終章『幸せになりたいです』

 

 あの一件の後、私はテニスサークルに出向き、仲良くしてくれた仲間に退部の旨を話して言った。そこまで力を入れて練習をしていたわけでもないし、大学で毎日のように顔を合わせるので、特に悲しまれることは無かった。

「それじゃあ、また。一年ちょっと、楽しかったです」

 そう言って、部室を出ると、テニスコートの方から、黄色い歓声が聴こえた。

 見ると、男子らが試合をしていて、その周りを女性生徒らが取り囲み、観戦していた。たかが戯れの試合だというのに、熱狂がここまで伝わってくる。

 強烈なスマッシュで点を決め、女子たちの薄紅の眼差しを一身に浴びるのは、当然、誠也先輩だった。あの時私に見せた残酷な笑みは何処へやら。爽やかに笑い、金網越しに手を振っている。彼の一挙一動足に、女子たちは心を射抜かれていた。

 じーっと見ていると、審判台に、テニスウェアを身に纏った女の子が座っていることに気づく。服装が変わっていたためにわかりにくかったが、あれは恋愛成就の神だった。

「え…、神さまって姿変えられるんだ…」

『霊体だからなあ。やろうと思えばできるよ』

「サダハル様もやってくださいよ」

『オレはこの一張羅が気に入ってんだ』

 まあそうだろうな…と思い、流すと、再びテニスコートの方に視線をやった。 

 誠也先輩が点を取るたびに、恋愛成就の神は、少女のように無邪気に笑うと、先輩の周りを飛び回っていた。何を言っているのかはよくわからないが、きっと、彼を賞賛するものだろう。

 サダハルが肩を竦める。

『あいつは相変わらずだな』

「そうですね」

『まあ、ああいうのも、悪くないんだろうな』

「そうですね」

『後悔してるか?』

「まさか?」鼻で笑う。「私はこの生き方で満足してますよーだ」

 べえっと舌を出すと、階段を駆け下りる。

 サダハルは私の横に並ぶと、こんなことを言った。

『これからのお前の人生についてだが…』

「急に何ですか?」

『お前の未来は真っ暗だ』

「まじで急に何言ってるんですか?」

 げんなりとする私を放って、サダハルは続けた。

『目標を抱くだろうが、多分、達成できないか、中途半端な形で終わるだろうよ。その度に、お前は涙を流すし、きっと、オレに八つ当たりもする』

「もう、夢を奪うようなことを言わないでくださいよ」

『だけど、お前はその度に立ち上がり、また次の目標に向かって走っていく。誰の力にも頼らない、まっすぐな心でな』

 にやっと笑った。

『その日々はきっと、お前を強くする』

 胸に暖かいものが宿り、言葉が出ない。

 もじもじとしながら歩いていると、頭上から風花さまの声が聴こえた。

『あ! サダハル殿! 栞奈さま! やっと見つけた』

 音を立てず降り立つ風花さま。

『私の神社にお饅頭が供えられたので、お裾分けしようと思ったのですが、どうです? これからお茶でも』

「あ、良いですね! じゃあ、私お湯沸かしていきます」

『けっ、祓神に借りを作ってたまるか』

 サダハルがそっぽを向いたのを見て、私と風花さまは顔を見合わせた。

「風花さま、なんてことを言ってますけど」

『そうですね。厄病神は放って、私たちで楽しみましょうか』

『待ててめえら! 別に食わないとは言ってないだろ! オレも食べる!』

「すぐに言えばいいのに…」

 風花さまが浮かび上がった。

『ほら、栞奈さま、邪な厄病神が追ってきていますよ! すぐに逃げないと!』

「そうですね! それ! 逃げろっ!」

 サダハルを放って、私と風花さまが走り出す。

 サダハルは「くだらねえな!」と言いながらも、程よいスピードで追ってきた。

『おい栞奈! さっきの話の続きだ!』

 後ろから叫ぶ。

『つまりだな、お前の未来は、何とかなる!』

 その言葉に、私は立ち止まった。

 止まり切れなかったサダハルは、私をすり抜けていく。

『お、おい、急に止まるなよ』

「信じてますよ」

『あ?』

 私はにこっと笑う。

「私はサダハル様のこと、信じていますよ」

 そう言われてたじろぐのかと思いきや、サダハルはにやりと笑い、胸を叩いた。

『おうよ』

 きっと私の未来は、前途多難なものになるのだろう。

 恋をしても、上手くいかない。

 夢を抱いても、達成できない。

 でも、進んでいく。進むことに意味があると信じて。

 そうして、生き続けて、生き続けるんだ。

 この生き方がどうであったかは、私が死ぬときに。

 私の人生は、厄病神とともにある。

「それじゃあ、行きましょうか」

『おう!』

 きっと今日も、雨、時々晴れ。

        完

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