螺旋と処世

谷沢 力

プロローグ ①

だだっ広い草原の中に、幾つもの痘痕が浮き出ている。


その痘痕をよくよく観察してみると、中には小さな灯りが灯っていてそれが蛆虫のようにチラチラと蠢いているのがわかる。さらによく観察すると、その小さな灯りは全て生活の燈であり、“それ“は痘痕などではなくて一つの大きな、たくさんの人が住んで街を形成することができるくらいに大きな穴であることがわかるのだ。

巨大な穴が無数に穿たれた大地はまるで月面のようで、この世界の病巣のようにも見える。

「だとするとウイルスや癌細胞は彼らの方であって、僕たちはそれを治す抗生物質のようなものなのかもしれない。」

これから僕たちがすることを念頭に置いてさえそう思ってしまうような、そんなグロテスクな光景が目の前に広がっていた。

それでもやはり、この光景の中では、僕たちは悪者なのだろうと思う。


       ◯


僕の任務はこの“穴“を焼き尽くすことだ。

正確にいうと穴の中にある人々と武装と生活と文化を、なくすこと。

この地球から、綺麗さっぱり。

それはすごく悲しいことだけれど、仕方のないことだと思う。

出撃の前、僕の上官はキイキイ声でこう叫んだ。

「諸君!我が皇国の興廃はこの作戦にかかっていると言っても過言ではない!南部方面が連戦連勝生き馬の目を抜く勢いで戦線を押し上げている中、肝要なのは補給路の確保である。では卑劣にも我が軍の生命線たる補給路を遮断し、南方方面軍を孤立させようとするのは誰か!そう、現地ゲリラどもである!我々は国のためにその御魂を捧げている彼等の為にも、ここで奴らを排除しなければならない!______略____」

少々暑苦しくって耳障りだったけれど、これは正しい。

なぜなら、圧勝することが求められる征服戦争においてゲリラというものほど厄介なものは存在しないからだ。

奴らは基本的に現地の住民によって組織されているので地の利があるし、市囲の人々と判別するのが極端に難しい。さらにそれらの利点を活かして僕たちに小規模な戦闘を効果的・反復的に実施することによって、消耗戦や神経戦を強いてくる。

僕たちはこれを続けられると占領の長期継続が困難になってしまうのだ。

奴らは、僕たちにとって蚊のような存在だった。

一匹一匹は大したことがないのに、大軍になると途端に厄介になる。そして大量の危険な伝染病を撒き散らしていく。

だから司令部は巨大な蚊取り線香を焚くことに決めた。


       ◯


飛行船の艦隊がゴロンゴロンという特徴的な音を響かせて夕闇の中を泳いでいく。

空を征服したように、我が物顔で横切っていく。

少々青みがかった白色の群れが、今にも沈む夕日を背中に受けてうすらぼんやりと光っている。その姿は、ある漁師と死の攻防を繰り広げた白い鯨を、僕に思い出させる。


僕はその鯨の腹の中で、操縦桿、いや、この場合舵と言いたほうが良いかもしれない、を握りしめている。

大量の爆薬を大地に届けるために、だ。

爆薬を、所定の位置に届けるためには目的地に行かなくてはならない。

そのための道程である。

ふと振り返って周りを見渡すと、僕と同じように学徒兵として徴兵され、今、初めての実践を迎えようとしている仲間たちの顔が目に入る。

興奮してやまないもの、今にも泣き出しそうなもの、緊張しているもの、色々なヤツがあるけれど、みんなソワソワしているのは同じだ。

上官だけが、スックと前を見つめ続けている。

僕も、人を殺したことがないわけではないが、あれだけの人間を殺すのは初めてなので、緊張していた。

けれど、不思議と僕の心臓は静かに脈動を続けていた。


       ◯


なぜ、こんなことをしているんだろう?

「何か」が僕に問いかける。

いいや、「何か」じゃない。問いかけているのは僕自身だ。

どこから始まっているのだろう? “僕“の連鎖は。

僕がこの行為を行うまでにどれだけの人間、どれだけの行為が積み重なっているのだろう?

飛行船の中で、心の中で、問いかける。


今、それどころではないことは重々承知している。

けれど、今、語ろうと思う。

今、語ることが重要なのだ。多分。


“僕“を語るためには何を置いてもまず、“世界“を語る必要がある。

ミクロな物事を語るには、マクロな物事が語られなければならない。


      ◯

 

僕が生まれるずっと前の、18世紀後半の話だ。

一人のイギリス人科学者がインドの山奥で不可思議なものを発明した。

それは、言ってしまえば「球」だった。直径は3〜4メートルくらい、黒くて艶のある表面をしている。一見すると表面が滑らかなただの金属球のように見える。というかほとんどその通りである。

ただ、その中に超高圧力の蒸気が眠っているという点を除いて。

それは実際、あり得ないことだった。その超高密度は、これまでの古典的な物理学では存在し得ない、存在してはいけないものだったから。

当時の物理学界は荒れに荒れたそうだ。日夜喧々諤々の論争が続いたという。

何人もの著名な物理学者が“それ“を実験室という箱庭の中で再現しようと試みたけれど、全て失敗に終わった。

「球」は“超球“と名付けられた。

実験室での再現は今、つまり20世紀初頭になっても成功していない。

けれども、それを作るのは至極簡単だった。

用意されるべきものはたった二つ。

容器と蒸気だ。


容器は特別なものでなければならない。


これは“超球“に関しての至極単純な二つのルールのうちの一つだ。

普通の鉄球では、内部の圧力に耐えることができずに壊れてしまう。

“特別なもの“、具体的にはインド、アフガニスタン、中国に埋蔵されている特殊な鉱石、(それを科学者たちは暗青石と名付けた。その鉱石には珪素が多く含まれていたから。)を削って作られるものでなくては、その超高圧力に耐えられないのだ。

    

蒸気は天然の、それも特殊なものでなくてはならない。


これが二つ目のルール。

こちらも具体的には、ヒマラヤ山脈、環太平洋造山帯などの新期造山帯の一部で噴出が確認されているものしか受け付けてくれない。

一度、蒸気科学の権威であるロンドン大学が世界中の蒸気を集めて分析にかけたけれど、結局“超球“になれるものと、なれない物の間にはなんの差異も見つけられなかった。正真正銘謎の蒸気だ。

一部学者はこれを“霊気“なんて呼ぶけれど、ほとんどの人間は“蒸気“って呼ぶ。

誰も彼も、プロパンとメタンの違いなんて気にしないで「ガス」って呼ぶだろ?

ただの水蒸気と霊気の違いなんて、今日1日の食べるものに困っている人間にとっちゃどうでも良いことなんだ。


この、たった二つのルールさえ、しっかり守っていれば、“超球“を作ることはそんなに難しくはない。

具体的にこの2つをどういうふうに操作すれば作ることができるのか、は十分に複雑なのであえてここでは述べないが、そう大仰で特別な装置を使う必要がないことは断言できる。

そしてそれは、世界のエネルギー事情を大きく覆すことを意味する。


      ◯


世界で初めて、蒸気を使って機械化を果たしたのは意外にも紡績の分野だった。

西暦1785年、またしてもイギリスの発明家が蒸気機関を動力とする力織機を発明した。綿織物の生産性は跳ね上がり、18世紀が終わる頃には既にこれまでのイギリス主産業だった毛織物を上回った。

当時イギリスの持っていた広大な植民地も、それに追い風を与える。

インドで作られた綿花を本国で加工し、世界中にばら撒く。こうして産業は目覚ましい発展を遂げ、科学技術もまた、それに比例するかのように発展を遂げた。


初めて工業の表舞台に“超球“が登場したのは19世紀の始まりを告げる鐘の響きがまだ人々の鼓膜から消え去っていない頃合いだった。

最初は、これまであった蒸気機関を効率よく動かすための外付けのエネルギー源として細々と使われていたけれど、優秀な資本家はその潜在力を即座に看破し、技術者、発明家に“超球“を最も効率よく運用するための新しい機械を求めた。


こうしてヨーロッパ大陸の西端に発生した巨大産業文明は蒸気をその基幹として無作為なまでに発展を遂げた。


     ◯


「文明の栄えるところ戦争あり。」

と、どこかで誰かが嘯いた。

ローマ、インカ、メソポタミア、ギリシア、有史以来およそ文明と呼ばれる高度に発達した社会には、気候や地形に関係なく、戦争の影がついて回る。

それはこの文明でも同じことだ。高度化、複雑化した機械群は、より多くのエネルギーを求めて東アジアへと進軍、帝国主義がこの青い星を覆い尽くし、世界各国は火薬庫で火遊びを始めた。

もちろん、僕の母なる国、日本もその遊びの輪の中に入っていた。


       ◯


戦争が始まったのは僕が12歳の誕生日を迎えたのとちょうど同じ日だった。

あの時家の中で母と一緒に聞いたラジオの、あの寂れた音を今でも覚えている。

それから学校で、僕たちは戦争に関する授業を受けた。

欧州的価値観を東アジアから追い出し、新しい秩序を築かなければいけないこと、そのためにも僕たちは一丸となって戦わなければならないことなどを、徹底的に教え込まれた。

別に僕は人殺しがしたかったわけではないけれど、それでもやはり、成長したのなら戦争に行くべきなのだろう。と、子供ながらにぼんやりと考えていたから、18になって軍隊に入った。

そんなわけで、僕は今から下にいるたくさんの命を、摘み取らなければならない。

それは悲劇だ。

でも、僕は、軍人なのだ、


       ◯


今、僕がここでこうしているのにも、歴史がある。そして今、僕がここでこうしていることも、歴史になっていくのだと思う。


女の子が走っていくのが見えた。 

女の子の母親らしき人もまた、彼女と同じ方向に向かって走っていく。

父親を探してみたけれど、どこにも見当たらない。多分あの、ドス黒く汚れた肉塊の中の一つなのだろう。

みんな、苦しんでいた。苦しんでいないのは、死者だけだった。

いや、死者も苦しんでいたのかもしれない、だけど、死者の心のうちは推し量ることができない。

「地獄のようだった。」

ひどく月並みで面白みのない表現に頼ってこの状況を端的に表すとするならば、そう言うのが最も正しい。

それほどまでの光景だった。

深い深い、“穴“の底は煙で塞がれていてよく見えない。ただ、何か熱くて痛い、命の燃えるような悲痛さが伝わってくる。「地獄のよう」と表現したけれど、ひょっとしたらこの穴は本当に地獄に続いているのかもしれない。


そんな地獄の門を通り過ぎて僕は飛行船を西方に飛ばす。

さっきの“穴“の住民が坑道を通って別の穴へ逃げてくるからだ。だから僕たちはそこにもまた、火薬を落とさなければならない。

大本営はこの暗青石採掘都市群を、設備をそのままに、できるだけ無傷で手に入れたかったらしいけれど、現地司令部は、採掘場を失うデメリットとゲリラに悩まされるデメリットの2つを天秤にかけ、中国内陸部一体の採掘場を焼き払うことにした。

「やるとなれば徹底的に」

これが僕たちの部隊、急襲爆撃部隊のモットーの一つだ。

僕たちが通った後は、ペンペン草も残しちゃならない。爆撃というものは、徹底的にやって初めて、その効果を得ることができるのだから。

だから僕たちは、燃え残った全てにも、火をつけないといけない。



あの女の子はここにくるだろうか?

そんなことを考えながら、僕は僕の仲間が爆弾を落とすのを、じっと見つめている。

どこにでもいるような主婦のおばさんが、7尺はありそうな筋骨隆々の大丈夫が、坊主頭の少年が、テラテラと光る炎に纏わりつかれてのたうち回り、真っ赤で猟奇的なダンスを踊る。

だが、それも長くは続かない。すぐに炭化して真っ黒な物体になってしまう。あのおぞましい、おぞましくて美しい死の舞踊は、もう二度と再演されることはない。

それは、人間という一個の生命の「終わり」が見せる、いのちのかがやきだから。

僕は空の上の観客席から、無感動に見つめ続ける。

そこには思わず目を背けたくなるような光景が広がっていて、別に目を離して計器類だけをじっとみていても良いのだけれど、やはり僕は、下界の惨劇__僕たちが作り出した地獄を、なぜか、見なくちゃならない様な、目に焼き付けなくちゃいけないような、そんな感じがした。

しかし、そうしてじっと見つめていると、眼下に展開される情景がなんとなく、画面の向こうで起こっているものに感じられて、それが、すごく、いやだ。

僕は取り立てて冷血漢であるつもりはないし、ましてやサイコパスなどでもない。

それなのに、どういうことだろう?

今、僕が何万人もの人間を、生活を、尊厳を、破壊していると知っても、後悔の念も贖罪の念も、自罰意識も、何も湧いてこない。ただただ、出来の悪い出来の悪い活動写真を見ているような退屈と居た堪れなさだけが湧き上がってくる。

これが所謂「戦争の狂気」というやつなのだろうか?

「戦争の狂気」ってもっと派手で、熱に浮かされたようなものだったのではなかったのだろうか?

同僚、仲間、戦友たちもみんな、ただただ無感動に自分の仕事を淡々とこなしている。プログラミングに沿って動くロボットみたいに。


女の子、そう、さっき“穴“で母親と逃げ惑っていた女の子が坑道から出てきた。

死の雨と死の雨の間に少しだけできた隙間時間、その間に逃げようとしているらしい。

瓦礫と屍の中を、必死に走っていく。

僕はそれを目線だけで追う。


シュルシュルという音がして、母親の後方15メートルのところで爆薬が炸裂した。

母親は娘を庇ってその背に衝撃を浴びた。

暫くの間があって、娘が母親に駆け寄った。

何か喚いている。

母親の背中はパックリと紅く開いていて、ぐしゃぐしゃになった臓腑を僕に。空に向かって晒している。

女の子は何かを喚いている。

母親は、少しだけ身じろぎして、息たえた。

女の子は何かを喚いている。どうやら僕に、僕らに向かって。

瞬間、またシュルシュルという音が、今度は女の子の目の前で、炸裂した。

おかげで煙が張ってしまって、少女がどうなったのか見えなくなってしまった。

多分、死んだのだろうと思う。


涙は出なかった。悲しいとさえもう、思わなかった。僕にとって少女の死は、世界中どこにでもあるありふれた「死」の一つでしかなかった。


そんな自分にちょっとだけ、腹が立った。



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