、たんぽぽの綿毛みたいに柔らかく鼻孔をくすぐる。


「えっと……だな、あー……」

「えっ、マジで忘れてるパターンですか? だとしたら私、先輩にお説教しなくちゃいけないんですけど」

「声冷たっ……いや、安心してくれ。ちゃんと覚えてるから」


 ついさっき交わした会話を忘れるほど、俺は馬鹿じゃない。

 ただいつ言おうかタイミングを探っていただけだ。


 雫は今日、髪型を変えた。いつものツインテールをやめて、ストレートヘアーにするらしい。長さはともかく、ヘアスタイルだけで言えば綾辻とお揃いになったわけだ。

 何故変えたのかは分からない。切ったわけでもないからいつでもツインテールに戻せるし、特別な理由なんてないのかもしれないけれど。


 ともあれ、彼女の変化を褒めるのは彼氏の特権であり義務だ。

 俺はじぃと雫を見つめ、さて何というべきか、と逡巡する。


「先輩……?」


 赤信号によって歩みが止まると、雫はチワワのように潤んだ目でこちらを見てきた。俺はその視線に応えるように、ふっ、と優しく微笑みながら雫の髪を一束摘まむ。


「せ、先輩!?」

「その髪型も、似合ってるな。なんか大人っぽくていつもの雫じゃないみたいだ」

「~~っ! あ、あの……どっちが、好きですか?」

「どっちって言われてもな。可愛いのと綺麗なの、方向性が違うから何とも言えない。新しい魅力を見た気分だよ」

「そ、そうですか」


 おまけに、摘まんだ雫の髪にキスをする。見せつけるような行為。公道でこんなことをしている自分に呆れるけれど、これでいいんだと思う。


 雫の視線が、ふらっと迷子になる。

 あざとさなんて感じる余地がないくらいに可愛い笑顔を零すと、ぷいっ、と顔を逸らしてしまった。


 そんな雫を横目に、ふと思う。

 やっぱり雫と綾辻って似てないよな、と。


 もともと、俺は二人の苗字が同じだと知っていたくせに姉妹じゃない、と思っていたのだ。二人の小・中学校がバラバラだったことも理由の一つだけれど、一番は二人が本当に似ていないからだ。

 それこそ、美緒と綾辻が姉妹だと言われた方が納得できてしまうくらいに。


 ま、だからなんだという話だけれど。


「も、もうちょっとそういうことは早く言ってくださいねっ。じゃないと次は即お説教なんですから」

「そうだな。今後は気を付けるよ」

「今回は……軽い罰を与えるだけで許してあげます」


 そっぽを向いたまま、雫が片手を差し出してくる。

 その手は少し不安げに揺れていた。真っ直ぐにただ進むだけじゃない、けど真っ直ぐ進んでいるように虚勢を張る。そんなところが雫らしいように思えて、俺は自然と微笑んでいた。


「そっか。じゃあ……これで許してくださいますか、お姫様?」

「~~っ! そういう気障なのは先輩に似合わないのでやめてください!」

「それにしては顔が赤――痛っ! ちょ、雫! この握り方で指先に力を入れるのはマジで痛いからっ」

「べーっ、です」


 空いている方の手であっかんべーをしているくせに、もう片方の手はぎゅっと離さないように手を握っていて。

 しかもその握り方は、俺たちの関係の名を冠する方の握り方で。


 




 ――ちなみに。


「うわっ、手を繋ぎやがった!」

「チッ。たんすの角に小指ぶつければいいのに」

「水筒落としてやりてぇ」

「サッカーのとき、覚えとけよ……」


 と、どこからか聞こえてきたりした。

 ぜひともさっさと汗を流して、邪念を振り払っていただきたい。あと体育のときはマジで気を付けることにした。今はサッカーやってないけどな。

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