第6話 部活見学2
「ちょっと! 待ってよ! アンちゃん!」
部室から離れて、階段を降りた踊り場で、先を歩いていたわたしに向けて、日芽香が声を張り上げた。
「あんな、言われっぱなしでいいの!?」
「いいも何も、押しかけたのはわたし達の方だよ」
やれやれとわたしは腰に手を付いて振り返った。
階段の途中で立ち止まった日芽香は随分とご立腹のようで、頬が分かりやすく膨らんでいた。怒髪天、なんて言葉がよく似合う。
「でも、あんな態度ひどいよ!」
「わたしに言われたって……」
「それに制作部員は募集してないって――、アンちゃんはそれでいいの!?」
……む。
日芽香の一言は少しだけ癪に障った。
そもそも最初からネマコン部には入らないと散々言っている。
確かにあの人の態度は気に入らないが、それとこれとは話が違う。
「わたしはネマコン部には入らない。そう言ったでしょ」
そう念押しすると、わがままを言う子供みたいに、日芽香は激しく首を振った。
「なんでなの! あたし、アンちゃんと一緒にアニメ作りたいよ!」
「わたしは違う」
「違わない!」
「――違うって言ってるでしょ!」
つい、そう叫んでしまった。
言った後になって、はっと我に返る。
わたしの声は随分と響いて、下の階にまで届いていたのか、三階にいた上級生がちらほらと、廊下から覗いているのが見えた。しまった。売り言葉に買い言葉。ついつい大声で返してしまった。
「な、んで……、なんでなの……」
そしてもう一度振り返ると、日芽香が大粒の涙を流して、立ち尽くしていた。
わたしの方を睨むでもなく、顔はぐちゃぐちゃだった。まるで親に怒られた後の子供さながら、年甲斐もなく泣きじゃくっている。
はぁ。高校初日からなんて日だ。
「あたし、アンちゃんと一緒にアニメ作りたいだけなのに……」
「あのさ、ヒメ。わたしは前からずっと言ってたよね? ネマコン部には入らないって。嫌だって。それを無理やり誘っているのはヒメだよ。わたしは嫌なの。アニメを見るのも作るのも」
「そんなことない! アンちゃん、昔はあんなにアニメ好きだったじゃん! あたしと同じくらい、ううん、あたしよりアニメ見るのも作るのも好きだったもん!」
「今はもう、好きじゃないってだけよ」
「そんなことない! だって、アンちゃんはずっとアニメが好きだったもん! だから今だって――」
もうこの会話を何度したことだろう。中学三年生になって、ある日、日芽香に同じようなことを告げた時も、部屋が滅茶苦茶になるほど大喧嘩した。ママが仲裁に入るまでもみ合いになって、しばらく顔を合わさない日々が続いた。あの時も、こいつは一切、わたしのことなどお構いなしに、自分の理屈を立て続けに並べては、駄々をこねていた。
――ああ、だからだろうか。
わたしはその時の熱が、ぶわっ、と蘇ってきたのを感じた。まるで嘔吐するみたいに、ぐつぐつとした感情が喉の奥まで逆流してくる。止まらない。止めたくもない。
だから、わたしは口にしてしまった。
ずっとずっと、伝えたかった決別を。
「見るのも、作るのも、もう散々! 日芽香がやりたければ一人でやりなよ! わたしまで巻き込まないで! もう二度と、あんなクソみたいなもんに、触れたくも、関わりたくもないの! アニメなんて大っ嫌い! 心の底から大嫌いなのッ!」
その言葉で、日芽香はひゅっと言葉を飲み込んだ。
やがて嗚咽が小さく聞こえてきて、感情が抑えきれなくなったのか、まただらだらと涙が零れ始めた。汚く、ボロボロになって、最終的には言葉にならないくらいに泣きじゃくって、その場に座り込んでしまった。
頭のてっぺんまで熱が伝わり、わたしも感情が堪えられなくなっていた。しかし、上級生の話し声が聞こえてくると、サァっと脳が冷たくなるのを感じた。まだまだ日芽香へ不満や言い返したい気持ちがあったが、ぐっと抑えて、手を差し出す。
「帰るよ」
日芽香が目元をぐしゃぐしゃと袖で拭って、乱暴にわたしの手を払った。「今日は一人で帰るっ」と言い放ち、わたしの横を通り抜けて、どたどたと階段を下りていく。
「……あんた、帰り道わかんないでしょうが」
わたしの呟きは、静かに踊り場に響いて、散った。
腹の虫がざわめいていた。
ちくちくと脳に針が刺さっているような感覚が続いて、気分が悪い。思い返すだけでも、日芽香の顔がむかついて、言葉に腹が立って、なによりも子供じみた言い返しをした自分が情けなくて、またむかついた。
下駄箱でも日芽香の姿は見当たらず、校門の前にあるバス停に向かってみたが、やっぱりあのアホンダラはいなかった。あいつ、ここに来るときバスでもずっと寝てたから、帰り方がわからずに困るだろうに、意地を張って、本当に一人で帰ったらしい。もしかしたら歩いて帰っているかもしれない。
鞄からスマホを取り出す。流行りのチャットアプリを起動し、日芽香のアカウントを探す。普段、日芽香とはめったにスマホで連絡はしない。だいたい隣にいるからだ。それに日芽香はチャットアプリでメッセージを打つのが嫌いで、大抵は電話を掛けてくる。掛けながら、わたしが家にいることを知ると、そのまま部屋までやってくるのが常だ。
「……はぁ」
わたしはスマホを閉じた。連絡する気にならなかった。本当に困っていたら、どうせ向こうから泣きついてくる。「……アンちゃん、帰り方わかんない」って、不貞腐れながら。
バス停のベンチに腰掛けて、もう一度だけ大きくため息をついた。
なにやってんだろ、わたし。柄にもなく大声出して、日芽香を叱って。
こういう生活から抜け出したくて、高校では品行方正、清い過ごし方をしようと思っていたのに。結局、日芽香に振り回されて、こんなオチで終わる。
別に日芽香を恨んでいるわけじゃない。聞き分けの悪い日芽香には腹が立っているが、あいつの言葉にいら立ちは感じていない、っていうと嘘になるけど、いい加減頭も冴えてきたおかげで、物事の分別くらいは冷静にできるようになっていた。
そもそも、全ての発端は、わたしだ。
アニメから離れて、アニメを嫌いになって。そうやって急に戸を閉ざしたのはわたし。日芽香と折り合いが悪くなったのはその頃から。……まあ、折り合いが悪いと思っているのはわたしだけだろうけれど。
身体の内側に毒ガスのようなものが溜まっている気がして、むかむかした。このまま家に帰る気にはならなかった。大好きなママにイライラをぶつけてしまいそうで嫌だったし、なにより高校初日がこんな終わり方をするのが一番嫌だった。
しばらくするとバスがやってきて、ぷしゅーと空気が抜けたようなブレーキ音と共に自動扉が開いた。わたしは動けなかった。どうやら足が代わりに不貞腐れてしまったようだ。怪訝な顔つきで、わたしの横を学校の生徒たちが通り過ぎていき、バスに乗り込んでいく。
「――出発しますが、いいですか」
バスが乗客を全員を収納すると、運転手がアナウンスでそう呼びかけてきた。社内全体に聞こえているせいで、乗客が一斉がわたしの方を見る。
わたしは首を横に振った。
「今日は、歩いて帰ります」
誰に向けた言葉だろうか。バスの運転手に言ったわけでも、中の乗客に言ったわけでもない。独り言のように、言い訳のように呟いた後、バスの扉が閉まる前に、わたしは歩き出した。気分が晴れるまで、足を動かし続けたかった。
後から出発したバスは、バカみたいなわたしを颯爽と追い抜かしていった。
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