1章#11 新しいクラス
「おはよう」
教室のドアを開けた俺は明るくも暗くもない声でそう挨拶をした。別に特定の誰かに向けたものではない。
クラスの誰かと上手くやれればいいなという打算もないわけではないが、それ以上に身体に礼儀が染みついている。教室に入ったらまず挨拶。昔は聞き分けのいい子供だったから、教師の言ったことを真に受けていたものだ。
「…………」
教室全体を見渡すと、すぐ左に綾辻が座っていた。出席番号一番の座席はそこらしい。周囲を拒絶するかのように両耳にワイヤレスイヤホンをはめ、ぱらぱらと本を読んでいる。
うわぁ……こいつガチぼっちすぎるだろ。綾辻とは、中学一年生のときから数えて五年連続で同じクラスだ。思えば去年もその前も、綾辻はこんな感じだった。それなりに積極性をもって行事に関わっている俺とは大違いである。
ジロジロ見ていると、綾辻は俺の視線に気付いて顔を上げた。
ぽつん、ぽつん、ぽつんと空気中に浮かぶ三点リーダー。
僅かな間を置いて、視線だけでのやり取りが交わされる。感情は読み取りにくいが、何となく言いたいことは分かる。目ッセージ、ってやつだ(ダサい)。
『またぼっちモードかよ』
『悪い?』
『悪くはないけど』
『ならほっといて。そっちだってぼっちになるんだから』
『いや友達作り頑張るつもりだからな?』
俺の最後の目ッセージには見向きもせず、綾辻が澄ました顔で本に視線を戻す。
まぁ、一人が悪いことだとは思わない。苗字が違う以上、俺との絡み方を間違えてもあらぬ誤解を招く危険があるしな。
ただ、俺はぼっちになりたいわけじゃない。成り行きでぼっちになってしまっているだけなので、友達ができるに越したことはないのだ。
黒板に書かれている席順を見て、自分の席に着く。
窓側から二番目の最後列。ベストとまでは行かなくとも、ベターなポジションだ。
「おはよっす」
スクールバックを机に横にかけて一息つくと、右隣から声をかけられた。
そちらを向くと、実にいけ好かないイケメンがいる。程よくかけられたパーマと知的ぶった眼鏡の組み合わせのせいで全身からチャラさが滲み出ていた。そのくせ制服はほとんど着崩していない。変なやっちゃ。
「おう、おはよう。初めまして、だよな?」
「そーだな、初対面だぜ!」
くしゃっと無邪気に笑うのを見て、リア充だなぁとしみじみ思った。スクールカーストって概念は心底くだらないと思うけど、クラスの中心になる奴っていうのは一目見て分かるものだ。
「いきなり躊躇なく話しかけてこれるあたり、陽キャだよな。絶対モテるだろ」
「初対面だって分かったうえでそれを言ってくる!? そっちはそっちで、結構ずばずば言ってくるじゃん」
「いや、そんなことないぞ。思ってることの一割も口にしてないから」
「裏ですっごい黒いこと思われてそうだなって不安になること言うのやめてくんない!?」
ぷっ、とそいつが吹き出し、俺もつられてケラケラと笑った。
悪い奴じゃなさそうだな。俺が来てすぐではなく、一息つくまで待つことのできる気配りも好感度が高い。
くしゃっと頭を掻き、俺はそいつに手を伸ばした。
「百瀬友斗だ。一年間よろしく」
「おー、よろしく! 俺は
ぎゅっと握手。
胡散臭さとかくすぐったさとかで背中がゾワゾワしたので、誤魔化すように呟く。
「こうして握手してると、俺までチャラくなった気になるな」
「しれっと人をチャラ男扱いするのやめろって。俺、女遊びとかしないから! 彼女に一途だから!」
「お、おう……そうなのか……」
「意外そうな顔!?」
「違う違う。青春ワードを聞いて心が浄化された気がしただけだよ」
「明後日の方向だった!」
雫は青春を謳歌するタイプだがあくまで後輩だし、綾辻はあんな感じでぼっちを貫いている。青春をここまでしっかり摂取したのは久々なのだ。
「くくっ、友斗ってめっちゃ面白い奴だな。これから友達として仲良くしてくれよ」
「ん。まぁ、そうだな。よろしく」
友達、ね。
流れるようにその言葉を言えるあたり、やっぱり八雲は人間関係に慣れている。俺は胸を張って友達だと言えるような相手もいない。
雫とは仲がいいが、義妹ということを抜きにしても友達とは少し違う気がする。上下関係はあってないようなものだが、先輩と後輩というポジショニングは明確だろう。
友達に一番近いのは綾辻か。
セックスフレンド。セックスをする友達という意味では、綾辻とは友達なのかもしれない。友達以上恋人未満。そう在れればいいと思うけれど、友達なら知っているべきことを俺は知らない。
……つまり、これが初めての友達?
やっべー、なんかちょっと緊張してきた。友達がやることと言えばなんだろう。むぐぐ……と考えて、ようやく一つ答えを出す。
「よかったら、RINE交換しておかないか?」
「ん、それもそうだな」
スマホを取り出すと、八雲は画面にQRコードをしてくれた。一応渋られたり理由を聞かれたりしたときのために交換するメリットを列挙してたんだけど、その必要はなかったっぽい。
QRコードを読み込み、『友達登録』のボタンをタップする。
【ゆーと:登録できてるか?】
確認を込めてメッセージを送信すると、目の前で八雲がおっ、と声を上げた。
ニシシと無邪気な笑みを見せると、そのままスマホをポチポチと操作する。ポチポチって鳴らないけど。
【HARUHIKO:ばっちりだぜ、心の友よ!】
【ゆーと:距離の詰め方がナンパのそれ】
【HARUHIKO:ナンパとかしたことねぇからな!】
目の前にいるのにRINEでやり取りをしているのが可笑しくて、二人でくすっと笑った。
満足したのか、八雲はスマホをポケットにしまう。
「ところでマイベストフレンドよ」
「距離の詰め方が尋常じゃないな」
「だって友斗、自分からは距離詰めてこなそうな奴だし。俺のタイミングでいいかなーって」
「いやまぁそうだけどね?」
その辺の性格を見抜くのは流石だと思った。
まぁ気恥ずかしいので口にはしない。代わりに話の続きを促すと、内緒話をするようなトーンで八雲が言う。
「友斗の目から見て、うちのクラスの女子はどうよ」
「どう、ってのはどういう意味だ?」
「そりゃもちろん可愛さ的な意味でだよ」
ひそひそと小声で叫ぶ八雲。
ふと辺りを見渡してみると、既に八割がたクラスメイトが登校してきていた。それぞれぎこちなさの残る新しいグループを作ったり、一年生から続くグループで固まったりしている。
「うちの学校ってそもそも可愛い子多いじゃん? 俺の友達にもモデルやれるじゃんって子いるし」
「あー……まぁ否定はしない」
「でも可愛さって言っても色々あるしな。友斗的にはどうよ、気になる子いる?」
そう尋ねてくる八雲の口ぶりはだいぶ軽やかだ。男子高校生らしい会話にほっとする。
「いや、お前彼女に一途なんじゃないのかよ」
「え? 銀河で一番可愛いのは俺の彼女だぜ? でも人気度で言ったら、また色々と事情が変わるっしょ。俺の彼女の可愛さを本当に分かるのは俺だけだし」
「……お、おう」
純度の高い青春ワード、いただきました。
リア充爆発しろとは思わないので、ぜひ幸せになってほしい。
って、それはどーでもよくて。
「特に気になる奴とかはいないな。そもそも興味ないし」
「へぇ。じゃあ綾辻さんと同じクラスでも、別になんとも思ってない系?」
「……なんで綾辻が出てくる?」
とくん、鼓動が跳ねる。
動揺を悟られないように努めて平静な声で尋ねると、意外そうに八雲が答えた。
「あれ、もしかして知り合い?」
「知り合いって言うか、去年同じクラスだったしな。それで、どうして綾辻が出てくるんだ?」
「どうしてって……あー。そっか、友斗はランキングのことを知らないんだな」
スマホを取り出した八雲が見せてきたのはRINEのグループだった。
三百名以上のメンバーが入っており、グループ名には『全校生徒男子』とある。どうやらうちの高校の男子が所属しているライングループらしい。
……俺入ってないんだけど。全校生徒じゃないんだけど?
「えっと。これがどうかしたのか?」
「このグループで定期的に『可愛い女子ランキング』ってのを投票で作ってるんだよ」
「へぇ」
なんて馬鹿なことを、というツッコミは引っ込めておく。気持ちは分かるし。
……俺が入ってないことは根に持つけど。
「で、綾辻さんは去年からずっと3位。2位と1位はもうアイドルとか天使って感じだけど、綾辻さんならワンチャンって狙ってる男子は多いんだよ。二年生の中では普通にトップだしな」
ほーん、へぇ、ふぅん……。
不思議なことではない。俺だって綾辻は可愛いと思う。マイナス要素はせいぜい周囲と壁を作っているところくらいだが、逆にそこがいいと感じる男子だって多いのだろう。
教室を見渡せば、チラチラ綾辻の方を見ている男子が何人もいる。
なるほど。想像以上に綾辻は意識されているらしい。
そんなことを考えていると、自然に綾辻の方に視線が向く。
綺麗な姿勢で読書を続ける姿はモノクロ映画の名シーンになりそうだ。世界との切り取り線みたいなイヤホンは小ぶりで、そういえば綾辻は耳の穴が小さいもんな、と思い出す。
耳の穴も、
白い首筋も、
形のいい胸も、
滑らかな背中も、
引き締まった脚も、
俺は知っていて、他の奴らは知らない。
ぐさりと罪悪感が胸に突き刺さる。同時に、背徳感と優越感が煮詰まった。
「で、友斗はさっき綾辻さんとなーんか怪しい視線のやり取りをしてた気がするんだけど。実は仲良かったりしねーの?」
「……さては、最初からそれが気になって声をかけてきたな?」
「あ、バレた?」
てへっと舌を出す様が実にイケメンで、なんだかムカついた。
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