1章#29 罪作りなあなた

 SIDE:雫


 私はとても頑張り屋さんだと思う。

 そんなことを自分で言うと、大抵の場合は笑われちゃうけど。努力を主張するのはかっこ悪くて、褒めてもらうことを期待する努力は間違っている。そう、顔も知らない誰かさんが決めたせいで。


 頑張ったなら褒めてほしい。

 頑張らなくても褒めてほしいんだけど。息をしてるだけで、朝起きられるだけで褒めてくれてもウェルカムなんだけど。

 でもやっぱり、一番は頑張ったときに褒めてほしい。褒めてほしいから、私は頑張る。


 中学校の頃からだ、

 私は、あざとい、とよく言われるようになった。自分の思う可愛いを追及していただけなのに、それが周りに媚びを売っているように見えたらしい。

 ムカっとしたのは、媚びを売っていると思われたことじゃない。可愛いと見られたくて努力をしているだけなのに、それが悪いことのように言われてしまうことにイライラしたのだった。


 今の私は、私が作った鎧のようなものだ。

 自分を守り、誰かを守れるくらいに強く在りたい。そう思って努力して作り上げた武器であり、防具。武士たる者、自分の武器や防具には誇りを持つし、愛着だって抱くでしょ? だから私は、努力をして作った今の私が大好きだし、『作ること』を誹られることが嫌いなのだ。


「まぁ先輩に雑に扱われるのは好きなんだし、矛盾だらけだけどねー」


 鏡を見ながら私は呟く。

 日曜日。

 今日の私は、いつもよりも更に可愛い。

 何となく雰囲気を変えたくて、ツインテールからポニーテールにしてみた。これが意外と似合っているっぽい。尻尾の長い黒猫みたい。


「えへへ」


 きっと先輩は不器用に褒めてくれるんだろうな、と思う。

 私が褒め言葉を求めたら呆れたように笑って、甘えたら雑にツッコむかスルーする。でも私が本当のほんと、本気でドキッとしてほしいときには必ず顔を赤くしてくれる。


 愛おしくてたまらない。

 最初は、むしろ大嫌いだったのにな。

 ニマニマとしている鏡の向こうに手を伸ばしながら、私はふとあの頃のことを思い出す――。



 ◇



 小学校の頃。

 私は、自分でもドン引きしちゃうくらいに引っ込み思案だった。

 それには、色んな理由がある。

 お母さんもお父さんも仕事で忙しくしていて、無性に寂しかったから。

 お姉ちゃんは器用で、周りの人と上手くやれていたから。

 あと、元来の気質だったから、というのも否定できない。


 とにかくそういう理由で、あまり人と話すのは好きじゃなかった。上手く話せないし、それくらいなら本を読んでいる方が楽しかったのだ。今は家と先輩の前くらいでしか本が好きって話もしないし、結構意外に思われちゃうかも。


 特に男子が苦手だったのは、小学生特有の無遠慮さが理由。

 何かあるとすぐにからかってくる幼稚さや乱暴さが、大人びていたお姉ちゃんと対照的に映った。

 そんなとっても生意気な私は、小学四年生になる頃にはかなり面倒な子に成長してしまっていたと思う。


 教室で一人、つーんって本を読んで、話しかけても冷たい反応。

 あー、今思い出すとちょっと恥ずかしい。せっかく話しかけてくれてるのに冷たくあしらうとか人としてどうなの? 寂しいって思ってるくせに!!


 ……こほん、黒歴史すぎて荒ぶっちゃった。

 気を取り直して。


 四年生も夏に差し掛かった頃。

 私はいつも通り校庭の隅っこで本を読んでいた。というのも、当時小学校では、休み時間に必ず校庭に出なきゃいけないとかいう謎ルールがあったのだ。

 たぶん皆と遊びなさいって意味だったんだけど、私はガン無視して、先生たちの目の届かない隅っこも隅っこ、物陰の涼しいところで本を読んでいた。


「なーにやってんの」

「きゃっ」


 その人は突然声をかけてきた。

 びっくりして、変な声が出てしまう。不味い、と顔をしかめたその子は、手を合わせて謝ってくる。


「ごめんごめん。急に話しかけるのはよくなかったよね」

「……別に。ここは私がいるからあっちいって」

「あちゃー、超怒ってるじゃん。ごめんって」


 違う。

 急に話しかけたことにも怒ってるけど、それ以前に、そうやってがつがつ近づいてくるのが嫌なんだ。

 一言言ってやろうと思って本から視線を上げると、思っていたよりもずっとガタイのいい男の子がいた。


 ほんのり焼けた肌、私よりも二回りくらい大きい体、どうしようもない威圧感。

 嫌いだ、と心から思った。

 だってすっごく怖かったんだもん、しょうがない。男性恐怖症というか、男子恐怖症だったし。


 あっちいって。

 そう改めて強く言おうとしたのに声が出なかった。ふるふると唇が震える。

 そんな私を見て、その男の子はくしゃっと笑った。


「怖がらせちゃったか。ごめん、出直すよ」


 あっさりとその子は去っていく。

 言い残した言葉はとても優しく聞こえたから、私は膝に顔をうずめた。


 なんだったの、あの子。

 出直すってなに?

 その疑問の答えは――翌日、あちらからやってきた。



「今日も本を読んでるんだ」


 休み時間、昨日の男の子はそう言った。

 心がささくれ立つ。

 あっち行って。

 今日こそは言おうと思って見上げた私は――不覚にも、くすっと笑ってしまった。


「こんにちわんっ。僕は百瀬友斗だわん。よろしくだわん」


 だって、昨日あれだけ怖かった男の子が犬のぬいぐるみを抱いていたのだ。

 顔の前でふよふとを動かしているのが、なんだかおかしかった。

 あとは、なんだろう。声変わりが始まってるっぽいのに高い声を出そうとしているのも変だった。掠れてて、つい笑いが込み上げてくる。


「あっち行って」


 怖さがなくなったから、私は笑顔で言った。



 翌日、図書室で。

 翌々日、教室で。

 翌週、校庭で――。



 その男の子は、毎日のように私のところに訪れた。

 隠れる場所を探しても必ず見つけてしまう。保健室に逃げる道もあったのに、次第にその選択肢は頭から消えていった。

 心配させちゃうかも、と不安になったのだ。

 その結果、休み時間は読書よりかくれんぼに頭を使う時間の方が多くなった。

 たった30分の休み時間。

 最初の10分で見つけられると、なんだか悔しくなる。

 真ん中の10分で見つけられたら、ちょっぴり満足。

 でも最後の10分まで見つけてもらえないのは不安とムカムカでお腹がずーんってする。


 夏休みがやってくる頃には、その男の子は最初の10分で私を見つけるようになった。

 見つかっちゃった後は、男の子と話をする。私は本に目を落としたままだけど、ページはちっとも進んでいない。


「君って本が好きなの?」

「ん……いいじゃん、好きでも」

「悪いとは言ってないって。俺も本読むの好きだしさ」

「嘘。そう言って距離を縮めてこようとするだけだもん。そーいうの、であいもくてきって言うんだよ」

「知識の偏りが凄いね……」


 本を読んで得た知識だから、何故か私は誇って言った。

 今から考えると誇ることでもないけどね。



 私の言葉が間違いだと証明するためなのか、次の日からその子は私の隣で本を読み始めた。

 表紙を見て、私はぎょっとする。漫画やアニメみたいな表紙だ。漫画を持ってくるのは禁止だった。


「漫画、持って来ちゃダメなんだよ」

「ん? あー、これか。違う違う、これはライトノベルって言うんだよ。ちゃんと文字ばっかり」

「……ほんとだ」


 そういえばお母さんも似たような本を持っていたっけ、と思い出す。

 漫画とかアニメとかゲームとか、家にはそういうものがいっぱいあった。

 でもえっちに見えるものも多かったので、私は図書室の本ばかりを読んでいる。


「おもしろい?」

「面白いよ! 読んでみたい?」

「……ちょっとだけ」

「じゃあ貸してあげる。今度持ってくるよ!」


 にかっと笑う顔はかっこよくて。

 一瞬そう思ってしまったことが、とっても恥ずかしくなった。



 次の日から、彼は私に色んなものを貸してくれた。

 小学生でも読み易いようなラノベから始まり、冬休みには漫画やゲームまで貸してくれた。流石にゲームは気が引けたけど、本を読むようなゲームだと言われてしまい、興味の方が勝った。


 ラノベや漫画、ゲームに登場するキャラは、どこか現実離れしていた。

 変な語尾や喋り方をしたり、おかしな行動をとったりする。

 けどそれが私にはキラキラして見えた。


「私も、こんな風になれるかな……」


 もしもこうやってキラキラ輝けたなら、きっと今みたいにビクビク怯えずに済む。

 なってみたい。

 そう思ってからは早かった。


「ねぇ。き……も、百瀬くんは、このゲームだとどの子が好き?」

「えっ? 俺はそうだな……。どの子も好きだけど、小悪魔な後輩かな」

「ふぅん」


 そうやって聞いた時点で、私の気持ちはもうはっきりしていた。

 好きなんだ、彼のことが。

 百瀬友斗くん。

 物語みたいに特別な何かがあったわけじゃないけど。

 見つけてくれるのを待つあの時間が、私にはデート前のドキドキに思えていた。



 そこからの私は真っ直ぐだった。

 小悪魔で可愛い私を演出するのは、ヒロインを育成しているみたいで最高に楽しい。

 百瀬くんはなかなか好意に気付いてくれないけど……それでいい。だって、私は小悪魔な後輩として百瀬くんを落とすと決めたんだから。


 それなのに中学受験するとか知ったときは泣きそうになったけど!

 だって私、勉強はからっきしだったし! 国語以外は残念すぎたもん!

 だからこそ、百瀬くんと同じ高校に行くのに必死になった。高校でダメだったら大学だよ、大学。大人すぎて後輩感がないじゃん。


 そして――百瀬くんは、先輩になった。



 ◇



「先輩はほんと、罪作りですよね」


 初恋にだって消費期限がある。長く続けば続くほど、簡単には消費できなくなるのだ。

 でも恋は腐らない。消費期限を過ぎたら、もう消費なんかできないくらい心に深く根を張ってしまう。


 だから私は――。


「さて、と。そろそろ行こっかな」


 今日は先輩とのデート。

 事前に言ってさえいれば早めに行動する先輩のことだ。私が到着した頃には、壁に寄り掛かってスマホでも弄っているだろう。

 そのときは……うん。

 やっぱり『待ちましたか?』『全然待ってないよ』のやり取りをしよう。それが形式美。王道は多くの人を魅了するからこそ王道なのだ。


「行ってきます!」


 空は、ゲームの背景みたいに青かった。

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