1章#07 女の子の話(SIDE:雫)
SIDE:雫
「二人とも話があるの。聞いてくれる?」
昨日の夜だった。
珍しく早い時間 (といっても7時すぎだけど)に帰ってきたお母さんは、見たことないくらいに真剣な顔で言った。
こんなお母さんを見たのはいつぶりだろう。お父さんとお別れするときを思い出して、きゅぅぅ、とお腹の奥が苦しくなった。
お母さんとお父さんが別れたのは私が小学校に入学してから何年も経った頃。
私が小学四年生になったときだ。その前から二人の仲はあんまりよくなかったけど、離婚するってところまではいっていなかった。何が最終的なきっかけになったのかは分かんないし、考えたくもなかった。
というか。
一時期、ずっと考え続けていたんだ。私がわがままを言うから? テストの成績が悪いから? お姉ちゃんみたいにクラスの子と仲良くできないから?
いくつもの考えが頭の中でぐるぐる回って、苦しくてたまらなくて、閉じこもっていた時期がある。人が怖くて、男子が怖くて、常にびくびく怯えていた。
そんなとき私の前に現れたのが先輩だった。
百瀬友斗先輩。
ちょっと面倒なところが多いしややこしい人だけど、私の好きな人だ。
どこが好きかって聞かれると、ちょっと返答に困る。いや、好きなところが思いつかないとかじゃなくて! どれを答えても、なんだか間違っている気がするのだ。
先輩の顔が好き。声も好き。時々皮肉っぽく笑ったり、かと思ったら少年みたいにくしゃっと笑ったりするギャップも好き。私のことを絶対に見捨てないでくれる優しさも好きだし……って挙げようと思えば幾らでも挙げられるけど、全部がこじつけに思えてしまう。
きっと、好きだから好き。
恋ってそういうものなんだと思う。
って、そーじゃなくて!
「いいけど。話ってもしかして、再婚のこと?」
「うっ、ば、バレた……?」
「なんとなく分かるって。ね、雫」
「うん、流石にね。最近のお母さんはすっごく幸せそうだったし、そろそろかなぁって気はしてたもん」
お姉ちゃんに話を振られたので、私もこくりと頷く。
お母さんはばつが悪そうに口許をもにょもにょさせた。なんだそれ可愛いな。私も今度、先輩の前でやろーっと。
とか言いながら、私たちはソファーに腰かける。正面に正座したお母さんは、あのね、と口を開いた。
「前から何となく話してはいたと思うけど。職場に、好きな人がいるの」
「「うん」」
「その人はね、昔片思いをしていた幼馴染。すごく優しくて強くて、その何倍も弱い人」
「「…………」」
お姉ちゃんと沈黙が重なったのは、お母さんの想いが私たち姉妹に伝わってきたからだろう。
それに、私にはお母さんの気持ちに覚えがあった。
先輩もそうなんだ。優しくて強くて、その何倍も弱い人。だから、お母さんがその人に惹かれる気持ちがとても分かる。
「その人もお母さんも、大人になって結婚した。私には澪や雫のような可愛くて大切な子供がいるし、その人にも子供がいる」
そうなんだ、と少しだけ切ない気持ちになった。
幼馴染の片思いには叶ってほしい。そんな風に思うから。
お母さんが続ける。
「でも、昔事故があって、その人は奥さんを亡くしてしまった。幼馴染として下心なしで慰めているうちに、昔の気持ちを思い出して……半年くらい前から、付き合ってるの」
思い出したっていうのは、本当?
実はお父さんと結婚してからも想っていたんじゃないの?
そんな風に聞くことに、たぶん意味はないんだろう。
「それで今、その人と再婚したいと考えてるんだけど。二人はどう思う?」
お母さんに尋ねられて、私はそっとお姉ちゃんの様子を窺った。
なんて答えるんだろう。反対……は多分しないと思う。けどよく考えてみたら、お姉ちゃんから恋バナを聞いたことがないから、私はお姉ちゃんが恋とか愛とかそーゆうのをどんな風に想っているのかを知らない。
お姉ちゃんはふっと笑って、うんと頷いた。
「いいんじゃないかな。反対する理由はないよ。ママには幸せになってほしいし。パパも再婚して幸せにやってるらしいから、ママだって好きにしていいと思う」
「澪……ありがとう」
そっか、お姉ちゃんはそういう風に言うんだな、と勝手に納得する。
二人の視線がこちらに向いたので、お姉ちゃんに付け加えるように言う。
「私も応援する! お母さんの恋、すっごく素敵だと思うし!」
「そうね、ありがとう」
これで話はまとまっただろうか。
そんな風に考えたところで、あっ、と大事な話を聞き忘れていたことに気付く。
「ねーお母さん」「ねぇママ」
私とお姉ちゃんの声が被った。
お姉ちゃんに譲られて、私が先に口を開く。
「再婚のことは全然いいんだけど。その、相手の人の子供って……」
子供という言葉を素直に受け取っていいとは思えない。
事故があったのが昔なら、子供が産まれているのはそれよりも更に昔のはずだ。お姉ちゃんも同じことを思っていたらしい。私の言葉を継いで、
「相手の人の子供ってどんな人? 性別とか、年齢とか、やっぱりその辺は聞いておきたい。雫も不安に思ってるだろうし」
と言ってくれた。
お母さんは顔を曇らせ、そうね、と短く呟く。どこかその顔には罪悪感がこもっているような気がして、私は首を傾げた。
「澪と同い年の男の子よ」
「「――っ」」
ってことは、先輩と同い年。
先輩の男っぽさを思い出したら、どうしても不安が先立つ。流石に変なことをされたりはしないだろうけど、同世代の異性と一つ屋根の下で暮らすのは怖い。
「ごめんね、不安かもしれないっていうのはすごく分かる。一応安心させてあげられる材料はあるんだけど、あんまり軽々しく言っていいことでもないから……一度顔を合わせてみて、そこで判断してくれないかしら」
「んっと……」
お母さんに真っ直ぐ頼まれてしまう。
そう言われたら、嫌だ、とは言いにくい。というか言いたくない。お母さんの恋を素敵だと思ったのは本当のことだから。
お姉ちゃんは、とまた隣を見遣る。
けれどお姉ちゃんは俯き、何か考え事をしているようだった。
「お姉ちゃん?」
「ん? あ、ごめん。なんか言った?」
「えーっと。不安だと思うけど、一回顔を合わせてから判断してほしいって」
「そっか。あ、うん、それは全然いいよ。会ってみないことには分からないだろうし」
「え?」
予想外に軽い反応に、つい驚いてしまう。
もう少し渋るんじゃないかって思ってた。だから私が説得しなくちゃなのかな、なんて。
「お姉ちゃん、いいの?」
「まぁね。あ、安心していいよ雫。何かあったら私が守ってあげるから」
「そっか。えっと……ありがとう」
確かに、お姉ちゃんは幼い私を守ろうとしてくれた時期がある。今だって困ったときには相談に乗ってくれるし、頼りがいがあるお姉ちゃんだ。
それにしてもあっさりしてた気がするけど……まぁ、こんなものなのかな?
「うん、じゃあ私も。とりあえず会ってみる」
「ありがとう、二人とも。明日の夜に会おうと思ってるんだけど、予定は空いてる?」
「「空いてるけど流石に急じゃない?」」
姉妹に二重でツッコまれて、お母さんはきまりが悪そうに縮こまった。
きっと話しにくくて迷ってたんだろうなーって思うし、いいんだけどね。
――そんなことがあって、今日。
やっぱりどうしても不安だったし、先輩に変な勘違いをされて誤解を生むのも嫌だったから、私は先輩に相談をすることにした。
義兄ができることを内緒にしている方が後々困る気がしたのだ。
先輩がくれたアドバイスは、そんなに特別なものじゃない。十人に相談したら三人くらいは言いそうだな、って感じのこと。
でも先輩が真剣に考えてくれた言葉だから嬉しくて、つい変なことを言ってしまった。
『……もしも私が先輩の義理の妹になったら、どう思いますか?』
聞かなければよかった、と後になってすっごく悔いた。
だって先輩にとって私はきっと、今はもういない妹さんの代わりだから。
それでも代わりの存在として見まいと足掻いていることに、なんとなくだけど気付いている。一時期私から距離を取ろうとしたのも、きっとそれが理由だ。
だからこそ私は、誰かの代わりじゃなくて、綾辻雫として先輩のイチバンになってあげたい。隣で笑って元気をあげられる、ぴかぴかな向日葵みたいに。
なのに……。
『あれ、先輩?』
『……百瀬』
『嘘、だろ……?』
運命は残酷だ、と私は思う。
私たちは義理の兄妹になってしまった。
それが戸籍上の関係でしかなくても、きっと今まで通りではいられない。
「二人とも。どうだった? 友斗くんと、一緒に暮らせそう?」
帰り道。
横断歩道を渡り終えて一度立ち止まったお母さんが、振り返って私たちに聞く。
答えは決まっていた。
「うん、もちろんだよっ」
現実は物語じゃない。
なんてことは、ないのかもしれない。
仲が良かった先輩と後輩が同居生活を機にグッと距離を縮めて……って。そんなありきたりなラブストーリーだって、手を伸ばせば届くのかもしれないから。
だったら掴んでみせるよ。
なりたい私に変わった、あの日みたいに。
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