第6話
かるドラでは実際にある地域が舞台になっていた。作品の中で少女たちは車に乗って、様々な土地を巡っていた。
海が見える街、どこまでも広い菜の花畑。満開の桜が並ぶ川辺の街や、空に手が届きそうな山の頂。少女たちが巡る街、目にする世界はどこまでも広くて、とても綺麗で、そこを旅する少女たちの物語はキラキラと輝いていた。
結喜はそんなかるドラの世界に、すっかり魅了されていた。
始めは何気ない気持ちだった。特に興味が出たわけでもなく、特別気に入るとは思ってもいなかった。
だけど、彼女はその物語から目が離せなくなっていた。少女たちは多くの街へドライブして行く。そこで目にしたもの、出会ったもの、感じたもの全てに笑い、楽しみ、感動する姿があった。
かるドラを見ながら、結喜が感嘆の声を上げる。
「こんな所があるんだ……」
かるドラに出てくる街や光景。そこに流れる時間一つ一つに、結喜は吐息を漏らした。
アニメに出ているのは、この世界のどこかにあるはずの街で、それは結喜にとって知ることのない場所で、見たことのない景色だった。
結喜はいつしか、その綺麗な世界と美しい物語の虜になっていた。
それからというもの、結喜はかるドラのことが頭から離れなくなっていた。仕事中も早く次を見たいとソワソワして、休憩中もスマホでかるドラのことを調べたりするなど、かるドラにどっぷりはまっていた。
早く続きが見たくて、仕事が終われば急いで帰るようになり、その様子に宮島も首を傾げたりした。
そうして続きを少し見て、また次の日に仕事を終えると早く帰宅して続きを見る。そんな生活を毎日繰り返した。
次の休日が来た。結喜はこの日、かるドラを最後まで観ようと心に決めていた。
自分でもよくわからない、大げさな決意だと彼女は思った。でも、それくらいこの日を彼女は待ち望んでいたのだ。この物語と最後まで語り合う日を。
結喜がタブレットを手にする。胸が高鳴っていた。
まるで物語に恋する乙女だ。今からその物語を目にすると思うと、自分が柄にもなく昂揚していることを結喜は自覚した。
「……よし」
そうして結喜はタブレットを起動させた。傍らにはコーヒーを置いて準備万端。
彼女と物語との語らいが始まった。
物語の中で、少女たちはどこに行こうかと、次のドライブの計画を話し合う。どこへ行こうか。その場所に何があるのか。何をしに行こうか。旅の計画を話し合う彼女たちは楽しそうで、生き生きとしていた。
そうして始まった少女たちの旅。初めて行く街。初めて走る道。初めて見る世界はどれも綺麗で、走るだけでも楽しそうだった。
時には道にも迷うし、デコボコの道もあるし、車一台しか通れない道もあった。
そんな悪路であっても、それすらも少女たちは楽しんでいた。
時折降りて歩く街や名所は、彼女たちの心に得難い思い出を刻みつけた。
その物語には悪人はいない。英雄もいないし、心躍る冒険や世界を変えるような奇跡もない。
だけど、そこに描かれた世界は何一つとして見逃していいものはない。何でもない日常が美しくて、当たり前にあるような世界が尊く映った。
結喜はそんな世界と、そこで描かれる物語に没頭していた。いつの間にか、傍らに置いていたコーヒーは一口も飲むことなく、すっかり冷えてしまっていた。
そのまま物語は進み、旅は最後の目的地に辿り着いた。
ずっと遠くにある岬。目の前には水平線まで見える海と、ポツンと佇む小さな灯台が一つ。
その海の向こうには、真っ赤な夕日が沈もうとする光景があった。
その景色を少女たちはじっと見つめていた。
それはこの世界のどこかにある場所で、彼女たちのような少女でも、車で行けるような場所だ。
だけど、その光景はこの一瞬だけのものだ。この日、この時、この場所でしか見られない、特別な景色だった。
その光景を目に焼き付けるところで、少女たちの旅は終わる。
そして次のシーンで、彼女たちは部室で地図を広げ、顔を合わせてまた笑い合う。そして彼女たちは言う。『次はどこへ行こう』と。
エンドロールが流れる。物語が終わりを迎える。そんな物語の終わりを前にして、結喜の目には涙が流れていた。
「……なんだよ」
結喜の口から言葉が漏れ出す。それは、彼女の心から溢れ出た気持ちだった。
「なんで、気付かなかったんだろ。こんなすごい物語があったなんて」
今まで近くにあったのに、見向きもしなかった物語。今まですぐそばにあったのに、知ることもなかった世界。それに今まで気づけなった自分が悔しいと思った。
だけどそれ以上に、結喜の胸に溢れるものがあった。
「ありがとう……教えてくれて…………」
彼女の中にある感情が熱を帯び、結晶となり、全てが一つになって今、彼女の頬を伝っていた。
この物語に出会えたこと。物語が描く世界と出会えたこと。その全てに感謝していた。
気付けばもう夜になっていた。窓を見ると、空に満天の星空があった。
結喜は思い出す。アニメでは少女たちも、星空を見にドライブしていたのを。
きっとこの星空は、どこか遠くに繋がっているのだろう。
そう思った時、心の奥から一つの言葉が溢れ出した。
「私も……どこか行ってみたい…………」
その瞬間、彼女に灯っていた小さな火が一気に燃え上がった。それは確かな炎となって燃え上がり、結喜の心に点火していった。
それは彼女も久しく忘れていた、情熱と呼ばれるものだった。
この日、結喜の瞳が初めて世界に向けられたのだ。
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