スウェット水商売

筆入優

水商売というか、喋れる動物カフェというか。

「君、暇?」


 ヒトカフェの内装は暖色で統一されている。壁もライトもソファも、全部暖色だ。様々な事情で鬱屈した感情を抱えてしまったヒトが勤めている(強制的に収容されている)ので落ち着いた空間を作ろうという、ヒトカフェの社長のご意向だった。だから、やけに派手な服を着た客や化粧の濃い客は門前払いされる。プライベートがお洒落そうな客でも、ここでは地味なスウェット姿だ。僕に話しかけてきた優しそうな顔の女性も、灰色のスウェット姿だ。


「あ、はい」


 彼女は僕の隣に座った。三年経っても治らない、文頭で『あ、』と言ってしまう返事をし、僕はまた後悔した。三年間ここに収容されているが、未だに僕の根暗なところとか、社会に馴染めない喋り方は改善されない。


「じゃあ訊きたいことあるんだけど。あ、監視員には内緒にしといてね」


 彼女は二つ先のソファにいる監視員を一瞥した。監視員に聞かれたくないようなことを喋るのはヒトカフェの規則に抵触するので僕は断りたかった。


「わかりました」


 でも、人に嫌われたくない思いから、僕は頷いてしまった。


「じゃあ、単刀直入に訊くね。君は……西本君は、どうしてヒトカフェに収容されたの?」


 彼女は僕の胸元の名札を見やり、言う。


「ヒトにそれを訊くの、マジで規則違反ですよ」


 僕は監視員の耳に入らぬよう、小声で指摘した。


「私、小説家なの。だから取材がしたいの。ね、お願い。教えて頂戴?」


 最初は頷いたわけだし、ここで断るのも気が引けた。『男に二言はない』の心持ちで、僕はヒトカフェに収容されるまでの経緯を話した。


 ヒトカフェは五年前に岡田隆(現社長)によってつくられた、動物カフェの人間版だ。


 ありとあらゆる可愛い動物が絶滅してしまった西暦三千三百年、動物カフェは閉業を余儀なくされた。これじゃ経済が回らなくなってしまうということで、僕みたいなだらしない人間をヒトカフェに収容し、ホストやキャバクラの劣化版みたいな商売をさせて経済を回している。九年前はハダカデバネズミカフェだったのだけれど、それが長続きしなかったので、こうしてヒトが犬や猫などの代わりを務めているのだ。あるいは、務めさせられている。


「ここまで、大丈夫ですか?」


「うん。ちょっとだけスマホで調べてたし。それよりも気になるのは、務めさせられているってとこ。させられているってことは、ヒトカフェの収容は強制なの?」


「それについては、今から詳しく説明しますね」


 僕は続けた。


 僕がヒトカフェに収容されたのは三年前だった。僕は俗に言う『社会不適合者』で、働きもせずに両親のすねをかじって生きていた。昼夜逆転は当たり前で、時々思い出したみたいに菓子を貪り食う。そんなだらしない生活を送っていた僕を、両親がヒトカフェに通告。その翌日には監視員が家に来て、僕を羽交い絞めにしてヒトカフェに連れ去った。僕が何を言っても放してくれなかった。これは強制収容なんだ、と僕は恐怖と覚悟の混同した奇妙な感情に襲われた。


「なるほど……ちなみに、どうして社会不適合者なの? 言いたくなかったら言わなくてもいいけど」


「特に深い理由はないです。僕のたどたどしい喋り方とか、根暗な性格のせいですね」


「たどたどしくないと思うけど……まあ、本人がそう思うなら仕方ないか」


 僕にしかわからないコンプレックスを無理にわかろうとしない彼女の姿勢には好感が持てた。まあ、規則を犯していることに変わりはないのだが。


「他に聞きたいことは?」


 僕が尋ねると、彼女は数秒考えた。


「一応訊いとくんだけど、『ヒト』っていうのは西本さんみたいなスタッフのこと?」


「ええ。そうですよ」


「おっけー。じゃあ、また来るね」


 彼女は立ち上がり、出口に向かった。


「あ、私の名前、南菜々子。覚えて帰ってね」


 彼女こと南さんは僕のほうを振り返って言った。


 僕に帰る場所なんてないんですけど。


   *


 それからも、僕は南さんと関係を深めていった。彼女のいたずら好きな友人の話とか、小説の話とかで盛り上がった。彼女の声は穏やかで、僕のコンプレックスも彼女と話している間は気にならなかった。昔いじめっ子に言われた『お前の喋り方はおかしい』というセリフが僕をそう思わせていただけで、実際の喋り方はたどたどしくないことを最近自覚し始めた。これは成長への大きな一歩である。


「ねえ、西本君」


 そして、交流を始めてから三年が経った日。


「私と、付き合ってほしい」


 僕は告白を受けた。もちろん、頷いた。僕は社会性を取り戻しつつあったし、これを機にヒトカフェをやめることにした。やめるには店長の許可がいるのだが、それも難なく与えられた。


『意外にあっさり許可するんですね』と僕が言うと、店長は『俺だっていつまでもお前を拘束していたくないからな。早くこんなカフェ潰れちまえばいい』と笑った。潰れちまえと思っている場所で働くおかしな店長に別れを告げて、僕は六年ぶりに実家に帰省した。


 それからは仕事に励んだ。人生が順調すぎて、本当に今生きているのは自分なのか、と疑いたくなる。


 南さんと結婚も果たした。スウェット姿よりも、お洒落な南さんのほうが何倍も可愛かった。


 しかし、そんな幸せも長続きしなかった。あのハダカデバネズミカフェのように。


 つい昨日のことだった。南さんが、話があると言って僕をカフェに連れ出したのだ。ヒトカフェではなく、普通のカフェだ。


「一緒に住んでるのに、なんでわざわざカフェに?」


 僕はコーヒーを啜る。


「私、ヒトカフェ送りになったの」


 コーヒーを噴き出した。僕の問いかけが無視されたことなど、どうでもよかった。


「え? 冗談でしょ? どうして南さんみたいな優しい人が」


 南さんは、「これを見てほしいの」とスマホを渡してきた。僕は表示されたLINEの画面を眺める。


 そこには、腐るほどの数の男が登録されていた。トーク履歴にはつい三日前くらいに交わされた愛の言葉もある。それも、一人や二人じゃない。僕が数え間違えていなければ、七人はいた。中にはホストの源氏名で登録された連絡先もあった。


「ごめん、今まで隠してて。それを知ってた真由子が、ヒトカフェに通告したの。だから、もう、西本君と一緒にはいられない」


 真由子とは、いたずら好きの友人の名前だ。遊び半分で通告したのだろう。


「じゃあ、ばいばい」


 南さんは僕の手からスマホをひったくり、店を後にした。家よりも逃げやすいから、わざわざカフェを選んだのだろうか。


 全く、馬鹿馬鹿しい話だ。ギャグかと思った。


 まさか、男にだらしなかったとは。

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スウェット水商売 筆入優 @i_sunnyman

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