第2話:爺と契約しました
ロキという老人に蒼依が連れられたのは、霧がかかった山脈だった。
刺々しい形状がずっと連なる光景は圧巻の一言に尽きるだろう。
そうして霧を抜けた先、いくつもの洞穴がぽっかりと空いた場所にて蒼依はきょろきょろと忙しなく周囲を物色する。
(随分と原始的な暮らしをしているんだな……)
文明の水準はお世辞にも高いとは言い難い。
しかし、物珍しい光景であることは間違いなく。関心を強く示す蒼依を他所に、ロキは一つの洞穴へとひょいと足を踏み入れた。その後に続いて蒼依も中へと入る。
「――、お~い友よ。すまんが邪魔をさせてもらうぞぉ」
「……悪いって思ってんなら、こんな時間に来るんじゃないよまったく!」
「なっ……!」
蒼依がぎょっと驚愕に目を丸くした。
「あぁ? 何見てるんだい。そんなにアタイが物珍しいってかい?」
「いや、その……す、すいません。お気に障ったのでしたら謝罪します」
「なんだいなんだい。アンタと違って、こっちの連れはずいぶんと礼儀正しいじゃないか――アタイの名前はイーヴァルディってんだ。よろしくな」
「まぁまぁ、お主とワシとの仲じゃないか。ここは一つ、笑って許してくれんかの?」
「親しき中にも礼儀ありって言葉を知らないのかい? まったく……」
悪態をつきつつも笑みを浮かべる女性――イーヴァルディとロキは、親しい関係であるのは彼らの言動を見やれば一目瞭然だった。そんなわいわいと談笑に花を咲かせる横で、蒼依はジッとイーヴァルディの方を見やる。
先程、彼が驚いてしまったのは彼女があまりにも小さかったからだ。
小さい、とは一言にいっても限度と言うものがある。見た目からしてイーヴァルディは成人をとっくに迎えているだろう。凛とした表情にエメラルド色の髪色は、宝石のように大変きらきらとして美しい。
だが、身長に関しては十代前半の子供よりもはるかに小さい。
(……なにかの病気なん、だろうな。あまり詮索しないでおくか)
蒼依はそう思った。
「――、ところで。そっちにいるのは誰だい?」
「おぉ、こやつは――えっと、名前はなんていうんじゃったかな?」
「あ、えぇ。私の名前は蒼依……
「アオイ……アンタ、男なんだよね?」
「え? えぇ、そうですが……」
イーヴァルディが蒼依のことを訝し気な眼差しで見やるのも無理はなかった。
彼はれっきとした男性でこそあるが、その容姿については女子のように美しさがあった。
烈火のごときポニーテールと瞳を宿す顔立ちは、それこそ化粧をきちんと施せば誰もが、彼も女性と見間違うことだろう。
事実、彼はこれまでにも数多くの男性から勘違いを受けた。
そこで平穏に終わればともかく、純情をもてあそんだとまったく見当違いな逆恨みをされることだって、蒼依にとってはもう珍しくもなんともない。
もっとも、彼の地声は男性のソレであるので男性と見極めることはまだ容易い方だ。
「ふ~ん、アンタみたいな男がこのミッドランドにいるとはねぇ」
「みっどらんど……?」
それは蒼依には馴染みのない言葉であった。
(みっどらんど……名前からしてまず故郷のどこかってわけじゃないよな。大陸の方か?)
蒼依ははて、と小首をひねった。
武者修行として国内のみならず、遥か大海原を越えて大陸に渡った経験も少なくはない。
当然ながら世界は広く、彼の知らない世界はまだまだごまんと存在する。
故に蒼依が、ミッドランドもまだ見ぬ異国の地名だろうと捉えるのも必然だった。
「そうじゃな、お前さんにはまずここがどのような世界であるかを伝えておきべきじゃろう――まず率直に言わせてもらうと……お前さんは死んだ」
「は?」
蒼依は素っ頓狂な声をもらした。
(俺が死んでいるだって? そんな馬鹿なことがあるか)
ロキの言葉を、蒼依は鼻で一笑に伏す。
「死んでいるって……いくらなんでもその嘘は無理があるんじゃないですか?」
「まぁお前さんがそう思うのも無理はあるまい。だが、これは紛うことなき事実じゃ」
「そんな馬鹿な。だったら、ここにいる私はいったいなんだっていうんですか? 心臓だってきちんと動いてるし、体熱感もある。それに、足だってほら。ちゃんとここにあります」
「……どうして足が関係してくるんじゃ?」
「え? 幽霊の類は足がないのが基本じゃないんですか?」
「そんな話は一度も聞いたことがないんじゃが……まぁ、それはどうでもよかろう。とにもかくにも、お前さんはとうに死んでおる。その証拠に……ほれ、右手の甲を見てみるがよい」
「右手の甲?」
ロキに言われるがまま、蒼依が視線を落とした先には確かに、それはあった。
蒼依はその紋章についてなにも知らない。それ以前に刺青の類をしなかった彼にすれば、突如身に覚えのない刺青が入っているのだから、これに驚愕しないわけがない。
「な、なんですかこの紋章は……!?」
ひどく狼狽する蒼依を他所に、まじまじとロキが見やる。
蒼依の右手の甲に浮かぶそれは、模様というよりは文字……梵字に近しい。
毘沙門天を彷彿とするデザインは見ようによってはなかなかの芸術だとも言えよう。
しかしながら、蒼依にそれを素直に受け入れるだけの余裕は皆無であった。
「――それは
「すてぃ……ぐま?」
「左様。このミッドガルドにて禁術と言われる反魂の術。世界、時代、次元……ありとあらゆる垣根を超越し、勇敢なる戦士の魂を
「そんな……ばかな……」
ロキの言葉は、蒼依には到底信じられるものではなかった。
いきなりお前は死んでいる、とこう言及されたのだからそれも無理はあるまい。
大抵の人間は狂人の戯言であると嘲笑しようが、ロキの言動には嘘偽りといったものが一切ない。それを蒼依も理解してしまったからこそ、今己が置かれている現状を認める他なかった。
問題は、いったいいつ死んでしまったのか。
蒼依にはその肝心な部分の記憶がすっぽりと欠如していた。
(だとしたら……いつ“俺”は死んだんだ? まったく記憶にないぞ!?)
蒼依の最後の記憶は、その日大きな仕事を終えた祝杯を堪能したというところ。
元々、蒼依は普段から飲酒を嗜む方ではなかったし、まず彼自身酒についてはこれがめっぽう弱い。だからいかに祝いの席であろうと決まって、彼はアルコール度数が極めて弱い酒をいっぱい飲むだけにいつも留めていた。
そこでぷつりと記憶が途切れている。
「――、私は……いったいどうやって死んだんですか?」
「それについてはワシもわからん。じゃが一つ言えるのは、お主は死んだ――そして、蘇るチャンスを手にもしている」
それは光明の一筋だった。
この世に未練を残し、地縛霊と化していった者達にとって、ロキが発した言葉は正しく希望である。人とは心身共にとても脆弱な存在だ、そして死と言う概念についてなによりも恐れている。
死ぬのが怖い、その恐怖から逃れんとして過去から人は永遠の命を欲し求めてきた。
とはいえ、それが成功したという事例は未だに一度としてないのが現実である。
蒼依の瞳に輝きが灯った。それはさっきまでにはなく、とても力強くぎらぎらとしている。
蒼依はロキに問い質した。
「――、それはいったい……どういう意味なんですか?」
「言葉通りの意味じゃよ。お前さんは生き返るチャンスを手にしているということじゃ――まぁ、それはお前さんの働き次第になってくるわけじゃがの」
「……教えてください。あなたは、俺をこの世界へと招きいったい何をしようとしているのですか?」
「ふぉっふぉっふぉ、どうやらやる気があるみたいで安心したわい。ならばお前さんに教えよう――お前さんには今からアズガルドへと赴き、そこであるものを回収してきてほしいのじゃ」
「あるもの……ですか?」
蒼依の問いかけに対し、ロキがにしゃりと笑った。
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