2章#19 俺は妹が大好きだからさ

 SIDE:友斗


「んっ……」


 不鮮明な感覚がぎゅっと体に戻っていくような錯覚を受ける。

 目が覚めたんだな、と気付いた。

 瞼を開けば、窓から朝陽が差し込んでくる。俺の胸の中には、もう美緒の温もりはなかった。


「ふわぁぁぁ」


 欠伸をしながら上体を起こす。

 隣を見遣ると、美緒は自分の布団で眠っていた。先に起きて、戻ってからもう一度寝なおしたのだろう。

 ほっ、と安堵していると、おはよう、と声を掛けられた。


「起きたんだな」

「あっ……父さん。そっちこそ、早起きじゃん」

「そりゃな。こう見えて、体の中に正確な時計を入れてるんだぞ」

「ふっ、知ってる。その時計が狂ってることも含めて」


 父さんは窓際の座椅子に腰かけていた。

 まだ眠っている他三人に配慮してか、その声は小さい。片手に持っているミルクコーヒーを呷ってから、にかっと破顔した。

 時計を確認すると、時刻は朝5時。

 旅先での起床にはかなり早いように思うが、二度寝をする気分でもない。父さんの向かいに腰をかけ、ふいーっと力を抜いた。


「なんか、父さんと二人きりになるのも久しぶりじゃん」

「仕事ばっかりですまんな。俺も、美琴も」

「ほんとだよ。思春期三人を同居させるとか、大人としてアレだからな?」

「おっ? そんなこと言うってことは、一回くらいラキスケでもあったか?」

「ねぇよ。ってか義理の娘がラッキースケベされるのを嬉々として語んな」

「嬉々なんかじゃないぞ? むしろ友斗が命の危機に瀕するところだった。義父からの制裁で」

「それはそれで溺愛しすぎだろ……実の息子のことも大切に思えって」


 義理の家族を起こさぬようにコソコソと。

 血の繋がった父と子がクスクス笑いあう。悪友って言った方がしっくりくるかもしれないノリだけど。


 もう一呷りすると、コーヒー缶は空になってしまったらしい。

 フルフルと中身を確かめるように耳元で振ると、父さんは渋い顔をした。


「なぁ友斗。じゃんけんしないか?」

「息子とパシリをかけてじゃんけんしようとすんな」

「バレるの早いなぁ……流石は我が息子」

「急に『流石は』とか威厳ぶられても。昨日からデレデレしまくりで威厳死んでるからね?」

「だからあんな冷たい目で見てきてたのか……ぐすん」


 おっさんの嘘泣きはスルーの方向で。

 ぐるりと首を回し、朝日をすぅっと一身に浴びる。ひゅぅと気まぐれみたいな風が入ってきて、それだけで気分が澄んでいく。

 座椅子の背もたれに身を委ねて正面を向きなおした。


「なぁ友斗。言いたいことがあるんだけど、いいか?」

「なんだよ。いい気分に浸らせてほしいんだけど」

「謝りたくて。いや本当はもっと早く……ずっと早く言うべきだったんだろうけど」

「っ……」


 どうして今?

 そんな疑問ふっと湧く。

 再婚に際して、父さんが俺に色んな思いを抱いているだろうとは思っていた。だからこそ父さんに対して明るく振舞ったし、父さんもそういう俺の気持ちを汲んでくれたはずだ。


 謝ることも、謝られることも、等しく俺と父さんにとって苦しいことだから。

 その話は互いにしない。それが暗黙の了解だったのに。


「別に謝られることなんかないんだけど? 義母さんは面白い人だし、美少女二人と家族になれたわけだし。俺の今の状況を知ったら、学校の奴らは嫉妬しまくるはずだぞ」

「そうだけどな……気付かなかったんだよ、今日まで。旅先でリラックスした顔を見るまで」

「――っ……何のことか、分からないな」


 嘘だ。分かってる。

 だって父さんは、俺の次に美緒に囚われているから。

 死んだ美緒のその先を、『もし生きていたら』を考えてしまう人だから。


 綾辻が美緒に似ているって気付いたんだ、父さんは。

 後ろめたそうに唇を噛んだ父さんは、空のコーヒー缶を丸テーブルに置いた。


「澪ちゃんには話してないのか?」

「何のことか分からないって言ってる」

「……二人で寝てるの、見たんだよ」

「…………そっ、か」


 ああ、そういうことか。

 コーヒーを飲んだみたいに口の中が苦くなる。

 見られていた、らしい。俺たちが兄妹であった瞬間を。

 けれども……。


「いいんだ。美緒と似ている澪ちゃんに惹かれることは、不思議なことじゃない。友斗は美緒のこと、大切に想ってたしな」


 父さんのその言葉で、父さんが俺とは違ってまともなのだと気付かされた。

 なんだ、と落胆している自分さえいた。

 本来ならホッとすべきなのに。俺と美緒の関係に気付かれなかったことに安堵すべきで、加えてとんでもない誤解をされていることにちょっと慌てる場面なのに。

 腹の中でぐつぐつと存在感を主張するのは、醜い感情たちだった。


「元々、美琴と話していたことだ。思春期の三人を同居させる以上、こういうことだってあるかもしれない。そのときには祝福しよう、って。義理の兄妹とはいえ、恋人になるためには色々と躊躇ってしまうから、親として応援してあげよう、って」

「ああ」

「ただな、三人の親として頼みたいんだ。俺も美琴も仕事にかまけて子供のことを気遣えない親失格だからさ。三人が二人とにならないようにしてほしいって」

「……あぁ」


 言いたいことは分かる。

 父さんの言葉は、かっこいいなって思う。

 俺はさ、一度も父さんを親失格だなんて思ったことはないんだ。傍からすればネグレクトだって言われるかもしれないけど、そんなことはなかった。


 でも……でも――ッ。


「何のことかはまださっぱり分からないけど……心には留めとくよ。俺は妹が大好きだからさ」


 どうしようもなく歯がゆくて。

 俺にできるのは、そんな風に作り笑いをすることだけだった。



 ◇



 静かな駆動音。

 すぅすぅと不規則な寝息。

 肩に感じる重み。


 そういう色んなものに、ああ帰りなんだな、と認識させられる。


 朝食を摂り、女性陣三人は朝風呂に入り、俺たちは帰途についていた。

 温泉の後の車内は相当に気持ちよかったらしく、雫も綾辻も義母さんも眠っている。行きとは異なり、今は父さんが運転手だ。


「気持ちよさそうに寝てるな」

「ほんとそれ。俺と父さんがいなきゃ、最高の萌えシーンになってた」


 でも俺と父さんがいる。

 今の百瀬家は五人だ。

 五人での家族旅行を終えて、俺は黄昏るように車窓の外を眺めていた。


 行きと違うのは運転手だけじゃない。席順も変わった。

 雫を挟んで、綾辻と俺が窓際に座っている。誰が決めるでもなく、自然とそうなった。


「せん、ぱい……えへへ」


 ズルいくらい可愛いな、雫は。

 頭を俺の肩に乗せて、まるで耳元で囁くみたいに寝言を言われたら、ドキッとせざるを得ない。それなのに動揺して変な声を出そうものなら起こしちゃうかもしれないから、こっちは反応すらできないときた。

 ズルいよな、と心底思う。

 まぁ雫に言ったら『女の子はズルい生き物なんですよ』とか言いそうだけど。


「家族旅行、楽しかった。ありがとな、父さん」

「……それならよかった」


 雫の方を向けばきっと、色んなものに気を取られてしまう。

 色のいい唇とか、長い睫毛とか、大きな胸とか、ほんの少しはだけたスカートとか。


 雫と付き合ったら、誰かに秘密にする必要はない。

 二番目だけど、オフィシャルな彼女。

 周囲の祝福や嫉妬を受けて、誰に隠すでもなく、彼氏彼女として振る舞える。


 俺にだって、そういうことをしたい、という欲求はある。

 だったら俺は……。


 無垢そのものみたいな雫と初恋めいた美緒の寝顔から目を背けて、俺を置き去りにしていく街並みを見送った。

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